礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

宮武外骨、『私刑類纂』の中で朝日平吾に言及

2022-09-18 01:01:02 | コラムと名言

◎宮武外骨、『私刑類纂』の中で朝日平吾に言及

 山田孝雄著『古事記講話』(一九四四)を紹介している途中だが、いったん話題を変える。
 たまたま、宮武外骨の『私刑類纂』(半狂堂、一九二二)を手にしたところ、その六六ページ下段に朝日平吾のことが出ていた。引用してみよう。

 右の外、吝嗇者〈リンショクシャ〉に対する制裁は種々の手段にて行はれ、甚だしきは、極端なる私刑を加ふることすらあり、彼の刺客朝日平吾が守銭奴安田善次郎を暗殺せしが如きも其一例なり、当時諸新聞は善次郎に同情することなく、平吾の凶行を当然なるが如くに記し、『東京毎日新聞』〔ママ〕などは、近来の痛快事なりと特筆大書せり、社会が吝嗇者を憎む情深きこと察すべし、平吾は刑法上の大犯罪人なりといへども、其後善次郎の後継者が、亡父の罪ほろぼしとして、社会事業に投資すること多く、又世の富豪連が同轍の凶変を避くる手段として公共的利益を計る傾向ありとせば、平吾は地下に於て微笑瞑目せんか

 朝日平吾が安田財閥の安田善次郎を刺殺したのは、一九二一年(大正一〇)九月二八日、宮武外骨の『私刑類纂』が上梓されたのは、その一年後の一九二二年(大正一一)一〇月一日であった。それにしても、事件のあと、『東京毎日新聞』(『東京日日新聞』のことか)が「近来の痛快事なり」と報じていたとは知らなかった。ただし、このことは、当時の紙面にあたって確認する必要がある。
 なお、当ブログ先月二日から六日に至る記事、「朝日平吾は昭和テロリズムの先駆か」、「吉野作造の「朝日平吾論」を読む」、「安田善次郎の怪腕には玄人筋も舌を捲いた」、「安田善次郎は財界の張作霖(吉野作造)」、「昭和テロリズム擁護論の先駆は吉野作造」を、併せてお読みいただければ幸いである。

*このブログの人気記事 2022・9・18(8位になぜか日本精神叢書、10位になぜかナチス綱領)

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