原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

物質、生命、心と進化する宇宙

2022年01月25日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.01.22付 書評コーナーより、ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙」の書評内写真を転載したもの。)


 久々に「書評」を取り上げるが。

 上記著書に対する、東京大学宇宙物理学教授・須藤靖氏による書評「怪しくも魅力的な未完の『物語』一部を、以下に要約引用しよう。

 科学によって蓄積された膨大な知識と情報に基づいて、この世界の起源と未来、さらにはその存在意義自身をも問い続ける。 著者はそれを「物語」と呼ぶ。 本書では、狭い意味の科学や物理学にとどまらず、世界のあり方を巡り終わりのない物語が展開される。 
 第1章「永遠の魅力」では、この物語の主人公がエントロピーと進化だと宣言される。 世界が秩序から混沌へ向かう性質を特徴づけるエントロピーという概念と、時間の進む向き、宇宙と生命が誕生し進化する理由は互いにどのように関係するのか。 それらが次の三つの章、「時間を語る言葉」「宇宙の始まりとエントロピー」「情報と生命力」で解説される。 
 これに対して、「粒子と意識」「言語と物語」「脳と信念」「本能と創造性」の四つの章では、「(少なくとも現時点において)物理学だけでは語り尽くせない「物語」が積極的に取り上げられている。
 「物理法則に支配されている粒子たちが詰め込まれた袋にすぎない」人間が、なぜ意識を持ちうるのか。 そんな袋が、あたかも自由意志をもつかのように振舞うのはなぜか。 人間が言語をもつのは単なる偶然か。 宗教を信じるのはなぜか、そもそも信念は如何に形成されるのか。 人類が誕生以来、生き残りに役立ちそうにない芸術や高度に創造的な活動に没頭する理由は何か。
 正直なところ、これらの問いに対する著者の意見に私は納得していないが、進化生物学・社会学・言語学・哲学における様々な説の紹介から学ぶことは多かった。 (中略)
 本書は、最終章「存在の尊さ」に代表されるようにレトリックが多めである半面、物理学の知識なしでも読み通せるはずだ。 著者の意見に納得するかどうかは別として、未完の「物語」に触れてみたい方には是非お勧めしたい。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を要約引用したもの。)



 ここで、言葉の説明を追加しておこう。

 エントロピー : 
 
エントロピーとは、言うなれば「エネルギーが自然に流れる向きを表す指標」
である。
 この世で起こるあらゆる物理的な変化にはエネルギーが関与している。 そして、エネルギーの流れる向きは本質的に一方通行である。 であれば、エネルギーの流れから、あらゆる変化の進む方向を推し量ることができるだろう。 この「変化の進む方向」を数値で表したものがエントロピーなのだ。 エネルギーが流れる向きを知る、ということは、この世に起こるあらゆる変化の向きを予測できる、ということだ。 これがいかに大きなインパクトを持つか、なぜ物理学の根幹と言われているか、お分かり頂けることと思う。
エントロピーを理解するためには、エネルギーの流れがどのような「法則」に従うのか考えてみる必要がある。
真っ先に思いつく事例は「水は高きから低きに流れる」であろう。 水であれりんごであれ、あらゆる物体は、より低い、安定した状態に移行しようとする。 ということで、エネルギーの流れについて最初に思いつく法則は次のようなものであろう。 「あらゆる物体は、位置エネルギーが低い状態に移行しようとする。」 この法則はおおむね間違ってはいないのだが、絶対の真実というわけでもない。 位置エネルギーが低いからといって、月はすぐさま地球に落ちてはこないだろう。 りんごが地上に落下するのに、月が落下しない理由は何だろうか。 地面に激突するからだろうか。 ここで、エネルギーは決してなくならない、という法則を思い出そう。 地面に激突したりんごが再びもとの高さまで跳ね上がらないのは、りんごの持っていたエネルギーが衝突時に熱に変わったからだ。 もしエネルギーが熱に変わらなければ、りんごは決して下に落ちたままでいることはない。 月が地球に落ちてこないのは、月の持つエネルギーが摩擦などによって熱に変わるチャンスが無い(極めて少ない)からである。 中途半端な高さにある人工衛星は大気との摩擦によって、やがて地上に落下してしまう。 つまり「物体は自然に落下する」という素朴な常識は、 「エネルギーは最後には熱に変わる」という法則に従っていたのである。
 (以上、ネット情報より原左都子が一番わかりやすいと思った説明書きを引用したもの。)

