参加している句会にこんな句が出された。
初春や昭和九年の母の腹 朱露
昭和九年と言えば、満州国で溥儀が皇帝となり、ワシントン条約を破棄して戦争への道をはっきりと踏み出した年である。
私が母の腹に宿ったのは、昭和十七・八年。シンガポール陥落もつかの間ミッドウエイ海戦の敗北、ニューギニア各地で玉砕米軍機本土初空襲と日本が敗戦へと転がり始めた年である。
母はどんな気持ちで重くなるお腹をさすったのであろうか。宿る子供の未来に何を思ったのであろうか。今では聞く術も無いが、この歳になってようやくそんな事に気付いた。
初春や昭和九年の母の腹 朱露
昭和九年と言えば、満州国で溥儀が皇帝となり、ワシントン条約を破棄して戦争への道をはっきりと踏み出した年である。
私が母の腹に宿ったのは、昭和十七・八年。シンガポール陥落もつかの間ミッドウエイ海戦の敗北、ニューギニア各地で玉砕米軍機本土初空襲と日本が敗戦へと転がり始めた年である。
母はどんな気持ちで重くなるお腹をさすったのであろうか。宿る子供の未来に何を思ったのであろうか。今では聞く術も無いが、この歳になってようやくそんな事に気付いた。