原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が生まれ故郷の「ハート島(鏡島)」

2021年12月10日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、朝日新聞2021.11.24付「地域発」より、「ハート島 眺めて癒されて 鳴門の無人島 観光への活用探る」より転載したもの。)



 少し古くなるが、朝日新聞2021.11.24付「地域発」の記事内に、我が生まれ故郷である徳島県鳴門市の「ハート島(鏡島)」が取り上げられていた。

 早速、記事内容の一部を、以下に引用しよう。

 「ハート形の島」として話題になっている徳島県鳴門市の無人島 鏡島は、波静かなウチノ海にある、周囲100mほどの小島だ。 地元の写真家が7月にドローンを使ってハート形に見えることを確認し、「ウチノ海プロジェクトチーム」を立ち上げた。 見学会はプロジェクトチームが市の補助金を受けて実施した。 近くの撫佐漁港から小型船に乗って出航し、島の岩肌や浜辺などを間近から見学した。
 写真家氏は、「鳴門に来れば幸せになれる、癒される、というようなパワースポット的な場所になれば」と言う。
 一方で、「地元の漁師さんにとっては大切な漁場なので、むやみに立ち入るのではなく、ルールを作ってみんなが共存できる島にしたい」とも話した。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 原左都子が、自身の出身地を我がエッセイ集に明瞭に記載するのは、これが初めてのことではなかろうか?
 徳島県出身である事実は、「阿波踊り関連エッセイ」等にて幾度か公開した記憶はあるが、渦潮で著名な鳴門市の出身であることを語るのは今回が初めてと心得る。

 特段、それを語ってやましいという訳ではないのだが。
 高校・大学は国鉄やマイカー利用で徳島市まで通ったし、自宅も19歳時に県内他市町村へ転居した関係で、鳴門市にさほどの思い入れが無いのが正直なところだ。

 私が住んでいたのは鳴門市でも市内中央部であり、渦潮見学ができる観光地へはさほど訪れていないのが事実でもある。


 一番思い出に残っているのは、中3時の終わり頃に仲が良かった女友達が、「卒業の後高校が別々になるが、その前に思い出作り目的のため自転車で(隣県の)香川県へ行こう!」と言い出して。😲 
 私としてはかなり無理感があったものの、それに従ってしまい。
 鳴門市中央部から北灘町(渦潮が見える鳴門町に比較的近い町だが)経由でそれを実行せんとしたことがある。
 ところが、案の定…
 運動神経抜群かつ体格が良かった(身長はお互いに高くて同じくらいだったが、バリバリ筋肉質の)友達がずっと先まで行ってしまい。 それに追いつくことなど所詮叶わないものの、後ろを振り返っては私を待ってくれたのだが…)
 結局は引田町(徳島から香川へ入る最初の町)手前で、私がギブアップしてその夢は叶わなかったなあ…
 ただ友にそれを責められるでもなく、確かに、あの苦しさは我が忘れ得ぬ思い出として記憶に刻まれている。
 (後日談だが、この友、後に産んだ息子を東大大学院へ入学・修了させている。 この勝負に関しては、私の負けだな… )😭 



 話題を、「ハート島(鏡島)」に戻そう。

 冒頭写真を見る限り、我が目にも確かにハート型の美しい島だ。
 何というのか、ドローン写真を見たところその輪郭の広がり部分が芸術的な島だ!