 レトリック :

 レトリックとは美しく、巧みな言葉のこと。 聞いている人に感動をあたえる、すぐれた表現方法のこと。 「言い回しによって、人生は大きく変わる」と説いた方法 。
 (以上、ネット情報より原左都子が一番気に入った説明書きを引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 この書評を読んで、早速ネット通販にてこの著作本を入手しようと志したのだが。
 定価¥2,860- と記載されているが、ネット通販では送料が加算されて高額となっている。 それだけの理由で、今回は購入を取りやめた。


 という訳で、上記書評のみで私見を少しだけ述べるならば。
 
 この著書の作家(上記写真に記載されている通り、米コロンビア大学物理学者であられ第一線での研究の傍ら、科学の普及活動にも力を入れられているようだ。)が、科学(特に物理学)を「物語」として語っている部分が興味深い。
 というよりも、そうでもしなければ今時堅物の著作物など売れる訳もないであろうし…

 原左都子として一番興味深い、というよりも反発したいのは、「人類が誕生以来、生き残りに役立ちそうにない芸術や高度に創造的な活動に没頭する理由は何か。」の部分だ。
 これに関しては、既にその意義を唱える思想等々が世に溢れているであろうし、人類にとって創造的活動の重要性は既に語られて久しい感覚がある。
 今更、時は既に遅しの感も抱かされるのだが…

 それにしてもこの著作本は、おそらくある程度の販売実績を稼げることであろう。
 

再掲載 「TATA自動車の旅」

2022年01月24日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、2008.10インド旅行中のデリーにて3日間お世話になった我々の専属ガイド・サキール氏。 TATA自動車内にて。)



 2008.10のインド旅行出発直前期に。

 当時我が「原左都子エッセイ集」宛に頻繁にコメントを頂戴していたドカドンさんとおっしゃる方から、アドバイスを頂いた。
 車の趣味があるドカドンさん曰く、「インドへ行くならばTATA自動車に乗れるといいね。 TATA自動車はインド製で安価だが、作りの良い車だよ。」


 インド旅行の第一目的は、国際的に活躍中の知人美術家はるこ先生のインド・ボパールにて開催される「国際美術賞受賞式典」に出席することにあった。
 その旅のお供に、ありがたくもはるこ先生がこの私に白羽の矢を立てて下さり、女二人のインド旅と相成った。

 二人旅の旅程を小規模旅行会社に組んでもらい、デリーでは「ガイド・運転手付きの自動車旅」。 そしてボパールでは、空港からホテルまでの送迎のみタクシーに依存し、その他は個人行動のスケジュールとした。


 さて、成田から空路インド・デリーまで到着すると、そこには我々同様にインドを旅する人々の迎えが大勢待ち構えていた。
 「これ、我々の自動車旅の担当を見つけられるかなあ。」とはるこ先生と困惑していると。
 はるこ先生の名前を呼んで下さっているガイドのサキール氏が見つかった。 私の感想だが、(このサキール氏、他のガイドの誰よりも上品で長身イケメンじゃないの?! 何だかついていそうだなあ!)😍 
 この我が感は大当たりで、実際サキール氏の3日間に及ぶガイドは丁寧かつ的を射ていたものだ!

 さて、運転手氏が乗って待つ車まで行くと、なんと! ドカドンさんご推薦のTATA自動車ではないか!!
 偶然とは言えども、これまたラッキー!
 随分と走行距離をこなしたTATA自動車のようだが、とりあえず窓もドアもきちんと開閉可能だしクーラー装備でもあり、ひとまず安心して乗り込んだ。




 それでは、2008.10 インドにての「TATA自動車の旅」を以下に振り返ろう。             


           

(写真はデリーからアグラへ向かう途中の市街。TATA自動車の中から撮影。)


 今回のインド旅行では、首都のデリーとアグラ、ジャイプールを観光、そして知人の美術家氏の美術賞授賞式のためにボパールの国立美術館を訪問した。このうち、ボパールへはインド国内線のエアラインを利用したのだが、その他の移動手段としてはインド国産のTATA自動車にすっかりお世話になった。

 インドは国土が広大なため、観光地から観光地までの移動距離がとにかく長い。今回の旅行日程のほぼ半分を、この移動のためにTATA自動車の中で過ごしたと言っても過言ではない。
 例えばデリーからアグラまでは時速80~100kmのスピードで途中の渋滞も加算して約6時間、アグラからジャイプールまでとジャイプールからデリーまでがそれぞれ約5時間の道程だ。

 旅行の前半の三市観光は、今回の旅行に同行いただいた現地ガイドのサキール氏と運転手氏と我々二人の計4人でのTATA自動車でのドライブの旅である。

 このTATA自動車については旅行に先立ち本ブログの読者の方(ドカドンさん)から情報をいただいていた通り、世界最安価の車である。サイドミラーがひとつしかない等の噂も耳にしていたが、さすがにそんなことはなくて無事二つあった。
 ところが、今回お世話になった車はそのサイドミラーの一つが壊れたままで取れかかっている。それを運転手氏が紐で縛り付けて簡易修理をしているのだが、これが走行中に取れかかるのだ。紐を結び直しつつのドライブである。
 どうやらギアも調子が悪そうで、ギアチェンジの度に軋み音が響く。早い話が物凄い走行距離をこなしていそうなポンコツTATA車に命を委ねてのドライブ旅行という訳だ。

 デリー空港に降り立った10月28日の夜は、折りしもヒンズー教の伝統的なお祭“ディワリ”の当夜で、街がいつにも増して賑やかだったようだ。

 インドの交通事情は凄まじいものがある。 
 車線を区切るラインが一部にしかなく、また舗装がされていないデコボコ道がほとんどで物凄い砂埃だ。我々の車には一応クーラーがついていて窓を閉められるのだが、ほとんどの車にはクーラーがないどころか、ドアも窓に硝子もないバスに大勢の人々がしがみついて乗っている。
 片や、バイクの3人、4人乗りも一般的で、サリーを着た女性がバイクの後部座席で横座りの状態で子どもを二人位抱いて乗ってサリーを風にヒラヒラとなびかせながら猛スピードで走り抜けていく。(日本のママチャリとちょっと似ているがスピードが全然違う! くれぐれも子どもを落とさないでよ…)

 一体全体この国には交通法則があるのかないのかも不明なのだが、道路はまさに無法地帯だ。車線(自体がないのだが)変更する時にウインカーを点滅させる車は少数派で、時速80~100キロメートルにして車間距離が1mに満たない中をクラクションを鳴らしつつの割り込み運転が常識だ。中には逆走してくる車もあれば、右折の際には各車がクラクションで喧嘩同然で道路の中で入り乱れる。
 さらにその道路は、自転車も徒歩の人も、牛も馬も犬も象もラクダも猿も共用だ。デリーの都会のど真ん中の主要道路にもこれらの動物が悠々と通行している。

 到着初日にはこの無法地帯の交通事情の中、帰国まで命が持ちこたえられるのか怯えたものだが、2日目ともなるとこの環境に慣れてくるから人間とは不思議な生き物だ。
 むしろ人間と動物が共存する自然な社会であるような感覚を抱き、こちらの方が自然体であるような印象さえ受けるようになってくる(のは私だけなのか??)

 加えて、この大混乱の道路上で信号待ちをしていると、子どもが目敏く観光客が乗っている車を見つけ、お金と食料をねだりに車の窓硝子を叩きにやって来る。
 貧富の格差の激しい社会の実態を、まざまざと見せ付けられる風景でもあった。

 (以上、2008.10  インド旅行記より「TATA自動車の旅」を再掲載したもの。)
 

「原左都子エッセイ集」トータルPV数が本日2022.01.23 800万越えを果たしました!

