礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「神社制度調査会」に対する宗教界の反応

2022-09-01 02:36:14 | コラムと名言

◎「神社制度調査会」に対する宗教界の反応

「神社制度調査会官制」が発布されたのは、一九二九年(昭和四)一二月九日であり、「神社制度調査会」の第一回総会が開かれたのは、同年の一二月一七日であった(昨日のブログ参照)。
 こうした動きに対し、宗教界の反応は早かった。以下は、赤松徹真教授の論文〝総戦力下の神仏問題と本願寺派「宗制」〟からの引用である。

 仏教界は、この神社制度調査会の動向に対して注視していた。真宗十派からなる真宗各派協和会は、一九二九(昭和四)年四月十四日に真宗各派協和会神社制度調査会規程を作成し、調査会を設置した。調査委員長には真宗木邊派管長木邊孝慈〈キベ・コウジ〉が就任し、調査委員、調査嘱託を置き、理事には花田凌雲、下間空教〈シモツマ・クウキョウ〉、奥博愛〈オク・ハクアイ〉らが、幹事には先三人と市田勝道〈イチダ・カツミチ〉を選出した。そして、神社問題について、「神社の本質上、宗義、法制上から、また神社を公法人、私法人」としての調査研究を行うことになった。また、神道十三教派当局者から組織していた神道各教派連合会では、神社制度調査会の設置以来、臨時会合をかさねて神社問題に関する調査を行っていた。日本基督教連盟でも一九二九(昭和四)年十一月に神社問題調査委員をおいて神社問題に関する調査を行った。
 先の真宗各派協和会は、「卑見」と題する声明書を浜口雄幸〈ハマグチ・オサチ〉首相、安達内相、田中隆三〈タナカ・リュウゾウ〉文相、及び神社制度調査会委員に提出した。この声明書は、明治以降の神仏関係に関わる真宗教団の立場を改めて明確に表明するもので、また政府に神社神道非宗教説にもとづく、神社崇敬国民道徳説という従来の方針堅持を求めるものであった。長くなるが、真宗各派協和会の声明をあげておく。〈二〇八ページ〉

 これによると、真宗各派協和会が「真宗各派協和会神社制度調査会規程」を作成したのは、一九二九年(昭和四)四月であり、日本基督教連盟が神社問題調査委員を置いたのは、同年一一月である。いずれも、「神社制度調査会官制」が発布されるよりも前である。仏教関係者やキリスト教関係者が、神社制度調査会の設置に対し、警戒心を抱いていたことが看取できる。
 同論文は、このあと、真宗各派協和会の声明書「卑見」を引用しているが、その紹介は、次回で。

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