◎ドイツ依存者は、一般に排英論者である(蜷川新)
蜷川新『興亡五十年の内幕』(六興出版社、一九五三)から、「三国同盟の排斥」の章を紹介している。本日は、その三回目。
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独逸依存者は、一般に排英論者であるように見える。東京日々紙上その他にも、この種の排英の議論が、執拗に掲げられるのが、我等の目につくのである。その論旨は、「英国憎む可し」と云うのであつて、感情論たるのを免れない。感情論を執拗に云い度い〈タイ〉のであるならば、独逸がシナに、百万の精兵を養成したり、蒋〔介石〕に莫大の物資を供したり、蘇聯を間接に助けて、日本に甚大の不利を与えたり、日本にペテンを食わしたり、日本に甚大の不利を与えて置き乍ら、シヤアシヤアとして、日本人を歓迎したり、防共協定が既に亡んだのを知らぬ顔して、在日の大使をして、防共協定は依然として存在すと云わして見たり、日本に対して、翻弄愚弄を悉くしつゝあつた。この独逸に対して、独逸崇拝或は独逸依存の言〈ゲン〉を為すことは、甚だしく辻棲の合わない言となるのである。その所が即ち、感情論であり正理的でない所以でもあろう。
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この種の感情論者は、「日本は、日英同盟を守りて、英国に忠勤を擢んでた〈ヌキンデタ〉」と云うのであるが、これは余りに、日本侮辱の暴言である。日本人は、英人の臣属ではない。平等の国に対して、忠勤を擢んずと云うことは、余りにも、無法であり腰抜である。
彼らは、「日本は、巴里や華府〔ワシントン〕会議に於て、骨を削ずられたとか、肉を剝がれた」とか云うのであるが、これは又日本国に対して、毒刃〈ドクジン〉を刺すが如き非礼背徳である。日本は、巴里会議に於て、何等の恥辱を受けたことはないのである、南洋の委任統治地を、日本は得たのである、又青島を得たのである。青島は、将にシナ人によつて、横取せられんとしたのは事実であつたけれども、私が行つた法理論に依りて、米人シナ人の合作外交をして、二の句を出す能わざらしめたのである。日本の勝利であつた。華府会議に於て、日本が、英米人等に屈服したことは、日本の外交の能力の足らなかつた為めであつて、責任は、日本側に在る。日本の当時の論客等にも、大な責任があり、又、政党の人にも、新聞記者にも責任がある。何等屈服することは、必要なかつたのである。日英同盟の廃棄も、日本人に責任があつた。あべこべに、この同盟の必要について、日本人が挙つて〈コゾッテ〉唱道していたならば、好かつたのである。「軍縮は世界の大勢なり」と、高く叫んだのは、一体誰れであつたのか、当時の日本の新聞を取り出して、再検討が必要である。
この種の感情論者は、「東洋から白人を駆逐せよ」なぞと唱える、これは無法の暴言である。日本は、亜細亜の主権者ではなく、又亜細亜人は同族でもない、何の理由あつて、この種の主張を唱え得るのであるか。この種の主張は、蓋しモンローの真似を為そうとするのであろうが、それは、米人依存主義である。この種の主張は、「欧洲から、ブルガリヤ人、フヒンランド人、匈牙〔ハンガリー〕人等を駆逐す可し」と唱える横暴と全く異らない。日本人は、日本国を大切にす可きである。そして、「普く〈アマネク〉人類の福祉に貢献す可き」義務あるものである。感情論は、害あつて理なく、又何等の利がない。日本人は、文明国たるの自信を確持し、一大文化の民たることに、国民を挙げて、全力を捧ぐ可きである。
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日本の今日の外交は、各国との協調政策を堅持している。それありて、初めて日本に外交ありと云える。人民は安心し得る。八方美人と云うような下劣の文句を以て、この正しい外交を罵るのは、罵るものが過つている、排英崇独の或論客は、過日東京日々新聞紙上に於て、感情論をザラリと列べた後に、「日独間には、何等利害の衝突なし」と書いていたのを見たが、ペテンを食わされても、唯だ屈服しているような自我心の失せ去つた日本人であるならば、「一切利害の衝突なし」、と云い切るのは尤〈モットモ〉と云える。
独逸の満足の為めには、青島と南洋諸島は、独逸にこれを返上せざるを得ない筈である。日本のみを抜きにして、他の諸国に対し、独逸が、委任地の還附を申込むとしても、他の諸国と日本とは、この南洋に関しては、固き関連がある。尚お華府に於て結ばれた太平洋上の領土不可浸の為めの四国の条約と云うものもあつて、相互に、これ等島々の確保を、保証してゐるのである。その故に、独逸との利害は、衝突せざるを得ないのである。
独逸と蘇聯〔ソビエト連邦〕と結びつき、一切の祈りを廃止し、共に国民に、宗教排撃を実行したならば、 それは、日本と衝突するに至ることも明かである。
東日〔東京日日新聞〕紙上の同じ崇独論者は、「米国が、英国を助くると同じように、日本は、独逸を助けよ」と説くのであるか、英米仏の三国を敵視して、果して、日本の為めに、何か得らるるのであるか、無責任の放言でないと云うならば、その論者は、充分に、具体的に、その説を立てゝ、全日本人民の正判を乞うことが、肝要である、中立国の日本人としては、何の為めに、特に独逸を助けるのか、全く不明の議論である。
日本は、中立で宜しく、独逸と英仏とをして、真剣に永く大いに戦わしめても好いのである。当年の英仏は、正しい戦争を為しつゝある、理としてはその勝利ある可きは当然である。大いに勝利あらしめても、世界の為めに何等の不利はない、英米仏の主張は、民主的であり、国と人民に産成りて、既に老熟した大国であり、突飛もなく、侵略もない国々である、その故に、ボルシビズムやナチズムに比して、遥かに、穏か〈オダヤカ〉であり、自由であり、民福的である、英米仏の勝利は、日本としても、何等の憂う可きものはないと云えよう。
当年の日本は大国である、過去の如くに、徒らに、他国に屈服することは最早ない筈である。他国も亦日本を侵し得ない筈である。日本の能力を益々拡大して、彼等と平等の権利を確持し、文化と進歩との上から、必然に、日本人の勢威が列国の上に出するように国民は、努力奮励す可きである。独逸に依存して、英国を排撃せん、とする主張は、所謂「夷を以て夷を征する」言論である。【以下、次回】
引用した箇所の最後のところで蜷川は、「独逸に依存して、英国を排撃せん、とする主張」を批判している。私は数日前に、牧野邦昭氏の『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書、二〇一八)を読み終えた。私が同書に見出した「結論」は、大日本帝国の敗因は、ドイツに依存してイギリスを排撃しようとしたことにあったというものである。蜷川新は、軍人でもなければ経済学者でもなかったが、「独逸に依存して、英国を排撃せん、とする主張」が、大日本帝国を滅亡に導くものであることを、一九四〇年二月の段階で予見していたと言えよう。