2022年01月23日 | 自己実現
 (冒頭写真は、本日2022.01.23 先程撮影した「原左都子エッセイ集」左欄のAccess Status。)



 我がエッセイ集は、左欄のプロフィール欄に記載させていたいている通り、現在に至っては積極的なPR活動を一切実施していない。

 ただただエッセイ集公開の初期に掲げたテーマ通りに、日々我がオピニオンを中心に綴り公開しているのみだ。

 そんな我がエッセイ集のPV数が顕著に増加し始めたのは、2,3年前頃からだろうか?

 我が手元の記録によると。
  2017.12  300万到達、  2020.04  500万到達、
  2021.07   700万到達、 そして本日 2022.01  800万到達

     とのPV歴史を刻んできているようだ。


 
 そのうち、2021.07  PV数700万到達当日のエッセイから、一部を引用しよう。

 「原左都子エッセイ集」をgooに開設したのは、2007.09のことだった。
 その後、2017.12月時点でトータル閲覧数300万とのことは、その間の1年間の単純平均が約30万。  我が記憶によっても、当時はそんなものだった。
 2021.07に700万達成とのことは、その後の約4年間で400万IPを稼いだこととなる。
 私自身の感覚だと、特にここ2,3年間のIP数が急激に伸びている気がする。
 一日5000 IPを超過する日も珍しくなくなっている。

 その理由を私なりに探ってみるに。
 私の場合は、自分側からの読者登録数を最小限に絞り込んでいる関係で、特にgoo内の反応は芳しくないとの印象を持っている。
 エッセイを公開する毎にご訪問いただくgoo内の訪問者数は、たかだか30名様程度だ。

 その他の皆様が、一体何処から閲覧下さっているのかは未だかつて不明。
ましてや、日々の閲覧数が5000超えを記録している事態に至っては、未だ分析不能のままだ。
 もしかしたら、各種検索エンジンにて我がエッセイ集内のエッセイ1本、1本(特に時事問題等々)がそのトップ画面に取り上げられているのに出くわす機会が日々多いため、その辺で閲覧数を稼げているのかもしれない。

 何はともあれ、理由は分からずとて沢山の閲覧を頂戴することはもちろん嬉しいことであり,ありがたくもある。
 
 今後共、「原左都子エッセイ集」の執筆に日々精進して参りますので。
 どうか知人の皆様、そして見知らぬ方々も引き続きご贔屓の程、よろしくお願い申し上げます。

 (以上、2017.12公開エッセイより一部を引用したもの。)



 今後の原左都子のスタンスとしても、この状態を維持したく考えている。
 
 エッセイ内容は、あくまでも熱く😡 綴り公開したく志しているが。
 ブログのPR活動等は一切しない方向性で、静かなブログライフを続行する意向でおります。

 今後も、もしよろしければ引き続き「原左都子エッセイ集」をご訪問・ご閲覧いただけましたならば幸甚です。


「絵むすび」 朝日新聞2022.01.22 編

2022年01月22日 | 自己実現
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.01.22付パズル「絵むすび」に原左都子の娘が解答したもの。)


 本日の朝日新聞 パズル「絵むすび」は。

 昼食後に未だリビングルームにいた娘に、「これから『絵むすび』を解くんだけど、どっちが先に解答できるか競争しようか!?」と私からけしかけたところ。

 同意してくれた娘と共に、解答に励んだ。

 難航する私を横目に、10分程経過して娘から「できた!!」との声がかかり。

 原左都子の完敗に終わった… 😭  


 いや~~~~~~。
 
 これが他人に負けたのならば、悔しくて仕方がないところだが。

 我が娘の天才性(発達障害を抱えているため、母親の私が娘幼少の頃よりサリバン先生を担当している身だから故に)そう思ったりもするのだが。
 確かに我が娘には“天才性”が内在している!?!


