◎学説の批判に臆病であってはならない(時枝誠記)
根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十四 日本文法論」を紹介している。本日は、その二回目。
この橋本〔進吉〕博士の文節論はその当時から多くの学者に支持され広く行われたようである。それがどのように学者の間で支持されたか、橋本博士の立場で文法を考えていかれる佐伯梅友博士の述べられるところをうかがおう。佐伯博士は橋本博士の著作集『国語法研究』〔一九四八〕が刊行された時、早速書評「国語法研究を読む」(国語学」第一輯、昭和二十三年十月)を書かれ、この中に収められている『国語法要説』「国語の形容動詞について」「助動詞の分類について」「『切符の切らない方』の解釈」の四編の中心である『国語法要説』について、昭和九年〔一九三四〕十二月に「国語科学講座」の一冊として出たこれによって、「博士の文節の説を、はじめてはっきりと知ることが出来て以来、私の文法研究は大きな影 響を受けたのであって、私は終生そのおかげを忘れることは出来ないだろう。」といい、京都大学の教授であった吉沢義則博士の指導によって開かれた自分の文法への眼が、橋本博士のこの『国語法要説』を読むことによっていよいよ明確になって来たことを思わないわけにはいかないと述べられる。その上で、「『国語法要説』は、文節が文を構成してゆくところの、文の論には触れていられないのが残念であるが、文法におけるこんなにはっきりした考え方を示された事は、後進として実にありがたい事である。私は、これに導かれて、おのが流に、文節を文素と改めて、連文素(博士も連文節ということばを用いられたよし、林大〈ハヤシ・オオキ〉さんだったかから聞いたことがあり、大へん嬉しく思っている)ということを言って見たりして、文章論なども進めて行きたいと考えてはいるけれども、力およばず、まだ考え得たと自ら安んずるところまで行けないのを、我ながらなさけなく思っている。」と述べ、自分の文法がきわめて大きな影響を受けていることをいわれる。なお佐伯博士の文素ということばが橋本博士の文節に対してあえて案出されたこと、橋本博士の文節が普及したために文素をまた文節になおしたことなどについては、森野宗明、小松英雄、北原保雄三氏編の『佐伯文法――形成過程とその特質――』(昭和五十五年)の一佐伯文法の世界㈡佐伯文法のあゆみの項にくわしいので直接つかれたい。
この橋本博士の文節論について、時枝誠記博士はずっとのち昭和二十二年〔一九四七〕二月一日東京大学で行われた第六回国語学会公開講演会で、これは橋本博士追悼の講演会であったので「橋本博士の文節論について」と題して講演された。次にその要旨を「国語学会会報五」(昭和二十三年三月十日発行)の講演要録によって全文を掲げることにしよう。
《橋本博士の文節論は、言語に於ける意味の論理的関係を主にした従来の文法研究に対して、言語の外形である音声に基礎を置き、そこに出発して文法体系を組織されようとしたもので、文法研究に新しい見地を開拓されたものである。博士はまづ言語の構成要素として意味と音声との二面のあることを認め、音声の面から言語の一の統一体である「文」を分析する時、そこに文節なる最小単位の存することを確認された。例へば、「ケサアサガオガサキマシタ。」といふ文は、「ケサ|アサガオガ|サキマシタ」といふ三つの文節に分析される。実際の言語はこれ以上分析することは出来ない。単語はこの文節から帰納的に抽出されたもので、文節が、独立する一の単語、或は独立する単語と独立しない附属辞との結合から成立するところから、単語はこれを独立詞(或は単に詞ともいふ)と附属辞(辞)とに分類せられる。ところが、この分析の追究の結果は、附属辞と接尾辞との間に明確な一線を画することが出来ないといふ結論に到達した。接尾辞が結合したものは常に詞を構成するのに反して、辞のうちの活用のないいはゆる助詞の類は、これが結合しても詞を構成しないから、その点でこの両者を区別することが出来るが、活用する辞即ち助動詞のあるもの例へば受身可能使役の助動詞の類は、これを活用する接尾辞と明かに区別することが出来ない。ただ結合に普遍性があるか否かといふ点にしか区別の基準を求めることが出来ない。かくして博士は、文節論については、極めて消極的な結論しか示されなかつた。博士は言語の分析に 於いて音声的立場をその究極の点にまで追求し、そしてその結論を大胆卒直に示されることによつて、我々に文節研究の再吟味再出発を要望せられたものと私は解するのである。博士の確認せられた文節は国語に於ける厳然たる事実である。この確認を真に科学的にみのり多いものとするためには、我々は博士の文節論を批判するに臆病であつてはならない。今日は一々の学説について批判を述べる機会ではないので、ただ学問的伝統を受けつぐものの態度を述べるに止めておく。》
考えてみるとこの時期先人の学問を乗り越えるべく積極的に努められる時枝博士は、すでに主著『国語学原論』〔一九四一〕を公にし言語過程観によって詞辞の論を展開しておられ、さらにこれから『日本文法口語篇』〔一九五〇〕、『日本文法文語篇』〔一九五四〕を書いて論議の種をまこうとされるところであった。それにしても橋本博士の文法論の中心をなす文節論を批判するのに臆病であってはならないとは、昭和七年〔一九三二〕頃からほぼ十年間自己の言語過程説の体系をきずくために苦心して来られた 時枝博士にしてはじめていえることであると思う。【以下、次回】