◎上映のあと、立ち上らずに泣いている老人がいた
黒澤明『蝦蟇の油』(岩波現代新書、二〇〇一)から、映画『素晴らしき日曜日』について述べているところを紹介している。本日は、その三回目(最後)。
「素晴らしき日曜日」が封切られて、数日後、私は次のような葉書を貰った。
それは、こういう書出しで始まっていた。
映画「素晴らしき日曜日」が終って、映画館の中が明るくなった。客は、みんな立ち上った。
しかし、立ち上らずに泣いている老人が一人いる――。
私は、読み進んで、思わず大きな声を出しそうになった。
この、泣いている老人は、立川先生なのだ。
あの、私と植草を可愛がり、育ててくれた、あの立川精治先生なのだ。
先生の葉書には、続けて次のように書いてあった。
私は、タイトルの、脚本・植草圭之助、監督・黒澤明、という字を読んだ時から、スクリーンがぼやけて、よく見えなくなった、と。
私は、直ぐ、植草に連絡して、立川先生を東宝の寮へ招待し、そこで御馳走する事にした。食糧事情の悪い時だったが、そこならすき焼き位は用意出来たからだ。
私達と先生が一緒に食事をするのも二十五年振りの事である。その先生は、悲しい事に、 随分小さくなってしまわれて、歯も弱って、すき焼きの肉もよく噛めない様子であった。
私が、何かやわらかい物を用意させましょう、と立ち上るのを、立川先生はとめて、御馳走は君達二人の顔を見るだけで充分だ、と云った。
植草と私は、その先生の前に、かしこまって坐った。
先生は、その二人を眺め、ウム、ウム、と呻る〈ウナル〉ような声を出してうなずいていた。
私は、その先生を見つめているうちに、その先生の顔がぼやけて、よく見えなくなってしまった。
「あの立川精治先生」とあるが、黒田小学校で、黒澤明や植草圭之助を受け持った恩師である。立川精治先生について黒澤は、『蝦蟇の油』の「1 旧友交歓」の中で、何度も触れ、何度も感謝している。黒澤の描いた絵を褒め、黒澤に初めて自信を持たせたのは、この立川先生であった。
黒澤明を級長にしたのも立川先生であった。ある日、立川先生は、級長の黒澤に対して、植草圭之助を副級長にしたいと打診する。このとき、立川先生は、「駄目な奴でも副級長になれば、きっとしっかりするよ」と言ったという。
要するに、立川先生は、黒澤にとっても、植草にとっても、文字通りの恩師だったのである。その立川先生が、教え子ふたりが作った映画を観て泣いている。その教え子ふたりが、再会した恩師の前にかしこまっている。それぞれ美しい光景である。
私は、『素晴らしき日曜日』という映画に対しては、特に感動はしなかった。しかし、『蝦蟇の油』中の、「素晴らしき日曜日」と題された文章については、すなおに感動したのである。
明日は、話を、時枝誠記の言語過程説に戻す。