 
 とにかく、2人の解答を見比べてみた。

 解答途中までは、同じ道筋を選択したようだ。
  
 最後の“決め手”に気付くのが、娘の方が秀でていたようだ。

 発達障害を持つ身にして、4年制大学卒業後はIT技術者・正社員の立場での勤続年数が6年に近づこうとしている我が娘だが。
 
 その実績を支えているのは、時折覗かせるこの“天才性”ではなかろうか!?? と親馬鹿ながら思ったりしなくもない。😜 
 (ついでに言うと、美人でスタイルもいい娘です! 誰に似たのかな~~~???)

 親馬鹿談義は、これくらいにしておいて。😖 



 原左都子の解説を加えておこう。

 今回の「絵むすび」は、“難易度4” にしてはそれ程の難易性を感じなかったのではなかろうか。

 とりあえず、左上にある「卒業帽子」を下まで下げてくるりと右に回すであろうか。

 次なる対象は「校舎」であろうが、これも下から右に回して結んでも他のアイテムに迷惑をかけないとの感覚だ。

 その次に私が注目したのは、右下の「花」だ。
 これは何らかの形で上方向へ持っていくべきと考えた。

 その前に気付いたのは、「ガチョウ」と「画鋲」だ。
 これらは、手短に結んでしまった方がよいかと考えた。
 
 そうなると、後はその合間を「財布」と「花」を通して結ぶことになるが。


 ここで、私は我が娘に出遅れたてしまった!  (やっぱり、悔しいなあ。)
 その処理をあれよあれよと、思考している間に。
 娘からの「できた!!」との掛け声。


 高齢者とは、やはり若き世代の人材とは真っ向勝負できない身なのだろうか…😱  
 

再掲載 「見つめるインド人」

2022年01月21日 | 旅行・グルメ
 昨日の「原左都子エッセイ集」編集画面によると。

 2008.10月に訪れた「インド旅行」関連エッセイに多くの閲覧を頂戴していた様子だ。


 2008年と言えば、今から14年前。
 私にとって、美術家知人と二人で訪れたインドは昨日の事のように思えるのだが、もうそんなに年月が経過していたのか!? と驚くばかりだ。

 この旅行は、女性知人美術家氏が美術国際賞を受賞されたのに伴い、インド・ボパールに位置する国際博物館にて開催された美術賞授賞式に同行させていただくのが目的だったが。

 初めて訪れるインドの大地に生を営むインドの人々との出会いに恵まれ、心が動かされたり、深く考えさせられたりの繰り返しの、またとはない貴重な体験を積むことが叶った旅行だった。



 それでは、2008.11.08公開の「見つめるインド人」を、以下に再掲載させていただこう。


 (冒頭写真は、アグラにある世界文化遺産“ファテープル・シークリー”で出会ったプライベートスクールの小学生たち)

 インドは、日本人を含む黄色人種系の観光客が少ない。私が今までに訪れた世界の国々の中で、一番日本人を見かけない国だったように感じる。
 そのため物珍しいせいか、インド人からの注目度が高い。どこへ行っても大勢のインド人の大きな黒い瞳に見つめられる。好奇心が強く純粋で素直な国民性なのかもしれない。皆さん、遠慮のない視線を投げかけてくる。
 私など、こういう現地の人とのふれあいが旅行の大きな楽しみのひとつであるため、注がれた視線にいつもすかさず微笑み返すのだが、あちらもとてもいい顔で微笑み返してくれる。(ただし微笑み返してくれるのは中流階級以上のインド人だ。下流階級の人々は決して微笑まない。最低限の衣食住に精一杯で微笑む余裕などないのが現状なのであろう。)

