◎桜花の初陣は昭和20年3月21日
本日も、『日本軍用機の全貌』(一九五三)から。本日は、同書中の〝特別攻撃機「桜花」〟という記事を紹介したい。
特別攻撃機「桜花」
わが国の人命軽視を遺憾なく世界に表明して,連合国からBAKAという適切な名称を与えられた国辱的な特攻機である。太田大尉の着想にもとずいて海軍航空技術廠の山名技術少佐(当時)が主任となつて設計に当つた。11型及び22型の2種が製作されたが,11型は1式陸攻爆弾倉部分に懸架され,敵目標上空近くで母機を離れる1種の滑空機の型式を持つていた。母機を離れたのち,補助推進機関として装備された火薬ロケット,4式1 号を使用して,高速度をもつて目標に自爆するようになつていた。滑空状態の最大速度は大体463 km/h,ロケット動力使用時には649 km/hに達したといわれる。
22型は主として銀河の下部に吊下されて敵地まで輸送されるもので,初風発動機(空冷4気筒で離界110hPのもの)で遠心式空気圧縮機を駆動し,燃焼用パイプを附加してジェットとしたツ-11型を主動力としていた。ツ-11型は推力200 kg程度で,燃料消費量は 毎時1200ℓであつた。最大速度は426 km/h 位で,航続力は自力で93km足らず,時間にしてI5分位であつた。
22型は全長6.88mで11型の6.07mより長いが,全幅は4.1mで11型の5.0mより小さかつた。爆装については,11型では800kgであつたのが,22型では600 kgとなつていた。両型とも爆装は機首になされ,機首尖端に信管を設けて,命中と共に爆発するようになつていた。
両型とも生産は第1技術廠(空技廠〔海軍航空技術廠〕が20年2月に2つに分割され,追浜〈オッパマ〉のが第1,横浜市磯子区金沢のものが第2技術廠となつた)その他の軍工廠で製造された。11型の生産は755機,22型は約50機で終戦となつた。この他20年4月に計画され始めた43型がある。この型は米機動部隊の防空陣が強固で1式陸攻や銀河による接近が極めて困難となつたので,特攻機自体に若干航続力(要求は100浬〈カイリ〉以上)を持たせて,目的を果す意図であつた。また弾幕や敵戦闘機の阻止を突破するため,22型より幾らか速度を増す(計画では519km/h)予定で,推力475 kg位のネ-20ターボ・ジェットを動力とすることになつていた。爆装予定量は800 kgであつた。この43型は愛知で研究中試作完成前に終戦となつた(完成試験中の説もある)
実戦に使用されたのは11型のみである。
実戦記録 桜花の初陣〈ウイジン〉は昭和20年3月21日,九州沖海戦の最終日で,この日早朝の策敵で,都井崎の145度320浬附近を南下中の敵機動部隊2群を発見した彩雲が,空母は3隻だが換備艦らしく低速で上空警戒機もいないと報告した。今こそ神風(桜花)攻撃の好機と判断した第5航空艦隊長官は直ちに神風部隊に出撃を命じ,野中少佐の指揮する陸攻18機(桜花搭載16)は午後1時半鹿屋〈カノヤ〉を出発した。この桜花を積むと陸攻の速力や上昇力も減るし,運動性も軽快を欠くので,充分な戦闘機をつけてやらなくては危くて使えないという厄介な代物〈シロモノ〉だつた。この日も55機の戦闘機を掩護につけるように発令されたのだが,連日の戦闘で整備が間に合わず,出たのは僅かに30機,午後2時20分頃,米艦隊から約60浬の地点でグラマン約50機の邀撃を受け,攻撃隊は桜花を捨てゝ応戦したが,僅々10数分で全滅の悲運に逢つた。その後桜花は集団的の使用を止めて,沖縄周辺の敵艦に対して単機または少数機で,月明,薄暮,黎明等敵戦闘機の活動が制限せられる時期に使用して奇効を奏したことがある。
特別攻撃機「桜花」は、「自爆」を前提とした「特別攻撃機」であった。連合国側は、これを「BAKA」と称したというが、その彼らにとっても、これが恐るべき兵器であったことは間違いない。
ウィキペディア「桜花(航空機)」によれば、桜花への迎撃が困難と見たアメリカ軍は、母機である一式陸攻を最優先攻撃目標として攻撃するよう、全軍に徹底したという。
一九四五年(昭和二〇)七月一六日の平塚市空襲は、市街の八割を焼いたが、これは、アメリカ軍が、同市で特攻機「桜花」の研究ないし生産がおこなわれていると見たからだともいう(平塚の空襲と戦災を記録する会編『市民が探る平塚空襲 通史編Ⅰ』平塚市博物館、二〇一五)。
特別攻撃機「桜花」に関する文献を読んで、今日の私たちが驚かざるをえないのは、当時の日本が、11型を755機、22型を50機も完成させ、その一部が実戦に使われていたという事実である。これだけの数の特別攻撃機が作られたということは、それらを操縦でき、かつ自爆をいとわなかった戦士が、その数以上に存在したことを物語る。今となっては信じがたいことだが、これが戦争というものの「真実」なのである。
明日は、時枝誠記の話に戻る。