◎『修身教訓』(1877)に載っていた「柱の釘」の話
二〇一五年に、たしか五反田の古書展で、木戸麟編『小学修身書 四』(金港堂)という冊子を買い求めた。奥付には、「明治十四年六月廿二日版権免許/同 十七年十一月十七日十四版御届」、「金六銭五厘」とある。古書価一〇〇円。ただし、虫喰いがひどい。出品は、目黒の九蓬書店。
その本に、次のような話が載っていた。当ブログでは、この話を、「ジョン少年と柱の釘」と題して紹介したことがある(2016・2・10)。以下に、再掲してみる。
○ある農家に「ジヨン」といへる童子あり、ある時、其の父「ジヨン」を呼びて、汝常に、吾が教へを、まもらざるにより、あしきふるまひ、甚だおほし、今より、悪き〈アシキ〉事、有るごとに、此の柱に、釘一本づつを、打ちこみ、善きこと、有るごとに、之をぬきとるべしと、さだめたりしが、あるは・一日に、数十本も、打ちこむこと、有りて、之を、ぬきとるは、甚だ・まれなりき、かくて、「ジヨン」は、其の柱の、まつたく、・釘にて、おほはれたるを見て、大になげき、善童子となりて、其の恥をきよめんと、憤激し善き事を、つとめおこなひたれば、日ならずして、柱上に、たゞ、一本の釘を、あますにいたれり、其の時、父ハ、「ジヨン」を呼びて我れ・いままさに、此のくぎをもぬきすてんとす、さらば、柱上には、一本の釘だにもなしと、いひけるに「ジヨン」は、涙をおとして、更に、よろこぶいろ、なかりければ、父は之を、いぶかりけるに「ジヨン」は柱を、あふぎ〔仰ぎ〕みて、釘は、ぬきつくしたるも、其の瘢痕のきえざる事の、なげかはしきなりと、いひけるとぞ、人いやしくも、「ジヨン」の如く、心をもちひなば、善人たらん事、うたがひなし
本年に入ってから、たまたま、『修身教訓』(文部省印行、一九七七)という本を手にしたところ、そこにも「ジョン少年と柱の釘」の話が載っていた。こちらも、引用してみたい(改行は、原文のまま)。
一農夫の子にジヨンと云ふ者ありしか性質魯鈍にして常に父に命せられし事を粗略にせり一日其の父某ジヨンに謂て曰く汝如何なれば事を粗略にするや余今より汝の過失ある毎に釘一筒つゝをこの柱に打ち後来汝をして其の過失の数を知らしめんとす然れとも汝善事を為すことあらは一箇つゝを抜くべしとこれよりしてその過失ある毎に釘を打ち時としては一日に数箇を打ちしことあり而してとれを抜くは甚た稀なり其の後ジヨンは其の柱の全く釘に蔽はれたるを見て嘆して曰く余此の如く過失を為しゝやと大に慚愧し夫より務めて善行をなし頗る勉強を示しゝかば其の父釘数箇を抜きたり其の翌日亦此の如くし夫より日々此の如くして終に柱に残りし釘は只一箇となりかり此の時其の父ジヨンを招きて曰く見よジヨン此の柱には此釘の一箇を残すのみ余今之を抜かんとす汝之を喜ばしとするや
此の時ジヨンかかの柱を仰き見て涙を流し更に喜へる色なし父其の景況を見て如何なれば汝これを嘆くや今尽くこれを抜き去るに至るは抑喜はしき事にあらすやジヨンの日く父の言の如し然れとも釘は尽く抜く可きも其の瘢痕は猶存して滅す可きにあらすと
余後学の童子に告ぐ汝か為したる過失は終に之を征服し又療治し得可きも其の瘢痕に至りては永く存して滅す可きものに非ず故に汝等余か勧戒に従ひ一度邪悪に傾き醜習に染まんとするをさとらば必即時に其の邪念を断ちて之を改むべきなり若し邪念の萌すに任せ心中に釘することあらは其の瘢痕は猶霊魂に存して永遠滅すへきの期なかるべし
『小学修身書 四』にある「ジョン少年と柱の釘」の話と、『修身教訓』にある話とは、表現などが微妙に異なっている。しかし、『小学修身書 四』にある話は、『修身教訓』の話を再話したものと見て、まず間違いないだろう。
文部省印行の『修身教訓』という本については次回。