九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

憲法危機の今、二つの言いたいこと 文科系

2006年12月24日 00時22分55秒 | Weblog
一つはこういうことです。憲法が変わっても、戦前に戻る訳じゃないということ。だから、冷静に冷静に、最も大事なことだけを考えようとね。
アメリカでさえイラク、アフガンであーいう目に遭いました。民主主義、民族自決の精神がもの凄く強くなったということでしょう。だから、日本単独で簡単に外国進軍ができるものですかとね。すると、アメリカと一緒に攻める「集団的な自衛権」が大問題となるのでしょうが、これもイラクのできごとの後では、もう容易に発動できるものではないでしょう。余程の大義名分が必要でしょうが、そんな大義名分を与えてくれる国はもう滅多に現れないと思います。イランはもちろん、北朝鮮の現状でさえ外国にはそんな大義名分を与えてはいないと、僕は考えますけど。拉致問題はちょっと別ですけど。日本の今後を世界の中で見ようということです。日本が下手なことをしたら、はるかに速やかにブッシュ政権みたいになりますよ。女性も加わった普通選挙制度があるって、戦前とは全く違いますから。

2番目に言いたいことは、どんな危機的状況でも結局は抵抗の側、民主主義の側の主体的力量が全ての鍵だということでしょう?そして、これに成功している陣営、政党は一つもないと虚心坦懐に認めなければならないということです。そして、これに成功していない政党が語る「歴史の客観的法則」なるものはニセモノと言われても返す言葉がないはずです。主体的力量でせめて2割ぐらいの力の目途を立てて見せなかったら、客観的法則などと言うのは尊大と言っても良いと思いますが。
ましてや、戦後60年の今、終戦直後の財産を使い尽くし、社会党解党の好機も生かせずに、70年代の議席数に戻ってしまったような政党が「客観的法則」を堂々と語って、それをそのまま信ずる人がいるということが僕には理解できません。とにかく、自らも鍵と言う主体的力量に失敗し続けてきたのに、そういう政党の語る客観的法則が正しいって一体どういうことなのでしょうか。主体的力量の実践的証明抜きで正しいって、哲学的には客観主義という以外にはないでしょう?

この問題では、指導部の余程の方針転換が試行錯誤でも良いから必要だと言いたいのです。
また、「危機、危機」と叫んで主体的力量が付くものならば、もうとっくにそれができているはずです。それ以外の方法でないと駄目ということでしょう?

小さい力でもそれを生かして合従連衡の中で現実的に成果を作ってみせることこそ、肝腎なのではないでしょうか。それがなければいつまで経っても「言葉だけの政党」、「青二才の書生政党」というしかないはずです。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする