◎傲慢罪に問われるのは「私」だけでない
今月二日、近所の新刊書店で鮫島浩さんの『朝日新聞政治部』(講談社)を購入した。ほぼ一晩で読み終えた。読み終えたあと気づいたが、購入した一本は、二〇二二年七月八日発行の第五刷で、奇しくも、安倍元首相が銃撃された日の発行であった(第一刷の発行は同年五月二五日)。
三日の夕方、つたないレビューをしたためて、アマゾンに投稿した。もちろん☆五つ。珍しいことに、数分後にはアップされていた。レビューで指摘したのは、次の三点である。
本書193ページ11行目に、「文化団体や宗教法人の不正を追うものもあった」とあった。この「文化団体や宗教法人」に、安倍元首相に対する銃撃事件のキッカケになったとされる某宗教団体は含まれるのか。また、その「文化団体や宗教法人の不正」は、記事になったのか。まず、この点が気になった。
116ページ9行目に、「出る杭は打たれるのだ」とある。ここで、このコトワザを引用するのは適切とは思えなかった。ここは、「水に落ちた犬は打たれるのだ」としたほうがよいと思った。出る杭は打たれるが、「出すぎた杭は打たれない」。ただし、水に落ちた場合は別である。「出すぎた杭」が水に落ちた場合は、完膚なきまでに打たれる。
本書を読んで、最も印象に残ったのは、「序章」であった。特に、特別報道部デスクを解任された後、奥方から「あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」と喝破される場面であった(16ページ)。
そのあとの本文も、かなり強烈だったが、「序章」の強烈さは、それをはるかに上回っている。本文が、序章を意識した「言い訳」になっている。最後まで読み終えて、なお、序章の強烈さが深く印象に残る。
私が編集者だったら、「序章」の内容を、「終章」あるいは「おわりに」の位置に置いたらどうかと提案したと思う。その上で、「序章」18ページにある「『傲慢罪』に問われるのは、私だけでないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた『傲慢罪』に問われているのだ。」という一文を以て、本書のコンセプトとする。――
そのようにしたら、本書の読後感は、もう少しスッキリしたものになったのではないだろうか。
別件だが、昨九日の午後五時過ぎ、今年はじめて、ヒグラシの声を聞いた。