礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山内得立は時枝誠記に学んでいる(根来司)

2020-10-11 00:10:24 | コラムと名言

◎山内得立は時枝誠記に学んでいる(根来司)

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十四 日本文法論」を紹介している。本日は、その五回目。

 ではこのような〔鈴木〕朖の説そして時枝〔誠記〕博士の説を文句なしに受け入れた学者はあったか。それは高橋里美博士らと共に現象学を自分のものとして日本に入れた山内得立〈ヤマウチ・トクリュウ〉博士であり、それも『意味の形而上学』(昭和四十二年)においてであった。山内博士はこの書で意味とは何であるかを問われるが、その第八代表と表現の章を開くと、国語で詞辞の別が朖によって明説されたことは刮目〈カツモク〉に値するとし、次のように述べられる。
《国語の文法では前者を詞とし後者を辞として分類されているが蓋し〈ケダシ〉最も包括的な、そして本質的な分類であろう。殊にこの区別が既に鈴屋〈スズノヤ〉門下の鈴木朖によって明説せられていたことは刮目に価する。同氏によれば詞はさす所あるが辞にはさす所がない。前者は「物事をさし顕はして詞となり」後者は「其の詞につける心の声なり」という。また「詞は器物の如く、辞はそれを使ひ動かすものの如し」とも言う。それは本居宣長の玉緒〔詞の玉緒〕の説から 由来したものであろうが、殊に我々を驚かすものは辞をもって「心の声」と規定した点であろう。それは意味ではなく単なる声にすぎないのであるか。もし言語が単なる声でなくして意味の表現であるべきならば辞は言語としての資格を失わねばならぬ。鈴木朖はそれ故に之を「心の声」とよんだのであろうがそれは何を意味するのであろうか。山田孝雄〈ヨシオ〉は之を評して「その本義は逆に捕捉すること能はざるなり」と言い、「又心の声とは如何なるものか、思想をあらはす声音の義か、しからばいづれの語が心の声ならざる、詞につける心の声とは逆に解釈すべからざるなり、余輩愚昧にして其の真義を解すること能はざるにも由るべしといへども要するに一補の謎にすぎず」(「日本文法論」二四-二五頁)と評しているが、しかし鈴木朖の所論はそのように神秘化せられ、乃至は軽く一蹴せられるには余りに重大なものをもっているのではないか。辞は客体的にさし示すものをもっていないがしかしなお何ものかを表わしている、何物かを指示しないにしても何ごとかを言表わしている。否体言も用言もこれによって具体的に示され、よってもって一つの具体的な表現となり得るのである。国語の辞は例えば「てにをは」として用いられるが「詞はてにをはならでは働かず」と云われるように、詞が或る性質をもち、或る状態にあり、何らかの働きをなすのはひとえに辞によってであった。辞は勿論「詞ならではつく所なし」であり、辞の表現は専ら詞についてではあるが、詞の存在はむしろ辞によって、またはその中に於てあるといわねばならない。言語によってする表現は単に客体的事物を指すのみでなく、同時に主体的な表意又は表情でなければならぬ。表情は例えば顔面におけるそれのように心の直接な表出でもあるが、言語はこのような直接の表情ではなく、必ず概念の媒介を要する、しかも尚そこには何らかの表出があり少なくも心の開示がなければならぬ。心の声というのはそのような主体の直接なる表現の仕方をあらわしたものではないか。陳述は単に事物の客観的な指示であるのみでなく、むしろ情意を加えた主体的な表現でなければならない。即ち文は単なる述体であるのみでなく喚体でもなければならない。喚体の句は或は希望を或は感動を表わすものであるが、形式的にいえばそれらは主語、述語の関係をとるものではなく、常に体言を中心としてこれに対して連帯語を伴っているだけである。 それはただ体言を対象として之を呼びかえるにすぎないものであるが、その理由からしてそれは文をなさぬと言うことができない。殊に感動をあらわす喚体句は情緒的であって単なる叙述でないことは勿論である。》
 はじめこのように長く引こうと思わなかったが、山内博士が説かれるところを引いているうちにいつの間にかこうなった。も早や気づかれたようにここには山内博士の独創的な息ぶき〈イブキ〉が何も感じられない。時枝博士のことはどこにも出て来ないけれども、これでは京都大学で西田幾多郎博士退官後の西洋哲学史講座を担当した山内博士が時枝博士に学んでいるてい〔体〕ではないか。おそらく山内博士が説くところは時枝博士の『国語学史』いな『国語学原論』によっていると思われるが、どうして著者名を一々アカデミックに列挙されないのであろう。それにしても私は時枝博士が強靱な思考力によってこのような詞辞の説を提唱されて数十年のちに、山内博士が意味の研究に真正面から取り組まれてこのように朖の説に立ち至った点が興味深いのである。時枝博士は『国語学原論』の第四章を意味論に当てられたが、意味の問題には晩年まで興味を失っていず、「言語過程説の基礎にある諸問題(国語学の出発点において考えるべき問題)」(『講座日本語の文法別巻』昭和四十三年五月)という早稲田大学国語学会主催の講演の、昭和四十一年〔一九四六〕九月二十四日には「言語過程説における『意味』の位置づけ」と題して講じておられる。もし時枝博士が意味の問題を『国語学原論』以後もずっと続けて考察されていたら、この方面でも山内博士が瞠目するような学的業績をあげておられたであろうということを、ここでいっておいてもよいと思う。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・10・11(8位に極めて珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする