◎近衛は戦争を求めて戦争を得た(渡辺俊一)
渡辺俊一氏の論文「近衛文麿と国体主義」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した箇所のあと、次のように続く。なお、この論文は、渡辺氏の著書(論文集)『福沢諭吉の予言――文明主義対国体主義』(東京図書出版、二〇一六年四月)の一部である。
三国同盟の締結に関して首相である近衛〔文麿〕に最終的な責任があるが、第二次近衛内閣の外交の主役は松岡〔洋右〕であった。その松岡外交の思想的基礎として、従来見逃されてきたのが国体主義の役割である。八月一日の外交新方策が示しているように、松岡は皇道宣布を使命とする国体主義を外交政策の基礎とすると宣言していた。九月十九日の御前会議におけるドイツ大使との交渉の過程を説明する中で松岡は、「(支那事変は)我が建国以来伝統たる八紘一宇の大理想を実現せんとする決意の真剣なること、先ずこれを大東亜共栄圏内において試みんとするものなる旨を説き」云々と言った。さらに二十六日の枢密院における諮詢においても、松岡は「わが外交の使命は皇道の宣布にあり。利害得失のみによって動くものではない」と利害ではなく義侠を重んじる典型的な対外硬の主張をしている。松岡の外交政策は、客観的理性の目で見れば支離滅裂で誇大妄想的ではあるが、日本の無限の膨張を皇祖皇宗の遺訓として絶対化する国体主義の思想には忠実である。松岡という個人ではなく、国体主義という教義(doctrine)が誇大妄想的なのであった。それ故に、教育で国体主義に教化(indoctrinate)されていた一般民衆は、松岡を一貫して熱狂的に支持したのである。
この当時は、首相として近衛は明らかに松岡を支持し三国同盟を歓迎していた。二十七日の同盟調印の翌日に近衛は「重大時局に直面して」という放送を行った(下p161)。この中で彼は、「日支の紛争は、世界旧体制の重圧の下に起れる東亜の変態的内乱であつて、これが解決は世界旧秩序の根柢に横たわる矛盾に、一大斧鉞を加うることによつてのみ、達成せられる」と言い、「世界の諸民族が数個の共存共栄圈を形成すること」は、世界史の現段階における必然の勢いだとし、そのように旧秩序を打開して、新秩序建設のために共通の努力をしている日独伊三国が、互いに協力して軍事同盟を結ぶに至ることもこれまた必然だと述べ、国内の万民翼賛の挙国新体制の意義に論及し、「日本国家は非常時に際し、一人の暖衣飽食を許さず、又一人と雖も飢〈ウエ〉に悩む者あらしめず、億兆その志を一〈イツ〉にし、その力を協せて〈アワセテ〉、海外万里の波濤〈ハトウ〉を開拓」せねばならぬと、奮起を促したのである。
近衛の現状打破の新体制運動は国際的にも適用されるものであった。彼は、日支事変を世界の旧体制に挑戦する内乱と規定して、根本的解決には世界の旧秩序に斧鉞【ふえつ】を加える、すなわち武力の使用が必要と述べて、日本が新興勢力の独伊と結び、英米主導の旧体制を軍事力も使用して打破する意図を明確にしている。それ故に国民に非常時における覚悟を求め、「億兆その志を一にして」と教育勅語由来の言葉を使い、国民を海外への進出に煽動している。これは明らかに戦争への呼びかけであり、この放送からは決して平和を求め戦争を避ける意志など見つけることは出来ない。近衛は戦争を求めて戦争を得たのである。この放送から、後に近衛が弁明するような、三国同盟は日米戦争を避けるためという意図など少しも感じられない。【以下、次回】
以上、二二八ページ下段から二二九ページ下段まで引用した。
文中、「ドイツ大使との交渉の過程」とあるところは原文のまま。文脈からすると、「ドイツ特使との交渉の過程」が正しいように思える。