礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和天皇、板垣陸相を叱責(1939)

2021-10-28 01:50:02 | コラムと名言

◎昭和天皇、板垣陸相を叱責(1939)

 重光葵『昭和の動乱 上』(中央公論社、一九五二年三月)から、「三国同盟 その二」の章を紹介している。本日は、その三回目。

     四
三国同盟の昻進 三国同盟の交渉は、軍を中心に、内外にわたつて、揉み抜いた。平沼〔騏一郎〕内閣は、遂に一九三九(昭和十四)年五月二十日及び六月四日の五相会議において根本国策なるものを審議し、ドイツとの関係を、更に緊密化するための交渉を開始することを決定した。しかし、ドイツとの関係を緊密にする具体案に至つては、決して意見が一致してゐた訳ではなかつた。無条件に三国同盟を支持する軍部派の意見と、同盟の目的を対ソ問題に限定せんとする外務省側の意見とは、最後まで調和せず、寧ろ個人的感情問題にまでなつた感があつた。 
 大島〔浩〕大使は、軍中央の意向を受けて、三国同盟の成立に向つて熱心に交渉し、ドイツ測の意見の如く、一般的同盟条約の形式を採用することを進言し、また東京出発の際、軍の意のあるところを熟知してゐた白鳥〔敏夫〕大使は、陸海軍武官とともに、側面より援助し、この案に反対した有田〔八郎〕外相に対抗して、訓令をも無視して行動した。出先両大使の活動は、東京外務本省の考へ方とは非常に喰ひ違ひ、越軌の行動ありとさへ云はれた。いづれも皆、軍部と連絡した上の行動と見られたので、天皇は、板垣〔征四郎〕陸相に対して、天皇の憲法上の外交大権は、軍の干渉すべきものではない、と叱責せられたくらゐであつた。
 国内においては、三国同盟の締結運動は露骨に行はれ、その余勢は、反英示威運動となつて、何時〈イツ〉治安をも紊す〈ミダス〉に至るかも知れぬやうになつたので、木戸〔幸一〕内相は、平沼首相に対して、何とか問題に結末をつけねば、帝都の秩序を保つことが出来ぬかも知れぬ、と警告するに至つた。
 満洲事変以来、無責任なる右翼と、計画的なる左翼との合作になる反英運動の行列は、英国大使館に押しかけるに至つた。冷静な批判に欠けた、かやうな狂乱行為は、大国民として恥づべきことであつたが、もはや軍部も一般人も、甚だしく思ひ上つた状態にゐたのは是非ないことであつた。【以下、次回】

今日の名言 2021・10・28

◎天皇の憲法上の外交大権は、軍の干渉すべきものではない

 昭和天皇の言葉。昭和天皇は、三国同盟の成立に向けて、軍部に越軌の行動があったと見て、板垣征四郎陸相に対して、こう叱責したという。上記コラム参照。

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