礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ローマ帝国の復興を夢想したムッソリーニ

2021-10-24 01:36:09 | コラムと名言

◎ローマ帝国の復興を夢想したムッソリーニ

 重光葵の『昭和の動乱 上』(中央公論社、一九五二年三月)から、「三国同盟 その一」の章を紹介している。本日は、その二回目。

     三
軍事同盟の対象 ベルリンにおいては、大島〔浩〕武官は、防共協定成立以来、軍中央部の意向を体してドイツ側と密接に連絡し、親善関係を開拓した。元来防共協定は、共産党の世界攪乱工作に対抗するものであるから、その危険を感ずる諸国は、理論上これに参加すべきであつた。イタリアが、逸早くこれに加はつたがために、防共協定は、日独伊三国を中心とするものとなつた(一九三七年十一月)。その後、直接ソ連の危険に曝されてゐる独伊の友国スペインや衝星諸国が、漸次加入するに至つた。ここにおいて、防共協定に関する限り日独伊三国の結合はすでに出来てゐたわけである。然しながら、防共協定締結の際におけるソ連に対する軍事上の地位に至つては、日独とイタリアとの間には、地理的に根本的な差異があつた。従つて、防共協定附属の秘密取極めは、単に日独両国の間の問題に止まつて、イタリアは勿論、他の防共協定加入国も関知してゐなかつた。
 然るに、今新たに軍事同盟締結の目的をもつて、日独間に防共協定強化の交渉を進めるに当つては、もはやイタリアを除外することは勿論、欧洲の形勢は、その対象を、単にソ連に限定することも、許されぬやうになつて来た。
 軍事政治関係から見れば、イタリアの対象とするところは英国であつた。ムッソリーニは、地中海を中心にイダリアのインベリウムの建設に邁進してゐた。エチオピアの征服(一九三六年五月イタリア=エチオピア合併宣言)によつて、伊領エリトリアとともに、スエズ運河を越えて、大植民地を建設せんとし、北部アフリカのキレナイカ、トリポリの伊領植民地はすでに開発されつつあつた。イタリアは、また地中海の東隅ボスフォラス海峡の附近に、トルコに接近して、一九一一年以来、多数の島嶼(ドデカネス諸島)を有してゐた。バルカンは勿論、小アジア及び北阿〔北アフリカ〕並びにバレアル列島、地中海沿岸の広大なる地域は、ファッショ=イタリアの野心の対象であつた。ローマ帝国の復興を夢想してゐるムッソリーニの野望は大きい。イタリアは、ムッソリーニの指導下に、急速に内外の発展をなしつつあつたのであるが、その野望は、直ちに英帝国の利害と衝突することとなる。何となれば、ムッソリーニのこの計画は、英帝国の連鎖を意味する地中海におげる英国の実力を排除し、その永き指導的地位を奪はんとするにあるからである。英国は、世界帝国たる地位を擁護するために、ファッショ=イタリアの発展策に反対するとともに、直接欧洲におけるその指導権を維持するためには、ヒットラーの東進政策を黙認するわけにも行かぬ。仏国の地位もまた、全く英国の地位に準ずるものである。独伊の発展政策の進行は、英仏の反抗を日一日と結晶せしむるに至つた。英仏の政策が、独伊のこの上の進出を阻止せんとするものであつたことは云ふまでもない。思想的にもまた、英仏は到底ファッショ、ナチと一致するものではない。ドイツが東進を策すれば策するほど、英仏に対する背後の手当が必要となつて来るし、イタリアが発展を望めば望むほど、ドイツの援助を必要とする。独伊の枢軸提携は、英仏の接近に伴つて、一層強化される必要があつた。即ち、ドイツが英仏を共同の対象とするやうに、欧洲の形勢は次第に発展して行つたのである。ドイツとしては、日本との間に三国同盟のことを交渉するに当つて、イタリアの対英関係をも考慮に入れずしては、意義をなさぬと考ふるに至つた。
 しかし、日本の立場は、自ら〈オノズカラ〉独伊の立場とは根柢的に異なるものがなければならぬ。ソ連のみならず英仏(従つて結局は米国をも)を相手とするやうな軍事同盟を締結し、日本を世界戦争に引き込む如き、破滅的政策を遂行する無謀は、日本の進むべきところではないと、なほ意識的に一般に考へられてゐた。【以下、次回】

 ここで重光は、三国同盟の背景となった欧州における対立構造(独伊vs.英仏)について素描している。昭和前期の日本は、この対立構造に巻き込まれたのである(あるいは、みずから跳びこんだのである)。

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