礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

言語過程説に立った「国語生活史」

2020-10-18 03:04:14 | コラムと名言

◎言語過程説に立った「国語生活史」

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十六 国語史研究」を紹介している。本日は、その二回目。

     二
 さて時枝誠記博士の国語史を国語生活史と見る考え方は博士が『国語学原論』(昭和十六年)で言語過程説をうち出された時から当然出て来る考えであった。そこでまず『国語学原論』以後の博士の国語史研究に関する既発表の著書論文を次に掲げてみようと思う。
 「言語学と言語史学との関係」(橋本博士還暦記念『国語学論集』昭和十九年)
 「国語に於ける変の現象について」(「国語学第二輯、昭和二十四年六月)
 「国語史研究の一構想」(「国語と国文学」昭和二十四年十月、十一月号)
 「国語生活の歴史」(刀江書院『国語教育講座言語生活下』昭和二十六年九月)
 『国語学原論続篇』(昭和三十年)
 『現代の国語学』(昭和三十一年)
 「国語史研究と私の立場」(「国語と国文学」昭和三十五年十月号)
 「私の言語生活論・言語生活史論の構想」(「言語生活」昭和三十九年三月)
 これらのうち時枝博士が自分の言語過程説の立場から新しい国語史を考えたのは「国語史研究の一構想」という論文からである。それは言語を人間の表現、理解の行為であるとする言語行為の体系とその体系の変遷において国語史を考察しようとするもので、従来の自然史的類推において見られて来た国語史に対して、国語生活史というべきものであった。この新しい国語史観はこの論文を経て、そのあとの「国語生活の歴史」、『国語学原論続篇』、『現代の国語学』などでその輪廓を整えるに至ったのである。
 ところで、時枝博士の言語過程観にもとづく国語史研究の組み立てを述べた「国語史研究の一構想」は発表された当時から国語学者の間に入れられた。学生時代から時枝博士と近しかった吉田澄夫博士は「言語からみた上方文学と江戸文学」(「国語と国文学」昭和二十五年四月号、特集日本語と日本文学)という論文で、「昨秋本誌に発表された時枝誠記博士の『国語史研究の一構想』はこの方面の研究者に大きな示唆を与えたと思うが、同博士は真の国語史は『読む行為』『話す行為』等に関する個別的な国語形態史でもなく、また各形態の要素である音韻、文字、語彙史、語法等に関する国語要素史でもない。国語史は国語生活の歴史であり、更に国語形態の綜合の歴史でなければならないという意味のことを説かれた。そうした考えはわたくしなどもぼんやりながら持っていたものであり、一部資料の整理などに従事しながらも、果してこれが真の国語史研究かというような疑問と不満を常に抱いていたものであるが、そうした点を明らかに指摘し、国語史研究の真にあるべき姿を明確に理論化された点について、多大の示唆を与えられたものと考える。今後そうした国語史が具体的な姿をもって現れることを待ち望みたい。」と述べて、新しい国語史研究が具体的な姿をもって現れるのを待ち望んでおられる。【以下、次回】

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