◎東京は三度ぐらい丸焼けにされる(山本五十六)
渡辺俊一氏の論文「近衛文麿と国体主義」を紹介している。本日は、その四回目。昨日、紹介した箇所のあと、次のように続く。なお、この論文は、渡辺氏の著書(論文集)『福沢諭吉の予言――文明主義対国体主義』(東京図書出版、二〇一六年四月)の一部である。
当時三国同盟に強く反対した人々の意見は、後で事実によって証明されたように客観的根拠に基づくものであった。山本五十六は原田〔熊雄〕に、三国同盟は言語道断だと憤慨し、米国と戦争するのは、殆ど全世界と戦うことだ、ソ連など当てにはならぬ、自分は最善を尽くして長門の艦上で討死〈ウチジニ〉するが、「その間に、東京あたりは三度ぐらゐまる焼けにされて、非常にみじめな目に会ふだらう。さうして、結果において近衛だのなんかが、気の毒だけれども、国民から八裂きにされるやうなことになりやあせんか。」と言った。日本が世界を相手に戦争をして、東京が丸焼けになるという予言は的中した。山本はそのような結果をもたらした張本人は近衛〔文麿〕であり、国民に八つ裂きにされて当然と考えていた。池田成彬〈シゲアキ〉も「近衛は、米国の参戦を抑える意図だつたという。これは大変な間違いだつた。私は三国同盟をやれば、日米戦争は必至となると考えていた。米国人から私に来た手紙などでもそう察せられた。それを近衛にも話したんだが」(下p166)と語った。
この様な同盟反対論への反論が、近衛がドイツ崩壊後に書いた「三国同盟に就て」(下p167)という手記である。言い訳と責任逃れに満ちた三国同盟に関するこの文章は、近衛という人間の本性を示すものである。彼は同盟の第一の目的は米国の参戦防止にあり、同盟締結後一年以上米国の参戦がなかったことは同盟の効果であったとその正当性を主張する(下p168)。米国が戦争準備を整え対日開戦の機会を窺っていたという状況が存在した場合にだけ通用する理屈であるが、そのような事実は無かった。三国同盟によって日本は、殆ど悪魔視されていた邪悪なドイツと同列になり、米国の明確な敵となった。米国における対日戦のハードルは一挙に低くなったのが事実である。
そして三国同盟締結の理由について近衛は、日支事変の結果、米国との間係が悪化して殆ど話し合いの余地がなくなったので、敵陣営の独伊と結び米国の反省を促そうとしたためだと述べている。典型的な対外硬の思考法である。敵である米国人の心理も知らず、こちらが強く出れば 相手も折れてくるであろうという主観的で希望的な観測で政策を決定した。米国人が嫌悪するドイツと結べば日本もその仲間として敵意の的となる。正義感の強い米国人は、力を背景に脅迫されればより強く反発する。この様に米国の敵意を高めておいて、「最後の狙いは対米国交調整」(下p169)であったなどという主張は米国に通用しない。後に、近衛がルーズベルト大統領との直接交渉に戦争防止の望みをかけ、ルーズベルトも一時は乗り気になったが、ハルが近衛は日支事変と三国同盟の責任者であった事実を指摘して挫折させた。三国同盟こそが首脳会談の障害となったのである。
そして最後に近衛は、次のように三国同盟を正当化する。三国同盟は妥当なものであった。親英米派の同盟反対論はドイツ敗退後の結果論で、科学的根拠に基づくものでなくて感情論に過ぎなかった。それ故に自分はそれに同意できなかったと主張している(下p171)。ドイツ敗退後どころか、同盟締結の前に唱えられた同盟反対派の主張は、全てその後の事実によって、その正しさが裏付けられている。三国同盟で、米国は日本を明確に敵と見定め、日本は世界を敵に回して戦い、東京は空襲で丸焼けになった。同盟反対論が客観的根拠に基づく科学的議論だった何よりの証拠である。松岡や近衛による、世界は数個のブロックに分割されるとの予想、同盟は米国との戦争を避けるためとの理由付け、ソ連も同盟に加入させるなどという主張こそが、ドイツの軍事的成功という表面的事象に目を眩まされた、無根拠の希望的感情論の妄想であることをそれから一年も経ずにして露呈したのである。【以下次回】
以上、二三一ページ上段から二三二ページ上段まで引用した。
文中、山本五十六の言葉が引用されているが、『福沢諭吉の予言』の巻末にある「註」によれば、典拠は『西園寺公と政局 八』三六六ページ(引用者は未確認)。
また、文中、下線は引用者による。ここは、もう少し説明がほしかった。引用者はここを、「米国は対日開戦の機会を窺っていたが、三国同盟締結の段階では、まだ戦争準備が整っていなかった」と理解したが、渡辺俊一氏からは誤読と判定されるかもしれない。