 引用文章にあるが、地元漁業と観光との折り合いこそが確かに重要ポイントである事には間違いない。

 その辺の整合性を十分に模索しつつ。

 何らかの形でこの「ハート島(鏡島)」を観光資源としたいとの。

 地元の意向には、原左都子も異論はない。 
 

再掲載 「正しい“コロナ自粛の意味合いとは」

2021年12月09日 | 時事論評
 オミクロン株が本気でこの世の“コロナ禍”に拍車をかけるがごとく、世界規模で脅威を振るおうとしている現在。

 
 私は、過去に記したバックナンバーを先程発見した。

 早速以下に、それを再掲載させていただこう。


 2020.05.16付朝日新聞別刷「be」 Reライフ の記事内容は、作家・保坂和志氏による「夏の手前で 腹立たしさの理由は」 と題する記事だった。

 この保坂氏の記載内容が、原左都子の基本的考え方や生き様とピッタリ一致するため、それを以下に要約引用させていただこう。


 私は人から言われて何かをやらされたり禁止されたりするのが嫌いだ。 「みんながやっているから」という右へ倣えも嫌いだ。 自分の中で理由付けができていないと気がすまない。 そもそも会社員時代に受けた適性検査で、帰属意識の項目が百点満点の0点だったくらいで、子どもの頃から集団行動が出来ない。
 しかし友達は大事にする。 友達との約束は守る。 集団の約束事は守らなくてもいいが、個人的な「約束」は守る、ということだ。
 「自分は今、外に出ないようにしているが、それは本当に自発的な判断なのか? 強制された結果の行為で無いと言えるのか?」
 ここ何週間も、そこのところにずっと引っかかっているわけだ。 この「自粛」の実態は強制なのだから、私はそれを自分に納得させるために自発的な判断だと自分に言い聞かせているだけなんじゃないか?と。
 外出制限は感染防止が目的だ。 感染するしないは、政治や経済の問題ではなく科学の問題だ。 「ステイホーム」の呼びかけは、校則みたいな、どっちでもいいことを片方に制限するような恣意的な指示ではない。
 横断歩道を老人が渡っている最中に信号が変わっても車が発車しないのは、そこには人間としての生存のルールがある。 それと同じことだと。
 個人としてはそこで一応ケリがついている。 それにだいたい、そんな難しいことを言わなくとも「自分がうつされたくない」のひと言の方が今の気持ちはすっきりする。  そうなると今度は、今この時期に沖縄などの観光地に行く人達に対して感じる腹立たしさだ。 それはどこからくるのか?
 私は人に強制されたくないから人にも強制しない。 だから「今は皆が守っているんだ」という、生徒指導的な理由で腹が立つのではない。
 そこで改めて、「自由とは何か」という問題になる。 「何をしようが自由だ」というのは、本当に自由と言えるのか?
 「自由であることは、おのれの欲望の奴隷でないことだ」という、ある哲学者の言葉を思い出した。 
 「何をしようが、私の自由だ」と言って沖縄に行く人には腹が立つ。
 「馬鹿には腹が立つものだ」というのは、一つの有力な回答かもしれない。 そうは言っても、それが集団になると「馬鹿」では済まされない。 トランプ支持層のような「病気じゃ無い私たちにまで外出制限をするな! 仕事をさせろ!」との抗議デモのような脅威になる。
 
 (以上、作家・保坂和志氏による記載を一部を省略して引用させて頂いた、。)

 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 いやはや上記保坂氏の記事内容とは、幼少の頃より集団嫌いだった我が思考・行動パターンと瓜二つだ!


 小学生時代の通知表に「生活面」での態度に関する評価欄があったが、その中に「協調性」の項目が存在した。 他の項目はすべて「優」評価だった記憶があるが、この「協調性」のみは担任が変わっても「優」を貰えることは一度足りとて無かった。😰

 「何事にも自分なりの理由付けができていないと気が済まない」との記述など、まさに一生に渡る我が人生の揺るぎない鉄則である。 😈

 「集団嫌い」ではあるけれど「友達」は大事にするなる保坂氏のポリシーも、まさに私にとっても一生涯の掟である。 それ故、我が友達関係(1対1が原則)は今尚続行中の大事な生き様となっている。 
 若き時代には、複数の仲間と酒宴等の場で大騒ぎして楽しむ場面もあった。 ただ必ずや、私にとって要の人物が存在してこそ成り立つ宴会であったものだ。

 「私は人に強制されたくないから人に強制しない」とのご記述も、我が日頃のモットーでもある。 
 我が高校教員時代に何故生徒間で人気があったのかを分析するならば、まさに教員の立場としても、これを貫いていた故であろうと振り返る。
 
