九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

いよいよ本丸に迫っています。九条の松明は? まもる

2006年12月22日 20時49分01秒 | Weblog
安倍晋三首相は19日夕、内閣発足後初の臨時国会の閉会を受けて、首相官邸で記者会見した。憲法改正については「歴史的な大作業だが、(首相)在任中に憲法改正を成し遂げたい。まず改正手続き法の国民投票法案を来年の通常国会で成立させたい」と述べ、最長で2期6年の自民党総裁任期中の改正実現に向け、国民投票法案の次期通常国会成立を目指す考えを示した。

 また、首相は集団的自衛権行使を認めていない現在の憲法解釈の変更に関して「政府において、私が責任を持って最終的な判断をしなければならない。政府内で研究を進めていかねばならない」と語り、政府内で研究したうえで自ら判断する意向を表明した。

 内閣支持率低下の主因となった郵政民営化造反組の自民党復党については「復党を認める決断を私の責任で行った。改革を進めていく姿勢にも、国づくりの中身にも、全くの揺らぎはない」と述べ、「指導力不足」や「改革後退」のイメージ打ち消しを図った。【西田進一郎】毎日新聞より

 ※ さあ 全国に広がった護憲・九条の会のうねりを何処に結集させるのか。

 護憲の陣営が小異を捨てて大道に結集できるか。 そこに全ての成否がかかっている。護憲陣営で共食いなんかしたら最低・最悪だ。

 残された時間は少ない。 「共同候補」を立てることが出来るのか???

 
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映画「長い散歩」に想う  ‥‥ 千里眼

2006年12月22日 19時39分17秒 | Weblog
 いい映画を観たという想いにひたれる映画だ。モントリオール世界映画祭で、グランプリをはじめ、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞と、三つの賞に輝いただけのことはある。

 妻をアルコール依存症で亡くし、娘にも憎まれている仕事人間で頑固な元校長の安田松太郎は、移り住んだ小さなアパートでダンボール製の天使の翼を背負った隣室の少女サチと出会う。水商売に勤め、すさんだ生活を送る母親から、サチは激しい虐待を受けている。見かねた安田はサチを連れ出し、妻への贖罪を込めて、娘の小さい頃の家族の思い出の地、北アルプスの見える山を目指す。

 ゴミの散乱する一間きりのアパートの部屋、その中のベッド下の小さい空間がサチの居場所である。他人には心を開かず、虐待を受けたり、人に体を触れられそうになると、動物のような奇声をあげて逃げ出し、アパートから離れた林のなかの「うろ」のある大木の下の隠れ場所にこもる。熱いコーヒーをかけられたり、たばこの火を押し付けられたりする虐待の経験から、熱いものを拒否し、「熱い」を「痛い」と表現するサチ。

 この映画の宣伝などで見ると、サチが常に天使の翼を背に付けているのが、不思議であった。が、映画を観て、はじめて理解できた。保育園での遊戯会で「白いパンツ」の童謡に合わせて、天使の翼を付けて舞台のうえで踊ったのが、サチにとっては唯一の楽しい思い出だったのだ。

 心に深い傷を負った老人と幼女の二人旅、その二人の人間回復の旅。幼児虐待を中心に、いじめの問題、若者の自殺の問題、こうした深刻な社会問題を取り上げながらも、美しい映像でファンタジィスティックに描いていく、奥田瑛二の感性には驚く。それには、サチのこの天使の翼は欠かせないのだ。彼の優れた絵本作家としての才能と感性が、この映画の大きな武器になっているようだ。このサチの天使の翼に不自然さを感じさせないのだ。

 映画館で映画を観るという習慣を失ってから、何十年にもなろうか。若い頃は1週1度以上のペースで映画館に足を運んでいたのに。八重垣劇場やミリオン座・ロマン座などに通って、戦前の古い欧米の名画もほとんど全部、鑑賞したものだった。ところが、今は数年に1度ぐらいしか映画館に足を運ばない私が、どうしてもこの作品だけは映画館で見たかった。

 私は、奥田瑛二のファンである。愛知県春日井市の出身だからというわけではない。高校野球に強い東邦高校の出身だからというわけでもない。彼の次の言葉に私はしびれたのだ。映画「本覚坊遺文 千利休」の主役千利休を演じ、俳優として油が乗ってきた時期、あるインタビューに答えて、「テレビ、新聞などのCMにはあまり出たくない。安易に金を稼げるので、人間としての生き様、俳優としての演技の質に何か悪い影響が出ないかと恐れている」。私の知るかぎりでは、彼はCMに2つしか出ていない。CM出演を押さえに抑えていることを窺がわせる。

 「映画監督を天職と考えるなら、それに恥じない監督にならないといけない。社会に眼を向けた視点の映画。しかし教育映画はとりたくない。人の琴線にふれるもの。メッセージがあって、かつエンターテイメントであること。それが大切だと想うのです」(この映画のパンフのなかの監督インタビュー)

 「教育は、教育委員会主導型でどんどん本来の姿が崩れている。その象徴が校長。出世ばかりを追って家庭を顧みず、崩壊させたという“十字架”を(安田に)背負わせた」(中日新聞へのインタビュー)

 彼の発言には、共感する内容が必ず潜んでいる。奥田瑛二の根底には人間に対する深い愛情が流れているのだ。
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