礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

三国同盟は荻窪会談ですでに合意に達していた

2021-10-30 03:12:23 | コラムと名言

◎三国同盟は荻窪会談ですでに合意に達していた

 本日以降は、重光葵『昭和の動乱 下』(中央公論社、一九五二年四月)から、「三国同盟 その三」の章を読んでみたい。この章は、同書の第七編「日独伊の枢軸(近衛第二及び第三次内閣)」に含まれている(一七~二二ページ)。

荻窪会談 第二次近衛〔文麿〕内閣の最も重大なる使命は、外交方面であつた。換言すれば、いかにしてこの方面の軍部の要望をみたしてゆくか、といふにある。大政翼賛会といふ国内改造に関するナチ版の翻訳は、対外問題としての三国同盟と相〈アイ〉表裏するものであつた。海軍も米内〔光政〕内閣倒れ、山本(五十六)次官が連合艦隊司令長官として出で、及川(古志郎)、豊田〔貞次郎〕次官はもはや三国同盟に異存は云はなくなつた。海軍の実勢力は、南進派の強硬派が大勢を制してしまつたのである。ドイツのことに知識のない、欧洲問題に暗い松岡〔洋右〕外相は、すでに軍部の虜〈トリコ〉となつてゐて、外務省出先の意見を無視して、軍部の判断と意見とに聴従し、ドイツの宣伝をそのまま受け入れた。
 ドイツは、すでに一九四〇年度の英国上陸作戦を放棄してゐた。四〇年度の英国上陸作戦の放棄は、対英上陸作戦そのものの放棄を意味し、いはゆる英国の戦ひは英国の勝利に帰したわけである。その意義を最もよく知つてゐるドイツは、英国侵入は決して放棄せられたものでなく、単に一時延期したにすぎぬことを、世界に信ぜしめんと、百方努力した。ドイツは何時にても、対英上陸作戦に成功する自信を有つてゐる、その作戦は一九四一年には必ず実行する、その時は英帝国の潰滅する時である、と宣伝し、日本にそれを吹き込むことに全力を尽した。また日本はこの形勢を利用して、東南アジア方面に進出して、シンガポールを攻撃し、英帝国の崩壊に際し、十分の分け前を得る権利を獲得すべきである、日本はこの千載一遇の機会を逸しては、機会はふたたび来ぬであらう、とドイツ当局は日本軍部の説得に努めた。
 日本側は、バスに乗り遅れぬやうに行動せねばならぬ、といふ気持で一ぱいであつたので、三国同盟締結の腹案は、組閣を目的とする荻窪近衛公邸における会議で、すでに、合意に達してゐた。この会議には近衛、松岡、東條〔英機〕、吉田〔善吾〕等の諸氏が出席してゐた。さすがに海軍は、この重要決定に苦慮したものと見え、吉田海相は病気となつて職を去り、及川大将が代つて三国同盟に賛意を表した。【以下、次回】

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