 保坂氏の記述内で秀逸な部分は、「外出制限は感染防止が目的、政治や経済の問題ではなく科学の問題だ」の箇所だ。
 まさにおっしゃる通り!  元医学関係者でもある私の場合、これぞ一番に訴えたい論点だ。
 これがおざなりになっているのが我が国の政府や自治体による国民に対する“コロナ指導”ではなかろうか?
 連休に沖縄はじめ特に過疎地域へ旅に出た国民達とは、要するにご自身が「馬鹿だから」のみではなく、政府や自治体長の指導が中途半端な事実にこそ根源があったのかもしれない、とも考察可能だ。 (もちろん、ご本人達の思考も多少浅はかだったのかもしれないが… )

 最後に表題の「正しい“コロナ自粛”の意味合い」に話題を戻すならば。

 国民各々の行動パターンの是非を国民間で非難し合わないような体制作りを、国家や自治体が率先して慎重に成すべきではあるまいか?
 国家や自治体のその指導力が欠落し中途半端な情報を発信してばかりいるからこそ、国民底辺で歪みが生じてしまっていると私は分析する。

 例えば、「学校9月始業制」議論にしてもそうだ。
 当初文科省大臣の萩生田氏とて、それに同調していると国民から誤解されそうな回答をしていたことを私は記憶している。
 少なくとも本年度中のその実施可能性がゼロならば、それを明確に国民に伝えるべきだ!

 これなどほんの一例に過ぎず、国家や自治体のすべての“コロナ対策”が中途半端なお粗末さであること自体が、国民の混乱を煽っていると結論付けられよう。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2020.05バックナンバーより再掲載したもの。)


生物進化と人間による創造

2021年12月08日 | その他オピニオン
 冒頭から、本日朝方見たネット情報より一部を以下に引用しよう。


 生物進化と人間による創造、背後に共通する「言語性」とは? 

  © ダイヤモンド・オンライン 提供 

 今年4月に発刊された全512ページの大作『進化思考――生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』が、クリエイターのみならず、ビジネスマンの間でも話題を呼んでいる。  
 「生物の進化と創造性には共通の構造がある」ことを見いだし、発想にはある特定のパターンが現れてしまうと説く太刀川氏。 どうすれば人は創造的になれるのか。はたして優れたアイデアに隠されたルールとは。アイデアの出し方について、進化思考から読み解いてみよう。   (中略)
 社会を変えたさまざまな発明。何億円もの値段で取引されるアート。歴史に残る数多くのデザイン。私たちの常識を根底から覆した科学的発見。心に残る文学。こうした創造的な挑戦が連綿と繰り返されて、社会は構成されています。しかしながら現在の日本人のうち、たった8%の人しか自分のことを創造的だと思えていない、という研究結果があります。 世界平均は44%。日本人がいかに創造性に自信を失っているかがわかります。
 そこには、創造性はセンスや才能の問題という諦めを感じます。本当にそうでしょうか。そこに疑いを持ったのは、デザインをつくる中で徐々に優れた創造的発想にある、なんらかの共通構造に気づいたからでした。
もし創造性に確固たる構造があって、それを体系的に身に付けられるとしたらどうだろう。そうなれば創造は、誰もが挑戦できる科目になる。
 もし創造性がきちんと教えられるなら、92%の人に諦めを感じさせている現在の非創造的な教育への光明となるはずです。
 デザインは言語性を持っている
 創造性の謎を解き明かすために、まず注目したのはデザインの持つ言葉的な性質でした。表現は、それ自身が伝達性を持っています。認知科学にはモノが意味を伝達する性質を持つことを示す「アフォーダンス」という概念がありますが、これはモノと話しているような現象にも思えます。
 デザインと言語は本当によく似ていた。たとえ話や誇張やイントネーションのような言語的性質があり、また言語的に伝達しやすいアイデアを、明快なコンセプトとして捉えているようだ。
 こうしてデザインと言語学を比較することを思いつき、休学していた大学院を卒業するために「デザインの言語的認知」というテーマで修士論文を書きました。2006年のことです。それからこの発想の言語的ルールを「デザインの文法」と呼び、イノベーション教育や企業の人材育成などの場で、多くの人に教えるようになりました。
 進化にはパターンがある
 しかしデザイナーとして世の中の様々な形態を観察すると、奇妙なことにも気づきました。私はもともと生物のデザインに惹かれていましたが、なぜか生物のデザインにも言語的パターンとの共通性が見受けられたのです。発明と生物は全く違う現象なのに、そんな事はあり得るのか。不思議に思いながら、パターンの探求は10年近く続いていきました。これらの生物の進化・言語学・デザインの類似性の探求から、進化思考は生まれました。
 生物や発明には、ある種の共通する変異パターンが存在している。そして面白いことに、これは漫才師の笑いのパターンや、アートやデザインに見られるパターンにも共通するのだ。 (中略) 
 遺伝子という言語
 人類史を調べると、約20万年前のホモサピエンスの誕生から、約5万年前まで石器時代が続きます。つまり5万年より以前は、人類はろくに創造性を発揮できていないのです。約5万年前に何があったのか。実はちょうどその時期が、まさに人類が言語を発明した時期と一致するのです。これは偶然ではないでしょう。
 そしてもう一つ。進化生物学によって生物の変異は、DNAのコピーエラーが原因であることが証明されました。そしてこのDNAはほぼ、言語と同じ構造を持っていることもまた、証明されています。これは何を示しているのでしょうか。
 言語と遺伝子の類似性こそ、言語によって人が道具を発明し、自らを進化させられた理由だと考えると、創造と進化が類似している謎が氷解する。
 この二つの出来事に共通する言語性。このことが結びついて、進化思考の基盤となる仮説が生まれました。つまり進化も創造も、新しい可能性は言語構造の「言い間違い・聞き間違い」のようなエラーから発生している、という仮説です。 (中略) 
 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
― ヨハネによる福音書
 神様がいるのかいないのか、それは私にはわかりません。でも言語が最初にあったという聖書の一節には、不思議と一つの真理を感じます。ヒトの言語は100年の間にも変わり続けるのに、DNAという変わらない文法が40億年近くにわたって生物に流れ続けているのは、本当に不思議なことです。そして、それが証明された時代に生きているのは幸運なことかもしれません。

