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59年ぶりの改定

2006年12月16日 10時53分36秒 | Weblog
教育基本法は59年ぶりの改定だそうです。
案外、長かったんですね。
自民党さんが59年かかったもの。
また元に戻すのに、59年はかからないと思います。

                   落石
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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その15 千里眼

2006年12月16日 09時16分19秒 | Weblog
 この連続投稿と関連して、書き足りないことや他から指摘を受けたことなどを、今回取り上げたい。「その12、13、14」で盧溝橋事件を取り上げたが、保守系論客の論証を否定するのに、私は秦郁彦氏の論証を利用したが、その秦氏の評価の問題である。続いて、「千里眼さん、田中正明さんの本を読めば、もういいでしょう。あの裁判は、不当なものです。」という11月4日の保守系さんのコメントに出てくる田中正明氏の問題である。この二人の著書と関連して、南京虐殺事件の取り上げることになる。この事件については、へそまがりさんと保守系さんとの間の論争があったと思うのだが、このブログを遡ってみたが、内容を確認できなかった。したがって、内容的にはだぶっていることもありうる。ただし、今回の投稿の目的はこの事件についての保守系論客の論証を分析・批判することにあるのではない。秦氏と田中氏の学者・評論家としての評価の問題を中心課題として、この投稿をまとめた。

 「保守系論客」というまとめ方は大方の理解を得られるが(なかには右翼も含まれるが)、彼等から自虐史観と攻撃される論客については、適当な用語・概念が見つからない。左翼という用語も可笑しいし、進歩的という用語もぴったりこない。それゆえ、私は「正統派の論客」という用語を、今後使うことにする。
 
 秦郁彦氏について「その12」で、私は実証主義の立場に立つ学者と評価した。それに対して、秦氏は雑誌「正論」に連続投稿しており、保守系の論客ではないかとの指摘を受けた。確かに、正統派の論客に対しても批判する論文をいろいろと書いているが、それ以上に保守系論客の出鱈目な論証を徹底的に分析批判していることは、私の「その12,13,14」の投稿で見るとおりである。

 彼の著書「昭和史の謎を追う」で見ていこう。この著書こそ、雑誌「正論」の連続投稿をまとめて著作として出版したものである(他の雑誌に発表したものも幾つか含んでいるが)。これは「読み物」としては、最高に面白い。
 その著書のなかで「良心的な歴史家にとっては、歴史が実証的であることは、人間が動物の一種であるのと同じ自明の理であって、‥‥」(「謎を追う 上」P176)と自身の歴史家としての信条を記している。

 また、「柳条湖事件の真相が一般に広く公開される‥‥最初の好機だった東京裁判では、何故か徹底を欠き、事件に関するかぎり決定的な証拠は現れなかった」、「事件が満州事変から太平洋戦争へつらなる日本の『侵略戦争』の起点となったことを思えば、いささか不自然と言うべきであろう」(「謎を追う 上」P69)と書いている。満州事変以降の日本の戦争を明快に「侵略戦争」と規定し、保守系論客の使用する「大東亜戦争」という用語を秦氏は絶対に使わない。

 秦氏が保守系論客の一人と錯覚されるのは、南京虐殺事件の虐殺人数についての論争が主要な原因となっていると私は思っている。実証主義の立場からすべての史料や証言を緻密に分析して、4万人前後と推定した。彼はこの人数だとしても史上有数の大虐殺事件ではないかと言う。「筆者が算出した4万は、かなり余裕を持たせたとりあえずの概算であり、新たな証拠が出現すれば、多いほうへ向って修正されるのは当然である」とし、「終戦直後の泥ナワとは言え、生き残りの証言を積みあげた三十万(千里眼注:中国の記念館の掲げる人数)に対抗できる数字を」日本側から「出すのは不可能である」と書いている(「謎を追う 上」P198)。

 田中正明氏は東京裁判で死刑判決を受けた中支那方面軍司令官松井石根大将の私設秘書を経て南信時事新聞の編集長、拓殖大学講師の経歴を持つ評論家である。私の投稿「その9」で取り上げた「パール判事の日本無罪論」の著者である。この著作で彼は、一躍保守派論客の寵児となった。続けて1985年に芙蓉書房から「松井石根大将の陣中日誌」を出版し、南京虐殺事件を否定した。

 ところが、後に板倉由明氏が雑誌「歴史と人物」で発表した「松井石根大将『陣中日誌』の怪」のなかで、田中氏が900箇所以上の削除・改ざん・加筆・文章の移動をおこなっていると批判した。この論文を紹介した朝日新聞の紙上で板倉氏は「誤読、脱落はありえても、もとの日記に書いてないことを付け加え、それに注釈までしているのではどうしようもない」と痛烈に田中氏を批判した。それに答えて、田中氏は「言い逃れになるかも知れないが、体調などの悪条件が重なりミスしたもので、決して虐殺は虚構だという自分の主張に合わせて加筆や削除したのではない。申し訳ない」と朝日新聞紙上で釈明した。体調が悪いと史料の引用にこっそり加筆することになるそうだ。当然、田中氏の研究者としての生命はこれで絶たれたものと誰しも思うであろう。

 ところが、1年半後に復活して、「南京事件の総括」を出版した。打たれ強いというのか、鉄面皮というのか、厚顔無恥とでもいうのか、驚くべき神経をした人物である。このブログに登場するある人物とよく似ていると感心する次第である。だから、私に「田中正明氏の本を読め」と推奨するのであろう。借り受けた原史料、松井大将の日誌そのものに改ざんの手を加えなかったことを田中氏は悔やんでいることだろう。そうすれば、ばれなかったのにと。
 
 このような人物の復帰後のこの著書に序文を寄せたのが、「歴史解釈権」なる用語を発明した例の小堀圭一郎氏である。さすがである。歴史解釈権とは根本史料を改ざんすることにまで及ぶのであろう。そのことを面白いと思うのは私だけであろうか。その序文の一部を引用しよう。「この難問題に就て文字通りの総決算が提出されているのを見た。そして心から敬服し、感謝し、且つ頼もしく思った。田中氏は耿介たる義の人にしてまた烈々たる情熱の人」と最大級の賛辞を送っている。田中氏と小堀氏、よくできた組み合わせである。

 では、「松井石根大将の陣中日誌」の前の著作、「パール判事の日本無罪論」では史料改ざんはやっていないのだろうか。正統派の学者はすでに正体の明らかになった田中氏を問題にしていないので、この著作の全面分析は行われていない。それなのにまだ、この著作の信奉者がいるのだから、私はその分析は必要だと思っているのだが。
 「パール判事の日本無罪論」では、5分の1ほど原資料のパール判事の文章が引用されている。その引用部分には恐らく史料改ざんは行っていないと私は推定している。が、自らの論拠に都合の悪い部分は引用せず、都合のいい部分のみ引用していることであろう。

 例を南京事件に取る。パール判事が松井大将を無罪と論じたことを「パール博士は南京虐殺事件は虚構と主張した」と、虚構説の論拠に、田中氏は使っている。しかし、パール判事の無罪論は例によって狭い法解釈の論理に従って無罪としたのであって、南京虐殺事件がなかったと言っているのではない。「裁判の在り方自体に有効性がないため『有罪』という概念そのものが成立しない」と論じたのだ(ウィキペディア 田中正明の項による)。
 田中氏のパール判決文の引用部分にも、それを窺わせる内容がある。(パール判事が南京虐殺事件の存在を認めていることを窺わせる)。
「一、 十二月十二日南京は陥落し、‥‥松井大将は十二月十七日に入城した。そして風紀に違反のあった旨の報告を受けた。
 一、 そこで松井大将は、軍規風紀に違反した第十軍を燕湖方面に引き返させ、南京警護のため第十六師団のみ残留させた。」 (「パール判事の日本無罪論」P173・174)
 ここに記されている「軍規風紀に違反」したという内容こそ南京虐殺事件だというとは、容易に想定できる。しかも、第十軍が全体に広く関わっていたことをこの文章は示している。狡猾な田中氏にしては手落ちな引用であったと言うべきであろう。

 以上で、秦郁彦氏と田中正明氏についての論考を閉じる。次回投稿では、再び保守系論客の論文を取り上げて分析する予定である。
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