礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

我が国では字体の統一をやかましく言わない

2022-09-17 00:25:32 | コラムと名言

◎我が国では字体の統一をやかましく言わない

 山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)を紹介している。ただし、「脱線している部分」を中心とした紹介である。本日は、その四回目。本日、紹介するところは、「第二 古典の研究」の一部である。

 古事記で申しますならば、古事記と云ふものは今から千二百年程前に書いたものであります。其の千二百年前に使つて居た文字は今日と大部分は固より〈モトヨリ〉同じであります。だからさう云ふものには余りさう力を要しなくても良いかも知れませぬが、場合によりますと云ふと、文字の調べが不十分な為にとんでもない間違が起ることがあります。古事記伝の中に本居〔宣長〕先生が非常に著しい間違をして居られるのが一つある。それは上の巻の八岐の大蛇〈ヤマタノオロチ〉が酒を飲んで、さうして酒に酔つて、終ひに殺されるあそこの記事であります。
   於 是 飲 酔 死 由 伏 寝
斯う云ふやうに傍線を引いてある所のやうな字を書いて居る。是は此の死と云ふ字と由の字と二字にして普通の板本である。寛永本はさう書いてある。それが京都の私共の友人で猪熊信夫と云ふ人の持つて居る写本は、寛永の版本の元の本になるだらうと思ひまずが、しかしながら全く同じ本といふ訳でないのであります。それが矢張り斯う云ふ二字です。それを本居先生は之を非常に読みにくいことにして色々の意見を述べて居られる。併し此の二字に書いて居るのは無論誤りでありますが、名古屋の真福寺にある古い本など、是が一字になつて■と云ふ字になつて居ります。今日の我々の文字の知識で考へると問題はないのでありまして、死ぬる由とか何とか云ふことは必要でない。是は留めると云ふ留【リユウ】の字です。支那は六朝〈リクチョウ〉時代即ち御存知の通り南朝、北朝と朝廷が幾つにも別れて、其の多くの朝廷が又興亡常ならぬものでありますから、風俗、習慣が非常に分裂したのです。それで文字の異体と云ふものが色々生じて来るのであります。もとより言葉も色々生じました。それ故に文字の形も亦色々になりました。その後隋が起つて支那を統一し、唐がそれを受けて完全に統一したのであります。ところが文化的の統一はなかなか出来ない。併しながら唐の中頃になりますと云ふと文字の統一などが行はれまして、有名な干録字書〈カンロクジショ〉などと云ふ本が出て、是でまあ文字の体形が略々〈ホボ〉統一したことになります。支那ではさう云ふ風にして文字の統一が落ちついたのです。それは唐の中頃からの事でありましたのです。我が国に於ては色々支那のものを手本に致しましたけれども、此の字体の統一と云ふやうなことは我が国では余り喧ましく〈ヤカマシク〉言はない。それで我が国の古典には此の六朝時代に行はれました色々の文字の姿が其の侭古典に使はれて居ります。今古事記の文字などに付て申しますと、古事記を書いた時分にはまだ支那では干録字書などと云ふものが出来ない時分であります。〈三四~三六ページ〉

 文中、■は表記できなかった。「留」の異体字で、上半分が「死」、下半分が「田」。
 山田孝雄は、「漢文は大嫌ひなんだ」と公言していたが(今月一四日のコラム参照)、実際は、漢学にも造詣が深かったのである。

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