◎独英戦争は、ドイツにとって予期せぬ戦争だった
蜷川新『興亡五十年の内幕』(六興出版社、一九五三)の紹介を続ける。本日以降は、「三国同盟の排斥」の章(二四五~二五七ページ)を読んでみたい。この章で蜷川は、一九四〇年(昭和一五)二月に発表した論文「独逸依存の言説の非理」を再録している。
三国同盟の排斥
私は、日独伊の三国同盟を非難した。私の指摘によつて、条約の欠点は、辛うじて補われた。併し乍ら〈シカシナガラ〉、私は、独逸に依存するのを危険とした。私は、三国同盟は、日本のため に不利であると信じ、それを、「日本及日本人」誌に投じた。昭和十五年〔一九四〇〕二月号に、それが掲げられた。今日から、それを一読しても、誤りはないと信ずる。
当時、私は、政府や軍部の失政を、その侭に黙過していたものではなかつた。左に、その論文を再録して、当年を自ら回顧し、今日の日本人に参考として提示する。
軍人は、第一次大戦の折にも、独逸の必勝を唱えた。在日本の軍人も、在欧の軍人も、独逸崇拝者であつた。当時私は、パリーに在つて、軍人や官僚らと、その誤算を指摘し、論争したものである。軍人は過ちを再びしたのである。
先きの見えない人間は、政治の局に当る資格はないである。
独逸依存の言説の非理(昭和十五年二月号の「日本及日本人」)
○
「独逸は、英国と争うの意なし」と、ヒツトラーは屡々公言したのであつた。それは、外交辞令に過ぎないとは、見られない。英国の素ツパ抜きに依つて見ても、リツベントロツプの公言に依つて見ても、独逸は、英国と争うのを好まなかつたのみならず、英国と固く結合することをさえ、英国に申出でたのであつた。併し乍ら〈シカシナガラ〉、独逸は、英国と戦わざる能わざるに至つたのである。即ち今日の独英戦争は、独逸として、予期しなかつた戦争であり、廟議定まらずして、戦える争〈タタカイ〉である。第三国人として、公正に睨んで見るならば、 独逸は、外交に失敗したものと云える。初めから敗北者であると云える。
○
公平に、これを論じて見るならば、独逸は、軍備の優れた国であり、国民は文明であり、又軍人としての独逸人は、強い国民である。この独逸が、英国と争うのを欲しなかつたのは何故であらうか。独逸にして、若し、必ず勝つとの自信があつたならば、英国に対する戦争を独逸の方から、仕かけたであろうことは当然である。独逸は、一挙にして、波蘭〔ポーランド〕を亡ぼし得可し、と信じたればこそ、不法に、波蘭に侵入したのであつたに相違ない。その故に独英の当年〔一九四〇〕の戦は、理論的に云えば、独逸の方に、初めから勝算のなかつた戦争と見るより他はないのである。かく云つたからとて、独逸を、決して軽侮するのではなく、寧ろ独逸国民に、同情する為めに云うのである。
○
この数年来、ヒツトラーが、巧妙であつたことは、戦わずして、外国の領土を奪つたり、他国に対して、巧妙に工作し、併合したり、保護国としたりした事であつた。独逸人として、これに喜悦したのは勿論の事である。第三国人としても、その巧妙さに、一目を置かざるを得なかった。戦は善の善なるものにあらずとの警句は、シナ人の口から出たものであるにせよ、世界に通ずる真理である。賢明な独逸人は、これを知り、之れを実行したのである。世界の賞讃を受けたのは当然であつた。
○
初めに、ヒツトラーは、ヴエルサイユ条約の破棄を唱えて、独逸人を激励した。ヒツトラーの対内策として、それは巧妙なるものであつた。そんな事でもして、敗北した独逸を、旧の大独逸に復興しようと企て、民心を、自己に集中したのは、政治家として、賢明な運動であつた。彼はこれに成功し、独逸を掌中に収め得た。そして、仏国人が、平和と社会主義とに溺れている間隙に乗じて、ラインに出兵し、それが又思う侭に成功した。先づこれで、ヴエルサイユ条約被棄の第一歩は成つた。それより、彼は、異民族のチエツコを巧妙に内部政策を行つて、独逸に取り込んだ、これは、ヴエルサイユ条約の破棄と云えば云えるようなものの、チエツコは、独立国であつた墺匈国〔オーストリア・ハンガリー帝国〕に属してゐた領土であって、これを独逸国の領土と為すのは、未だ曽て無かつた事を為したのである。ヒツトラーは、その成功に大いに酔つた風がある。それも尤もだとも云えるであろう。
○
ヒツトラーは、レーニンの弟子と握手して、その自ら主張していた従来の政見を放棄した。そうして、突如波蘭に侵入し、スターリンと、波蘭を二分して、これを領有した。これ等は、全然国際法違反であり、ヴエルサイユ体系破棄と云うよりも、法の破棄であつた。波蘭は、世界の承認して造つた独立国である。独逸が勝手に侵入し、これを亡ぼし、二分して、「この領土永遠独逸の物なり」なぞと宣言した事は、従来のヒツトラーとは、全く別人のような、拙劣不法の行動であつた。列国人にして、正しきを好むものならば、この独逸の不法を討つ可し、と疾呼〈シッコ〉することは、人類としての義務であつた。波蘭人は真に気の毒である。これに同情しないものは、「血の気を失つた動物」と云われても致方〈イタシカタ〉ないであろう。【以下、次回】
この章は(この論文は)、かなり長いので、何回かに分けて紹介する。なお引用者は、論文「独逸依存の言説の非理」を、初出の形では確認していない。