礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

小川榮太郎氏の『「保守主義者」宣言』を読んだ

2021-04-10 00:26:28 | コラムと名言

◎小川榮太郎氏の『「保守主義者」宣言』を読んだ

 小川榮太郎氏の新刊『「保守主義者」宣言』(育鵬社、二〇二一年三月)を一読した。その「まえがき」で小川氏は、拙著『日本保守思想のアポリア』(批評社、二〇一三年六月)を、「日本人による良心的な概論、研究・思想書」の一冊として紹介し、簡潔なコメントを付している。拙著を読んでいただいた上に、紹介までしていただいたことに感謝したい。
 その感謝の気持ちをあらわすために、小川氏の新刊について、気づいたこと、感じたことなどを書いてみたい。
 本日は、その一回目として、この本で使われている「文体」について触れてみよう。「まえがき」の八ページで、小川氏は、次のように述べている。

 なお、本書本文は「正仮名遣」によっている。「正仮名遣」は小倉百人一首の選者としても名高い藤原定家が仮名遣いの変遷を整理、確定して以来、千年近く守られてきた表記である。それに対し、現代仮名遺いは、大東亜戦争終戦後、国語改革の名のもとに日本語のローマ字化が画策され、妥協の産物として、学術的検討もなしに内閣告示で布告された、どさくさの代物だ。

 小川氏は、戦後の「国語改革」そのものを批判しているのか、それとも、戦後の「国語改革」のうち、「現代仮名遺い」のみを批判しているのか。この引用部分を読んだだけでは、よくわからない。
 戦後の「国語改革」は、漢字制限、漢字の簡易化、法律や公文書の口語化など、さまざまな面にわたる改革だった。小川氏は、漢字制限、漢字の簡易化、法律や公文書の口語化に対しても、「どさくさの代物」として、否定的な立場に立っているのだろうか。
 作家の山本有三は、日本国憲法が、句読点、濁点を用いた「ひらがな」の「口語体」で書かれることになったことに、影響力があったという。山本は、すでに戦前から、漢字制限、ふりがな廃止などを訴えている。実際に彼は、そうした持論に基いて、『戦争とふたりの婦人』(岩波新書、一九三九年九月)などの作品を世に問うている。
 また、戦中に満洲国司法部参事官の地位にあった千種達夫は、一九四三年(昭和一八)三月、満洲国親族相続法の法案を、「口語体」で書きあげたという。しかし、保守派の強硬な反対に遭って、一九四五年(昭和二〇)七月一日に交付された法律は、口語体の原案を文語体に直したものだったという(文部省編、千種達夫執筆『法令用語の改正』明治図書株式会社、一九五〇)。その後、帰国した千種は、国語審議会委員・東京地裁判事となって、法令用語の改正に尽力している。
 小川榮太郎氏の文章は、「正仮名遣」を採用している点を除けば、世間一般に通用している文章と変わるところはない。ひらがな文であり、句読点、濁点を用いており、口語文(言文一致体)と呼ばれる、ごく一般的な日本語の書き言葉である。
 この「ごく一般的な日本語の書き言葉」にしても、明治中期以降、多くの文人・知識人が、保守派の強い抵抗を受ける中で、改良に改良を重ねた結果、ようやく確立し定着するに至ったものである。明らかに、「革新的」な文体なのである。
 小川氏が、「正仮名遣」を採用することは自由である。しかし氏は、みずからの文体が、明治中期以降の歴史の中で形成された「革新的」なものであることを自覚されているのだろうか。ごく一般的な日本語の書き言葉を用いながら、「正仮名遣」を採用していることのみを以て、「保守派」を自称するというのはいかがなものか。
 なお、この本が「正仮名遣」に徹するというのであれば、78ページ2行目の「強いられた」は「強ひられた」に、115ページ7行目の「侵入している」は「侵入してゐる」に、それぞれ訂正されなければなるまい。【この話、続く】

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