◎文学は言語そのものである(時枝誠記)
根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十七 言語の機能」のところを紹介している。本日は、その五回目(最後)。
三
さきに時枝誠記博士が「文学研究における言語学派の立場とその方法」という論文で、文学は言語そのものであり文学と言語との間には一線を画することができないとされた。さらにこのことは言語の機能の上からもいえるとして、論を実用的機能を持つ言語が文学でありその実用性を無視しては鑑賞性も正当に把握できないというふうに進められたために、この論文は国文学者に非難を浴びることになった。中でも日本文芸学の岡崎義恵〈ヨシエ〉博士は「文芸学的見地から観た万葉美」(「万葉集大成」第二十巻、美論篇、昭和三十年八月)という論文を書かれ、時枝博士のそれを文芸学を言語学の中に解消するものとして反論した。岡崎博士はこの論文で万葉集開巻第一の雄略天皇の歌をはじめ多くの万葉歌を例にとって論じ返し、時枝博士が言語学的立場の限界を遥かに超えているとして、言語学をもって文芸学を征服することを夢見ているのであろうかと非難された。私は岡崎博士のこの論文を机上に置き、これにどう反駁すべきかを考えていられるそのような時枝博士の姿が目に浮かぶ。しかし、この論文をいいすぎとしたのは岡崎博士だけでは なく、かつての京城大学での上司であった高木市之助博士も同じであった。高木博士は「国語学と国文学」(『国語教育のための国語講座』第八巻、文学教育、昭和三十三年十一月)という論文を書かれ、時枝国語学の説く言語と文学の関係に目を向けた。そこで高木博士は言語と文学との関係を確かにしようとして、たとえば万葉集の中から巻六〈マキノロク〉の「み吉野の象山〈キサヤマ〉のまの木末〈コヌレ〉にはここだも騒く鳥の声かも」の歌、巻四の「夕闇は道たづたづし月待ちていませ我が背子〈セコ〉その間にも見む」の歌をあげられる。この二首に対して時枝博士は前者の山部赤人〈ヤマベノアカヒト〉の歌を眺める文学といい、後者の大宅女〈オオヤケメ〉の歌を呼びかける文学といって、これらの文学はその鑑賞的また実用的機能において言語に連続することを証するのであるが、高木博士はいまかりに日常語で前者は「鳥が鳴いている」後者は「月が出てからお帰りください」があたるとして、時枝博士が説くように万葉歌人が「み吉野の……」「夕闇は……」と歌ったのと、ただの日常語の「鳥が鳴いている」「月が出てからお帰りください」というのとでははたして本質的に相違がないかどうかと問われる。高木博士は赤人の歌は文学として誰にでも通用するが、「鳥が鳴いている」という日常語は通用しない。赤人の歌と「鳥が鳴いている」という日常語の間には断絶があるからであると述べる。また大宅女の歌も眺める文学でなく呼びかける文学であるから、特定の男性に向かってよまれた歌ではあっても誰でもこの歌から呼びかけられる資格はあるのであって、この歌も文学として誰にでも通用するが、「月が出てからお帰りください」という日常語は通用しそうにもない。やはり大宅女の歌と「月が出てからお帰りください」の間の断絶が考えられなくてはならないと述べられる。
要するに時枝博士は言語過程観によって文学は言語そのものであるということから言語と文学は連続性があると説いた。この考え方からするとたとえば建築物において芸術的なものと日常的なものとの間に一線を画することがむずかしいように、言語の場合でも文学的なものと日常的なものとの間にそれを分かつ線を引くことは不可能であり、文学の鑑賞も実用性を生かすようなし方をしなければならないから、言語と文学は連続性があるのだとなる。が、高木博士はこのように述べてこれは成り立たないとされ、言語と文学の断絶性を説かれたのであった。ここではいくら逞しい言語過程説でも文学と噛み合わせるのは無理だと微笑を浮かべておられる高木博士の姿が目に映るのである。