礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

君たちは学問がありすぎて常識を働かさない

2022-09-21 01:37:27 | コラムと名言

◎君たちは学問がありすぎて常識を働かさない

 山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)の紹介に戻る。本日は、その五回目。本日、紹介するところは、四回目と同じく、「第二 古典の研究」の一部である。

 ……其の位の機転が利かないと云ふと古典の研究は出来ない。又古い書物の研究も出来ない。今迄の学校の先生は本は本、生活は生活と別にしておいでになるから、ものになつて居ないと云ふのが相当多かつたと私は見て居る。実は私も中学の教師もしたし、小学の教師もしたが、さう云ふ意味に於て私は前科者です。人の悪口を云つて居るのでない。自分はさう云ふことをやつて来た。今日に於てそれを悔い改めて居る訳です。以上は古典が昔話でないと云ふ意味で申すのでありますから、まして平安朝位の歌は昨今の話と云つてもよい。それを蝉丸などと云ふと千年程前の昔の人だと云ふことばかりを考へておいでになるから、話がむつかしくなつてしまふ。兎に角〈トニカク〉現代の有らゆる知識の動員が必要です。有らゆる知識の動員をやつて来れば、分りにくいことでも幾等か分つて来るのであります。是も少し脱線気味でありますが、或る時考古学者が斯う云ふことを言つて居た。昔の土器の裏に沢山の同心円を渦巻のやうに押して居る。大きな円、小さな円、蛇の目のやうに、幾つも幾つも土器の裏に円を押して居る。極く親しくして居るその友人が私に向つて、「山田君、昔の人は偉いものだ、ぶん廻し〔コンパス〕も何にもなくして斯んなに旨いこと幾つも円をちやんと画くことが出来る。大したものだ。偉いものだなあ」といふのです。私は「そんなこどは何でも無いことだ。君の家の薮へ行つて太い竹細い竹をいろいろまぜて十本程切つて来る。それをポンポンと押すと何でもないことでは無いか。君等は自分の学問の力に負けて居る。自分達のやるやうなことしか古人はやらぬと思つて居る。昔の人はそんなものでばない。大体君達は学問があり過ぎて常識をはたらかさぬからいかぬ。細い竹なら小さいし、太いものなら大きいものが出来る。それは」と申しました。吾々が常識を動員して来て其の昔の色々な事柄を解釈すると云ふのは斯う云ふ事柄なのであります。是は何も古典ばかりではないのである。どんな場合に於ても是だけの用意がなければいけない。〈四五~四六ページ〉

 山田孝雄は、独学によって独自の国語学・文法論を打ち立てた碩学である。富山尋常中学校を中退したあと、小学校、中学校の教員検定試験に合格し、小学校、中学校の教壇に立ったこともある。そういう苦労人・独学者が吐いた「君達は学問があり過ぎて常識をはたらかさぬからいかぬ」という言葉には、なかなかの重みがある。

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