礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ローマ帝国における皇帝礼拝の起源

2022-09-12 02:13:23 | コラムと名言

◎ローマ帝国における皇帝礼拝の起源

 松木治三郎の『新約聖書に於ける宗教と政治』(新教出版社、一九四八)を紹介している。本日は、その二回目。
 本日は、同書の第一章「ロマ帝国とその宗教政策」の「2 ロマの宗教」の後半にあたる部分、すなわちローマ帝国における皇帝礼拝について論じている部分を紹介してみたい。

 最後に、ロマの宗教史に於いて重要な位置を占め特に本書の問題に直接に関係ある皇帝礼拝に就いて簡述しておかねばならない。
 まづ古代ロマに於いてすべての男はゲニウス(genius)をもち、すべての女はユノー(juno)をもつと信ぜられた。ゲニウスは今日明確な表現は困難であるが、もし人間をスコラ的に分析し、体、魂、霊と見るならばゲニウスは人間の魂よりもむしろ霊に似てゐると云はれる。ゲニウスは活ける純粋な精髄であり、人の生命と共に生れ、死の後も尚活きつづける人間の霊である。恰度〈チョウド〉天に在る活ける精霊と人の守り神との混合の如きものである。このゲニウスが家長たる父の死後、絶ゆることなく燃えつづける聖火の前にて祭られたことは先に述べた。が更に父の誕生日等に家族は父のゲニウスに供物をし、又人は自己のゲニウスを、或ひは友のゲニウスを慰撫することを許された。だから父の父(Pater Pateriae)としての皇帝のゲニウスを尊びこれを祭ることはロマ国民一般に不自然ではなかつた。事実ロマの創設者と信ぜられたロムルスの祭は共和制時代を通じて行はれた。彼は既に死せりとは云へ尚地下に生存して国家を守護すると信ぜられ、これの祭が行はれた。しかしこれ等は皇帝礼拝の素地とはなり得ても、まだそこには随分と大きな距離がある。これを埋めるものは外から来た。
 他方ギリシヤの哲学者達は、すべての神々オリンピアの神々でさへも結局偉大なる人々であると教へた。又その民族を保護し繁栄せしめた王や英雄はその徳と功とによつて、不滅性と活ける威力とをもつとせられ、後の時代の伝説的讃美も加つて、神々と共に祀られた。かかる素地に、王を神として崇めこれに絶対に服従する東方諸国の伝統的信仰と思想とが入り込んで来た。その決定的契機となつたのはアレキサンドロス大王の東征である。これによつて西洋のギリシヤ文化と東洋の宗教的文化とが混淆し、へレニズム即ち東洋化されたギリシヤ文化が生れたのであるが、彼の軍隊が東洋諸国に連勝の旅を進めた時、いたるところで、君主を神として崇め拝跪するのを目撃し、自らも亦神として歓呼せられたであらう。かくてギリシヤ人なる彼の胸中に神的英雄の自覚が生じて来たであらう。その植民地よりは、半ば阿諛〈アユ〉的に彼を神として崇めると申出でた。がこれによつて彼自ら生前神と称したかは不明である。しかし死後直ちに神とせられ、更に彼の後継者達特にエジプト、シリヤ、小アジヤに於いては国家統一の政策として遂に生ける国王自らが神と称し、これを国民が礼拝する事を要求した。かくてやうやく皇帝礼拝が一般に盛んになつた。ロマはかかる東洋化せるギリシヤから決定的な影響をうけたのである。【以下、次回】

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