◎是だけの文章は滅多にない(齋藤拙堂)
山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)を紹介している。本日は、その一〇回目。
本日、紹介するのは、「第四 古事記序文総論」の最初と最後の部分である。ここで山田孝雄は、古事記の序文が漢文として優れていることを強調している。なお、この「第四 古事記序文総論」に関しては、「脱線」しているところはない。
第 四 古事記序文総論
古事記と云ふものはどう云ふものであるかと云ふことを我々が手取り早く知りたいと致しますと、古事記全体を読んで居ると云ふことは暇がかゝると致しますれば、古事記の序文を読んで見れば分る訳であります。此の序文は先に申しましたやうに上表文でありますから、勅命を奉じて古事記を斯の如く編纂致しましたといふことを上奏する為の文であります。上表の表と云ふことはものを明らかにする意味を持つて居るのでありますから、所謂簡単にして明瞭に古事記其のものの本質なり、内容なり、組織なりを明かに読み取ることが出来るだけの組織を持つて居るのであります、唯古事記の本文は御存知の通りの文章で書いてあるに拘らず、上表文の方は漢文で書いたと云ふことはどう云ふ訳であるかと申しますと、初めに申しましたやうに、大化の改新以後国家の公の文と云ふものは詔勅も、法命も皆漢文で書いてあります。詔勅や法令若くは我々が御上へ出す時の届けに致しましても、報告に致しましても皆漢文でやるのが正式です。況んや上表文は固より漢文で書かなければならぬのでありますが、上表文などと云ふものは昔から書き方が決つて居りまして濫りに書くことに行かない。これらの文章は四六文と申しまして四字と六字が文の基礎体であります。而して斯う云ふものは駢儷体〈ベンレイタイ〉と申しまして対句が本体であります。此の四六文、若くは四六駢儷体と申しますものは今の漢文をやる方には余り親しみがない。只今は所謂唐宋八家文〈トウソウハッカブン〉と云ふやうに韓退之〈カン・タイシ〉とか柳宗元〈リュウ・ソウゲン〉とかいふ人が出て来て古文と云ふものを重んじることになり、四六文はつまらぬものであると言つて退ぞけてしまひましたのですが、徳川時代から引続いて漢文をやる方々は皆古文の方をやりまして、古事記の上表文のやうなものは余り親しみがないのですけれども、此の四六駢儷体と云ふものの性質を知つて居なければ此の頃の文章の意味をよく汲み取ることは困難です。それで私が其の本の文の組織の仕方をば土台にして分るやうに分けて置きましたのを一往読んで見たいと思います。〈七八~七九ページ〉
【七九ページの途中から八八ページの途中までを割愛】
斯う云ふう訳であります。此の和銅五年正月二十八日、是が日附でその次が署名でありますから是は講話には除きます。それから初めの
臣 安 麻 呂 言
と云ふのと、一番終りの
臣 安 麻 呂、誠 惶 誠 恐 頓 首 頓 首。
と是は御挨拶の言葉でありますから、是は全体の文章には関係して居りませぬ。其の中間の本文が所謂四六駢儷体の文と云ふことになるのであります。此の四六駢儷体の文と云ふものの構造法を一往御話して置く必要があるかと思ひます。
是は四字と六字が本体になります。さうして序文を分解して下に色々名前を書いてありますが、是は全体で十三種類あるのであります。其の十三種類に依つて此の駢儷体と云ふものが組織せられて行くのであります。此の文章と申しますものは四六駢儷体の文章でありますから、余りさう立派な文章でないかの如くに考へられるかも知れませぬけれども、併し此の文章は非常に優れた文章でありまして、漢文の方から申しましても普通の人には私は出来ない文章であると思ひます。御承知の通り幕末の頃に伊勢の津に齋藤拙堂と云ふ文章家がありました。今の漢文教科書にも時々拙堂の文章が載せてありますが、此の齋藤拙堂の拙堂文話と云ふのがあります。それには斯ふ云ふとことを言つて居ります。
太安萬呂古事記、野相公令義解序、微古典雅、文辞爛然、不得以排偶之文貶之。
と云つてゐる。排偶の文と云ふのは此の四六駢儷体のやうに四字六字を以てし、その上に対句を使ふのを排偶と申します。其の幕末の第一等の文章家といはれてゐる齋藤拙堂が是だけの文章は滅多にないと言つて褒めて居る程立派な文章です。近頃古事記は偽作だなどと云ふ人があります。偽作を仮りにしたとするなら此の序文を何人〈ナンピト〉が偽作し得るか。此の文章を偽作し得る人は滅多にないと思ふ。菅原道真公の時代になればもう此の序文は書けませぬ。まあ此の位の文章をどうしてでも書き得られるならば、徳川時代に出た荻生徂徠〈オギュウ・ソライ〉位のものだらうと思ひます。非常な学殖がなければ書ける文章でないのです。しかし徂徠は日本の学問が不十分だからこれは恐らくは書けまい。とにかく文章の方から言つても大したものです。まあそれは別問題と致しまして、此の古事記の序文は私は之を読んだだけで古事記其のものの精神が分り、之を読んだだけで古事記の組織も一通りは分ると思ふ程重大なものだと思つて居るのです。処が昔から此の古事記の序文を重んじない。本居〔宣長〕先生などは非常に軽く見て居られる。それは漢文で書いて居るからと云ふことでありませうが、漢文で書いても良いものは良いといはねばならぬ。それで是からずつとこれの説明を致します。〈八八~九〇ページ〉
ここまでが、『古事記』の「序文」の総論である。ちなみに、山田孝雄の『古事記講話』は本文二八七ページだが、このあと九一ページから二八七ページまでは、すべて、その「序文」の解説に充てられている。