 (以下略すが、以上太刀川英輔氏による、「生物進化と人間による創造、背後に共通する『言語性』とは?」 より一部を引用したもの。)



 上記文章を読んで、私は独身時代中盤期だった28歳頃から30代前半期頃まで付き合いがあった某工業デザイナー氏(K氏としよう)のことを思い浮かべた。

 K氏は、工業デザイナーの新人登竜門として名高い「銀座松屋のデザインコンペ」の入賞歴がある人物だ。 その入賞作品展示会に私も同伴していただいた。
 それ以前から工業デザイナーとして実業界で活躍され、当時の通産省による「グッドデザイン賞」を複数回受賞されていた。
 その後、独立してデザイン事務所を立ち上げた後も、数々のヒット商品を世に連発している人材であられた。 
 (残念ながら、現在に至っては音信不通状態だが。)

 そのK氏も上記引用文の太刀川英輔氏同様に、デザイナーの分野で活躍する人材であるにもかかわらず、思考幅が大きい人だった。
 我が専門である「医学」にも首を突っ込んできて、上記の太刀川氏のごとく、“生物進化と創造性”の類の議論を私に振ってきては、未熟なりにも二人で議論を交わしたものだ。 
 その当時は医学界においても、DNA解析分野が未だ道半ば頃だっただろうか?

 時は流れ我が娘が美大受験すると言い始めた時期に、私は再度世に活躍する複数の美術家氏と出会っている。
 K氏の例外でなく、いずれの美術家氏も博学であられ、思考幅が大きかったことを実感してきている。


 今回のエッセイに於いては既に字数オーバーのため。
 冒頭の引用文を記された太刀川英輔 氏に関する記載に対する私見を省かせていただくことを、最後にお詫び申し上げておこう。 

他人を変えようとするのは「洗脳」でしかない??!?

