◎時枝氏の視角が、すべての事実を新しく解釈しなおさせる(小林英夫)
根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十四 日本文法論」を紹介している。本日は、その四回目。
ではその当時時枝〔誠記〕博士の新しい学説はどのように評されたか。それには京城大学で時枝博士と同僚であり、しかも論敵であった小林英夫博士の「言語学時評昭和十三年度」(帝大新聞 第七二六号、昭和十三年六月二十七日、のち小林英夫著作集9講演・寄与・書評の中に収める、昭和五十二年)を見るのがよいと考える。そこで小林博士は時枝博士の「心 的過程としての言語本質観」などを念頭に置いて、時枝博士のそれを「氏がその出身のフィロロギー〔文献学〕畑であるにもかかわらず、もっとも尖鋭に従来の内外の言語学説に対立し、それらに残忍なまでに痛烈な批判のメスをふるい、独自のイデーを展開してゆかれるさまは、まことに壮観である。氏は一つの完結した体系を叙述するというより、燃えたぎる思想の奔出に身をまかせておられるもののようである。したがって今のところ氏の考えを体系的にまとめあげて紹介なり批判なりすることは困難である。しかしながらこういうことはいえるとおもう。およそ氏の視野に入りきたるところのものはほとんどことごとく新しい解釈または説明が施されるが、それは個々の事実が氏を刺激した結果ではなくして、氏の有せられる――あるいは獲得せられた――特異の視角が、すべての事実を新しく解釈しなおさせるのである。(という意味は、いうまでもなく、氏が実証を無視するということではさらにない)氏はじつは求心的な型の学者であるといえよう。」と評しておられる。
【中略】
このようにして時枝博士は詞辞の結合になる文は博士独自の入子構造形式を示し、辞は客体的な詞を包んでそれはあたかも風呂敷が種々な品物を包んで統一を形づくっているのに似ているので、風呂敷型統一形式と呼ばれて、天秤型統一形式すなわちヨーロッパのS-P型〔主語-述語型〕と対照させて、日本独特の形式を示すものであると説かれたのである。と同時に橋本博士の文節を批判の対象として難じていかれるのであるが、次に時枝博士の『国語学原論』から第二篇各論第三章文法論三単語の排列形式と入子型構造形式のおわりのところを写して、それをうかがうことにしよう。
【引用、略】
時枝博士はこのように説いて自己の文法論を切り開いていかれるのであるが、読まれるとおりここで博士はやみなしに「私は」「私が」を重ねさらには「のであつて」「のである」を重ねて、主観的な判断を下し詞辞論が文節論に優ることを強調されるのである。こうなるともはや橋本博士の文法論と博士の文法論との優位を競うというてい〔体〕のものでなくなって来ている。そういえばのちの『日本文法口語篇』にも橋本博士の名を何度も出し、その学説に問題があると繰り返し述べられる。時枝博士はさきに『国語学原論』で大いに自説を述べられたのであるから、『日本文法口語篇』では自分の学説はこうだと橋本学説にかかわりなく述べられたほうが、やはり学者に反撥を感じさせずにすんだであろう。ともあれ時枝博士の文法論の特色はすべての語を詞と辞との二つに大別し、詞は客体的な表現を受け持つ語であり、辞は主体的な表現を受け持つ語であるとされる。そして文節は詞の下に辞がついてその辞が詞を包む形式をとって作られるとされるのであるが、これは江戸時代の朖の詞とてにをはがそれに相当するわけで、朖は詞をさしあらわす語で、てにをはを心の声であるといった。そして詞とてにをはとは決して独立するものでなく相互に緊密な関係があると説いたのである。時枝博士が言語四種論の朖の説を受け継ぎ発展させて、上に述べたような詞辞の論にされたことはいうまでもない。【以下、次回】