 子どもはもっと好奇心旺盛で、積極的に声をかけてくる。「ナマステ!(ヒンズー語で“こんにちは”」「ハロー!」などなどと。喜んで応じると、すぐになついてくる。至ってフレンドリーだ。 例えば、上の写真はアグラの観光地“ファテープル・シークリー”で出会った、遠足か校外学習か何かで現地に来ていたプライベートスクールの小学生たちである。目敏く日本人の我々を見つけると、駆け寄って来て「ハロー!」と言って握手を求めてくる。私が微笑みながら快く応じていると、引率の先生と思しき人や周囲にいた観光中のインド人の大人までが駆けつけてきて握手を求めてくる。まるで売れっ子タレント並みの大人気者にでもなった気分の私である♪♪  その後、小学生グループはずっと私の回りを取り囲みつつ付いてきて、皆が話しかけてきたりスキンシップを求めてきたり、とにかく何とも可愛らしい。私が写真を撮ろうとすると皆が喜んで我先にとカメラの前に立ち、この写真のような満面の笑みを振りまいてくれる。お陰でこの観光地を出るまで、この小学生たちとの楽しい一時を共有させてもらえた。
(今の日本の小学生のように「大人を見たら悪者と思え」的な寂しい教育環境の下とは大違いの、自然体で無邪気な子ども達である。)

 大人のインド人が声をかけてくれる第一声で一番多かったのは“Are you Chinese?”である。後は“Korean?”あるいは“Thai?”というのもあったが、残念ながら“Jananese?”が出ない。う~ん、日本の国力、知名度はここまで堕ちぶれているのか??と、こんなところで妙に実感させられる。
 一昔前までは、世界中に日本人観光客が蔓延っていたものだ。どこの国に行っても日本の“団体さん”が醜態を晒していたものだが、すっかりアジア諸国のニューリッチ層にその座を取って替わられている模様だ。
 せっかく海外旅行へ行っても周囲に日本人が多かったり日本語が聞こえてくると大いに白けるものだが、そういう意味でも今回のインド旅行は異国を満喫できたと言える。

 複数のインド人男性に年齢を尋ねられるのにも意表を突かれた。 まずは、ガイドのサキール氏だ。2日目のドライブ中にいきなり「何歳ですか?」との質問を受けた時には一瞬たじろいだ。日本では昔から女性に対して年齢を聞くことは失礼だとされているし、また近年は個人情報保護の観点からも公共の場で年齢を尋ねられることは皆無だ。 おそらくインドでは年齢を尋ねることはありふれた会話のひとつなのであろう。公表する程の年齢でもないためとっさにこちらから聞き返してごまかしたのだが、人間同士が親しくなるワンステップのようで少しも悪い気はしないものである。

 そんな一方で、見つめるが微笑まない下流階級の存在がやはり気にかかる。
 車が信号待ちの度に目敏く観光客を見つけて、車がひしめく道路上を命がけで車の窓硝子を叩きにくる子ども達。中には“サーカス芸”を身につけ、信号待ちの車の狭間でバック転を披露したりしてお金をせがむ子もいれば、自分がまだ3、4歳なのに赤ちゃんを抱いてやってきて「チチ、チチ(乳)」と言いながらミルク代を要求してくる幼女もいる。この子達の視線は真剣ではあるが、決して微笑まない。私は少額紙幣や日本から持参してきたお菓子をあげたりしたのだが、心境は複雑だ。

 片や、インド国内線のエアラインを利用しているのは言わずと知れているが皆上流階級だ。たまたま席で隣り合わせた青年はデリーで国際線に乗り継いでこれから仕事でニューヨークへ向かうと言う、IT産業に従事するエリートエンジニアだ。聞いてみたところ、やはり数学はハードに勉強したという。フレンドリーに話しかけてくれるのだが、流暢な英語についていけず残念ながら話がとぎれとぎれになる。

 以上のように、ごく一部の上流階級と大勢の下流階級が入り乱れつつ日々の暮らしを営むインドという国の実態を私は垣間見てきた訳である。
 いつの日かの未来に、文明の歴史や伝統があり自然環境も豊かなインドというすばらしい大地に生を受けた全国民が、心から微笑むことのできる社会が築かれる日の到来を私は望むばかりである。 

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 ついでに、インド旅行記に掲載した写真の一部も再掲載しておこう。

          

          

          

          


 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーを再掲載したもの。)