2021年12月07日 | 人間関係
 今朝方、現在の私にとって“耳が痛い”話題のネット情報に出くわした。



 早速、一部を要約して、以下に引用しよう。

 コロナ禍や自粛生活などの「環境の変化」により、多くの人が将来への不安を抱え、「大きなストレス」を感じている。ストレスを溜め込みすぎると、体調を崩したり、うつなどのメンタル疾患に陥ってしまう。
 そんな中、このコロナ禍に22万部を突破したベストセラー『ストレスフリー超大全』では、著者の精神科医・樺沢紫苑氏は、ストレスフリーに生きる方法を、ネット上で紹介している。 以下に記載しよう。

  他人を変えようとするのは「洗脳」
 私の元に寄せられる相談の10件に1件は次のような相談です。
「夫が散らかしてばかりで、片づけをさせたい」 「部下の仕事が遅いので、意識を変えたい」 「子どもがきちんと宿題をするように変えたい」
 つまり、「他人を変えたい」という悩みです。 そんなことは可能なのか、ここで説明していきましょう。
 他人の行動や性格を変えるのは、非常に難しいことです。本人が「問題意識」を持たない限り、不可能なことです。
 本人が「変わりたいと思わない」。もしも、本人の意思に反して、性格を変えられるとしたら、それは「洗脳」です。あなたは、部下やパートナーや子どもを洗脳したいのでしょうか。
 「他人の課題」と「自分の課題」
 覚えておかないといけないのは、「他人と過去は変えられない」ということです。変えられないものを変えようとすると、ものすごいストレスを受けます。 (中略)
 たとえば、「宿題をする」というのは、誰の課題でしょうか。それは、「子ども自身の課題(他者の課題)」であって、あなたの「自分の課題」ではありません。宿題をしないで怒られ、困るのは「子ども」本人です。
 子どもが宿題をするか、しないかは、自分で判断して、自分で決めることです。あなたが子どもの意識をコントロールすることはできませんから、そこでやきもきしても意味がありません。他者を尊重して見守るしかないのです。
 ほとんどの人間関係のトラブルは、「他者の課題」に干渉・侵害することで起こっています。「課題の分離」がきちんとできると、人間関係のストレスは大きく解消できます。

 (以下略すが、以上、本日朝見たネット情報の一部を要約引用したもの。)



 私事及び私見に入ろう。

 日々、当「原左都子エッセイ集」をお読みいただいている方々は既に気づいておられることと心得ているが、実は私め原左都子は生来的に“短気”な人間であると自覚している。

 それを押し殺しつつ、平静を保つ日々であるとも言えよう。

 特に過去の恋人たちとは、よく喧々囂々の喧嘩をしたものだ。 大抵は私の方から喧嘩を売って、相手を困らせたようだ。 
 とにかく相手が良くできた人格者だったせいか(それとも喧嘩内容に勝る程に相手にとって私が大切な存在で、別れるのが惜しかったのか??)😅  、それが元で別れたという経験は無い。 


 この短期な性格に関して私が一番自粛をしたのは、高校教諭時代だった。
 教員の中には「生徒を怒れてイッパシだ!」、などと大きく勘違いしている奴らも少なからず存在したが。 (そんなわけあるはずないだろ!)と、私は馬鹿教師どもを軽蔑すらしていた。

 というよりも、私にとって生徒達とは実に実に可愛い存在でしかなかった。

 ただこんな健気な子たちを、本気で感情的に怒る馬鹿教員が確かに存在した。
 時には生徒対教員間での暴力事件等も発生した。 教室から血まみれで職員室に帰ってきては、「あいつ(生徒のこと)、許せん!!」と暴言を吐く教員を周囲の教員がなだめて、「先生、まあ、落ち着きましょうか」なる場面も少なからず経験している。

 何故、私は教育現場で生徒達を愛せたのか?


 表題に戻ると。

 要するに私には「生徒を変えよう、(イコール)洗脳しよう」なる勘違い感覚が一切無かったからであろう。
 私が勤務したのは偶然にも底辺高校(失礼な表現をお詫びします)ばかりだったのだが、実際問題、あんなに可愛い生徒達に出会えた感激こそが多大であったが故だ。


 では何故、私は独身時代の恋人たちには喧々轟轟の喧嘩を売って出たのか?

