礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

坊さんには生活の苦労を知らぬ人が多い(山田孝雄)

2022-09-22 01:59:40 | コラムと名言

◎坊さんには生活の苦労を知らぬ人が多い(山田孝雄)

 山田孝雄の『古事記講話』(有本書店、一九四四年一月)を紹介している。本日は、その六回目。本日、紹介するところも、「第二 古典の研究」の一部である。

 もう一つ我々が事実の正当なる認識をやりますには人情と云ふことを考へて見なければいけない。生きた人間であるとすればどうなるか、之を忘れて居る教育が少なからずあるやうであります。生きた人間を以て考へる、人情を以て考へると云ふと、我々がむつかしいと思つて居る事柄でも、容易く考へられることもあり、又何だか分つて分らぬと思つて居る事柄が、成る程さうだと思はれることがある。一例を申しますと、萬葉集一の巻にあります有名な歌でありますが、あの畝傍山〈ウネビヤマ〉、天香山〈アマノカグヤマ〉、耳成山〈ミミナシヤマ〉の三つの山の間にあつた藤原宮、即ち持統天皇様の有名な藤原宮、あの藤原宮の御井〈ミイ〉の歌といふものがあります。其の御井の歌を読んで見ると分ります通りに、周囲の畝傍山が斯うだ、香具山は斯うだ、耳成山は斯うだ、吉野山は斯うだと言つて山のことばかり詠んである。さうして一番終ひに御井の清水と云つて井戸のことが一言葉しか載つて居らぬ。そこで契沖〈ケイチュウ〉の悪口を言ふと済まぬのでありますけれども、契沖は其の御并の歌に付て非常に疑ひをなして居る。此の歌は題を以て考へて見ると井戸を詠んだ歌であると云ふのに周囲の山だの、宮城が立派だの、そんなことばかり言つて一番お終ひに井戸のことを一言葉しか言つて居らないのは妙だと言つて批評して届りますけれども、是は契沖は坊さんで自分で苦しんで御飯を食べたことがないから生活の苦労を知らぬ。何故と云ふと坊さんといふものは自ら苦労して生活を営んだことが無い。人から只貰つて喰つて居るからです。人間としての本当の生活をして居らぬ。米が高くても何でもない、人が持つて来て呉れる。だから坊主には生活の苦労を知らぬ人が少く無い。実際の話です。人情と云ふものは人間の生きて行く時の苦しみを体験しなくては分らぬものです。それを知らぬのです。だから坊主の言ふことは皆様方それだけの割引をして御考へにならなければいけない。是は本当です。実際であります。私は僧侶出の人を色々知つて居りますが、人情を知らぬ人が少く無い。人が苦心惨憺して世話をしてゐるのにそれは己れがえらいのだから当り前だと思つて居る。世話〔世間〕の苦労をしたことが無いから真の意味の思ひ遣りが無い。それ故に人の苦労を察するといふことが足らぬ。これは自分で生活に苦労した経験が無いからです。あゝ云ふことは非常に宜しくない。大体考へて御覧なさい。人間と云ふものは何に依つて生活をするかと言へば、一番大事なことは水に依ることである。水なくして人間は一晩でも其の土地に留まることは出来ない。野宿をして御覧なさい。山へ行つて野宿を致します時に先づ水があるかないか、水のある所でなければ野宿が出来ない。さう考へて見れば是だけの偉大なる宮城をどうして営まれたかと言へば此の於の御井の清水が基になつたのである。此の藤原の御井と云ふ水に依つて此の偉大なる所の藤原の都が出来たのだと、斯う云ふ偉大なる歌だと我々は思つて居るのに契沖は井戸のことを一言しか言はないと言つて居る。是は人情を知らないからである。〈四七~四八ページ〉

 萬葉集の「御井の歌」から、僧・契沖の悪口になり、さらに坊主の悪口になる。水の話に転じ、野宿の話になり、御井の歌の話に戻る。脈絡がないような、あるような雑談調だが、これが、山田博士の講話の持ち味だったのか。契沖(一六四〇~一七〇一)は、真言宗の僧侶で、国学者・歌人。

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