礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

帝皇の日継と云ふのは一言葉で言へば皇統譜です

2022-09-23 00:42:13 | コラムと名言

◎帝皇の日継と云ふのは一言葉で言へば皇統譜です

 山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)を紹介している。本日は、その七回目。本日、紹介するところは、「第三 古事記の由来と内容」の一部である。

 それから古事記を歴史だと云ふ人がありますが、歴史と云ふのは古事記の様なものを云ふのだちいふことならばそれは歴史といふことになるでせう。けれども我々の考へて居る歴史と云ふものはさう云ふものでない。結局古事記は歴史でもない。何だと云ふと斯う云ふより仕方がないのです。古事記の序文に書いてある通りに帝皇〈テイオウ〉の日継〈ヒツギ〉及び先代の旧辞〈クジ〉、斯う云ふものになつてしまふ。然らば帝皇の日継と云ふものは何であるか、斯う申しますと云ふと、是は今手取り早く私は現代の制度で申します。皇室典範の中に皇統譜と云ふ言葉がある。皇統譜と云ふものを規定してあります。大正十五年〔一九二六〕に皇統譜令と云ふものが出まして皇統譜に関する皇室令が出ました。さうして其の皇統譜令の中に皇統譜の大綱が、又皇統譜の施行規則に皇統譜の書式が出て居ります。此の書式を見ますと云ふと古事記を其の侭持つて来た様なものになつて居ります。是は天皇様の所の例を読んで見ますと云ふと、天皇様の御一代は此の皇統譜としての記載例が決つて居る。天皇の御名、父、母、それから何年何月何日午前何時何分、何の所に於て誕生す、何年何月何日命名す、何年何月何日立太子の礼を行はる。それから其の後に何年何月何日践祚〈センソ〉す、何年何月何日何と改元す、何年何月何日即位の礼を行はる、何年何月何日大嘗祭を行はる、何年何月何日成年式を行はる、何年何月何日何々の内親王と大婚の礼を行はる。何年何月何日皇太子にお立ちになる。それから是は摂政が出来た場合の事ですが何年何月何日摂政になる、何年何月何日摂政をやめる、何年何月何日崩す、これは御崩れ〈オカクレ〉になつた場合です、何年何月何日午前何時何分の所に於て崩御す、何年何月何日何天皇と追号す、何年何月何日大喪儀を行ふ、何年何月何日何の所に葬る、何年何月何日の陵と定められる、斯う云ふことが書いてあります。是が皇統譜の書き方であります。是が現在の規則です。大体此の通りの事が古事記に書いてある。帝皇の日継と云ふのは一言葉で言へば皇統譜です。だから現代の知識を動員したら分ると云ふのがそれです。皆様が皇統譜令の附録を御覧になつて古事記の記事を分解して照し合せて戴きますと、その皇統譜の中に綺麗に入つてしまつて大したものは残りはしませぬ。其の残つたものは何であるかと云ふと、それは先代の旧辞であります。〈六三~六五ページ〉

 ここでは、「帝皇の日継」とあるが、「帝皇日継」と書いて「ていおうのひつぎ」と読ませるのが、一般的なようである。
 また、「何年何月何日崩す」というところがあるが、これは原文のまま。ここは「何年何月何日崩ず」、または「何年何月何日崩御す」とあるべきだったと思う。弥

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