 それは、彼氏に甘えたかったからに他ならない。😜 

 そんな私を受け入れてくれた我が過去の恋人たちの皆さん(一体何人いるんだ!?!!)、今更ながら御礼申し上げます。
  

大都会のエスカレーター乗車マナー、統一するのは困難かとも感じる…

2021年12月06日 | その他オピニオン
 少し古くなるが。
 
 朝日新聞2021.11.25付夕刊 取材考記 「エスカレーターも片側空け 困難な実情みた 『止まって乗る』当たり前になれば」の一部を、以下に要約引用しよう。

 都市部で見られるエスカレーターの「片側空け」の慣習は、急ぐ人たちのための「マナー」として広がった。 ところが障害がある人達にとっては「困難」につながっている。
 そもそもエスカレーターは、「歩くこと」が前提の構造になっていない。 事故も多発し、鉄道会社も「歩かず立ち止まろう」と呼び掛けている。
 だが、慣習を変えるのは容易でない。 「朝は時間を無駄にしたくない」「歩くのが悪いというのは一方的」といった声もある。

 (以下略すが、以上朝日新聞「取材考記」 デジタル機動報道部 高橋健次郎氏の記載の一部を引用したもの。)


 先だって、この原左都子もJR山手線の某駅を電車乗り換えにて訪れた。

 JR山手線と言えば、おそらく全国一の乗降者数を日々抱えて運行している鉄道路線であろう。
 平日の午後だったが、かなりの混雑の中、既に高齢域に達している私も各駅のエスカレーターのお世話になった。

 既に7年程前になるだろうか、私は自宅バルコニーにて洗濯もの取入中に激しく転び、左鎖骨・右手首同時骨折の重傷を負った経験がある。
 あの同時2箇所骨折事故を未だ高齢域とは言えない頃に経験した事実が、現在の私にとって実に良き教訓となっている。

 特に大都会の階段やエスカレーターでの昇降の際には、今でも緊張する。 (ここで転んだら同時2箇所骨折どころか命が無いだろうし、また周囲の乗客も巻き込んでしまった場合、大変な賠償額を抱えることとなろう。)😫 

 階段の場合、端っこの手すりにつかまってゆっくり歩くのは既に常習化しているが。
 特にエスカレーターへの乗降は、いつもド緊張状態だ。 とてもじゃないが人混みの中歩いて乗降するなどの運動能力は既に無い私は、必ずや左側に立って乗るのが常である。

 そのようにエスカレーターでは必ずや左側に立つ派の私にして、やはり“右側歩き乗り”の危険性を感じる機会はある。
 例えば、歩いている人の荷物が右側に立っている人に当たったり。

 
 ずっと以前の話題になるが。

 我が娘が3歳児の頃、池袋サンシャインシティへ遊びに連れて行った際に、比較的空いているエスカレーターに乗った。
 空いていたからこそなのだが、未だ幼少の娘の手をつないで2人で横列に立ち止まって乗ったら。
 後ろからやってきた若き女性が、携帯で電話をしながらエスカレーターに乗ってきて、電話口で相手に告げるには。
 「非常識な母娘がいて、エスカレーターを横列で塞いでいるのよ! こんなマナー違反ないよね!! こちらは急いでいるのに、まったくもって腹立たしいったらないわ!!」
 はてさて電話の相手は何と答えたのやら、私の知ったことではないが。

 要するに当時より、「エスカレーターでの左側立ち止まり、右側歩行ルール」は既に都会では通用していた、との事件だった。

 
 実際、首都圏東京の鉄道網では、確かに皆さんがそれに従うのがルール化されていると考えてよかろう。
 
 これ、今更鉄道会社が「エスカレーターは歩くことを前提としての構造になっていない」と言ったところで、時既に遅し感もある。
 それを主張したいのならば、もっと強力に実行するか。

 あるいは、歩行困難者にはエスカレーターではなく、エレベーターの使用をそれこそ強力に勧めるべきではなかろうか。
 我が義母など当の昔からエスカレーターを怖がり、いつもエレベーターを愛用している。 (ところが、これが駅内の一体何処にあるのやら分かりにくいし、また随分遠方にあったりして、同伴する者としては難義させられたりもするのだが…)


 私見の結論としては。

 特に大都会においては、今更ながらエスカレーターの右側も「止まって乗る」のを完全ルール化するのは、現実を見た場合、難儀な業であるようにも考察するのだが…