礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大戦末期、橋本文法が国定教科書に採用される

2020-10-09 01:02:23 | コラムと名言

◎大戦末期、橋本文法が国定教科書に採用される

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十四 日本文法論」を紹介している。本日は、その三回目。

 思えば自分の学説の立場からしばしば橋本〔進吉〕博士のそれに批判を加えられる時枝〔誠記〕博士であったが、心底橋本博士の文法学説をどう考えていられたかは、昭和三十九年〔一九六四〕十一月国語学会創立二十周年の時に行われた記念講演「言語過程説の成立とその展開」(「国語学」第六十集、昭和四十年三月)の中で、時枝博士がヨーロッパ文法はギリシアの論理学に基礎を置くが、橋本博士はこの論理主義に不満を感じ、昭和初年から国語の考察に形式面を考慮に入れた文法学説をうち立てた。この文法学説が第二次世界大戦の末期に国定の文法教科書として採用されたために、今日ではこの橋本博士の文法学説が定説のように受け取られている状態である。しかし、もともと橋本文法というのは在来の文法学説にはなかった形式面の考察という新しい観点を導入したのであるが、その論理主義の観点と形式主義の観点とが必ずしも清算されないで未整理のままに混在しており、そのために国語教育に少なからぬ混乱を引き起こしているといわれる、これで明らかであろう。時枝博士がわが国の伝統的な文法学説の基礎の上に立ち、橋本博士とはまさに正反対の立場に立つ以上このように観じられるのも当然である。そこで進んで橋本博士に対決しようという時枝博士の文法論をくわしく見ることにしたいと思う。
 さて次に時枝博士の文法論であるが、まず博士は「文の解釈上より見た助詞助動詞」〔一九三七〕という論文を発表された。これは助詞助動詞と他の品詞との相違をその表現過程にあるとし、それに関連する種々な問題を考察されたものである。 それをくわしく述べると、時枝博士はこの論文で語の類別法は山田孝雄〈ヨシオ〉博士のように意義によるものと、橋本進吉博士のように形式によるものとがあるが、さらに文の解釈上から見た類別法というものを考えようとされる。そこで、時枝博士は表現過程の相違によって語を概念語と観念語の二つに大別する。「第一の概念語とは、話者の意識内容を概念過程を経て表出したものであり、従ってかくして表出された対象は、話者に於いては、自我の外に置かれたものと考へられる対象の世界を構成する。」とし、「第二の観念語とは、右の様な概念過程を経ない、対象化せられない処の表出であつて、それは概念語によつて表出された対象世界に対する、話者の種々なる立場の表出である。」として、「此の二種の語は、表現過程を異にすると同時に、対象世界と自我との二の世界を示すものであり、解釈上からは、此の截然〈セツゼン〉とした区別は常に実践的に要求される所のものなのである。所謂助詞助動詞の大部分は、かくして私の所謂観念語の中に包摂することが出来ると思ふ」とされる。
 ところで、助詞助動詞の接続関係は時枝博士のように文意の解釈上からすると、意味上文もっといえば文的素材に接続するもので、従来助詞とされた「ある」のある用法と、形容詞とされた「ない」のある用法とは共に助動詞の中に入れるべきである。次に受身使役の助動詞は接尾辞として助動詞から切り離すべきである。なぜならば助動詞はその意味上の接続関係では文に接続するものであるのに、受身以下の助動詞は文全体からは抽出することができない。別にまた助動詞は動詞にそれが添加された時には常に加算法的に意味が追加されて来るのに、受身以下の助動詞は色の組合わせのように基本である動詞の意味内容を塗りつぶして新しい意味を作り上げるからである。なおまた概念語観念語の間にはその相互間に語の移動が行われ、概念語から観念語へと移動するし、逆に観念語から概念語へも移動 する。そしてまた助詞助動詞と接尾辞との間には本質的な相違があって、接尾辞といわれるものは決して語の内部構成の要素でなく独立しては用いられないが、機能的に見ると他の語と全く同様である。このようにして接尾辞は本質的には独立した概念を持つ語であること、そしてそれと助詞助動詞とを区別する根拠は語相互間の意味関連の相違にあり、接尾辞は概念語であるがゆえに話者の心理ばかりでなく第三者のことについても表出することが可能であるとされる。
 このようなことから時枝博士は「文の解釈上より見た助詞助動詞」という論文で、助詞助動詞は本質的には区別の根拠を持たないのであり、両者の別は全く下部接続関係という接続上の形式にもとづくにすぎない。したがって、助動詞の名義がいかに誤解をもたらすものであるかもおのずから想像することができようと述べられる。しかしながら、この論文では博士は概念語と観念語の区別を論ずるにあたって、まだ鈴木朖〈アキラ〉のてにをはに関する定義を援用されていない。朖は言語四種論で詞とてにをはとを対立させて、詞は物事をさしあらわしたものであり、てにをはは詞につく心の声であるとした。この朖の思想を的確につかんだ博士は詞は表現対象の概念化客体化による語であるに対して、てにをはは話手の直接表現による語であるとすべきであると解し、次の「心的過程としての言語本質観」(「文学」昭和十二年六月、七月)という論文でこれを自己の言語過程説へと発展させられたのである。【以下、次回】

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