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祝マンチェスターシティ優勝 1970

2018年04月23日 22時04分21秒 | Weblog
いや~圧勝だったw
今シーズンのプレミア予想で期待すると言ったペップシティが記録的な強さで世界最高峰のプレミアを制した。誠にめでたい。

世界で最も過酷なリーグを制したシティの強さの源は、一にも二にもポゼッションフットボール。プレミアは基本的にロングボールとフィジカル重視でカウンター主体。そういうライバルに1年間ほぼ圧倒し続けた。MVPはデブライネだな。この2年間の成長は特筆もの。
そして何より称賛したいのはペップの手腕だろう。
バルサからバイエルン、そしてシティとそれぞれリーグ優勝を果たしたが、内容を見るともしかしたらバルサ時代よりも内容の濃いチームに今のシティは仕上がりつつある。

ここ10年のサッカー界はペップを中心とするポゼッションフットボールとそれに対抗するカウンターフットボールの戦いが続いているが、シティの試合を見ているとリアクション主体のカウンターフットボールはそろそろ厳しいかなと思わせる場面が驚くほど多い。
ま、要するに殆どボールを触れないで終わっちゃうんだよねw
これは同じマンチェスターのユナイテッドとのダービーを見ると分かる。
よくペップの対極に挙げられるモウリーニョなんだがシティに見事に遊ばれるw
これは半分モウリーニョ論になるが、彼はポルトやチェルシー、インテルのようなその時の一流半の選手にやらせる守備的なフットボールじゃないと勝てないんだな。レアルやユナイテッドのような超一流が集まるチームだとシステマチックな守備的なフットボールに合わない選手が複数出てくる。レアルならロナウド、ユナイテッドならポグバに代表されるような。だからシティの術中に嵌まる。
選手も監督の言うことだけ聞くロボットじゃないからな。特に攻撃的な選手はそうなる。守備的なモウリーニョには超一流チームの監督は合わないのは、去年と今年のユナイテッドを見て思った。

そんなモウリーニョと同じ匂いはクロップにも感じるがクロップはモウリーニョ程極端に守備重視では無いのでリバプールがどれだけ一流選手をこのオフに買い集めるかだろう。中盤の層が薄いよね。今なら香川お買い得だけどwww

ということで、スペイン時代のバルサレアル、プレミアでのシティユナイテッドの戦いを見ると同じようなビッグクラブで同じような戦力ならばモウリーニョのフットボールはペップには敵わないことがしみじみ分かった1年だった。
モウリーニョ、インテル戻れw
コメント (1)
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掌編小説 「兄 弟」    文科系

2018年04月23日 10時53分39秒 | 文芸作品
 掌編小説  兄 弟   文科系


 照明を最小限にしたそのレストランは急上昇中の名古屋駅前地域でも指折りの店と分かった。テーブル一つずつが回りから隔てられた作りで、〈近辺の重役室から抜け出した財界人辺りが商売の探りを入れる会食などに格好の場所だな〉、それとなく見回していた。駅前ツインビルの一角に、六歳違いでまだ現役の弟が久し振りに二人で飲むために予約を入れた店なのである。東京から月一の本社重役会に彼が来名した秋の夕暮れのことだ。
 水を運んできたウェイターに彼が語りかける声が響いた。「このビルの社長さんは、僕の同僚だった友達でしてねー」。〈「せいぜいサービスしなよ」と告げる必要もあるまいに、スノッブ過ぎて嫌味な奴だな〉。こんなふうに、彼と会うと俺の神経が逆なでされることが多いのである。でも、その日の彼において最高のスノッブは次の言葉に尽きる。俺の過去について思わずというか何というか、こんなことを漏らしたのだった。
「兄さん、なんで哲学科なんかに行ったの?」
 そう尋ねた彼の表情が何か皮肉っぽくって、鼻で笑っているように感じたのは、気のせいなんかではない。そう感じたから黙っていたらこんな質問まで続くのである。「兄さんは元々グルメだし、良い酒も好きだし、生き方が矛盾してないか?」。まともにこれに応えたらケンカになると感じたので、こう答えた。「お前には分からんさ。世のため人のためという人間が、グルメじゃいけないということもないだろうし」

 さて、その帰りに弟の言葉を反芻していた。年収二千万を越えたとかが十年も前の話、東海地方有数の会社の重役に理工系から上り詰めている彼から見ると、俺の人生に意味はないのかも知れぬ。「人生、こういう生き方しかないのだよ」と決めつける押しつけがましさはさらに強まっているようだし。高校の文化祭などは全部欠席し家で勉強していて、俺の目が点にさせられた覚えがあったなー。そこでふっと、こんなことも連想した。「オバマのは、税を納めぬ貧乏人のための政治。私は納税者のための政治を行う」、前回の米大統領選挙での共和党候補者ロムニーの演説の一部だ。つまり、金のない人々を主権者とさえ見ないに近い発想なのである。弟はこれと同じ人生観を持って、こう語っていたのかも知れない。「兄さんは別の道にも行けたのに、何でそんな馬鹿な選択をしたのか?!」と。そこには「今は後悔してるんだろ?」というニュアンスさえ含まれていただろう。
 秋の夜道を辿りながらほどなく俺は、自分の三十歳ごろの或る体験を振り返っていた。大学院の一年から非常勤講師をしていた高校で、「劣等生」に対する眼差しが大転換したときのことだ。二十代はほぼ無意識なのだが、こんな風に考えていたようだ。こんな初歩的ことも理解できないって、どうしようもない奴らがこんなにも多いもんか! 彼らがどういう人生を送ってもそれは自業自得。本人たちにその気がないんじゃ仕方ない。この考えがその頃、コペルニクス的転回を遂げたのである。〈彼らとて好きでこうあるわけではないし、現にみんな一生懸命生きてるじゃないか〉。同時に、家族とは既に違っていると思った俺の人生観も、一種我が家の周到な教育方針の結果満載であると遅ればせながら改めて気づいたのである。勿論、その良い面も含めて。そして、弟よりもむしろ俺の方が、我が両親の良い面を受け継いでいるのだろうとも、少し後になって分かった。両親ともが、片田舎の貧乏子沢山の家から当時の日本最高学府に上り詰めた人だったから。つまり、明治政府が築き上げた立身出世主義人材登用制度を大正デモクラシーの時代に最大限に活用できた庶民なのだ。能力のある貧乏な生徒をよく面倒みていた姿も覚えている。

 この時またふっと、弟のこんな言葉も甦ってきた。
「私の仕事は初め新幹線の進歩、やがてはリニア新幹線を日本に生み出すという夢に関わってきたんだよね!」
 この誇り高い言葉はまー、あの皮肉っぽい笑みからすれば俺に対してはこんな意味なのだろう。「だけど、兄さんの仕事人生は、一体何が残ったの?」。確かに、最初の仕事を二十数年で辞めたのだから、そう言われるのも無理はない。それも、貧乏な民間福祉団体で休日も夜も暇なく働いた末の、精神疲労性の二度の病のためだったのだし。そこでさらに気づいたこと、この病、お前も罹ったんじゃないか? それも若い頃の入院も含めて、一度ならず今も……、お互い頑張っちゃう家系だもんなー。

 いろんな言葉や思い出を辿りつつここまで来て、俺の思考はさらに深く進んでいく。弟は何でこんな挑戦的な言葉を敢えて俺に投げたのだ? 今も病気が出かけて終わりが近づいている自分の仕事人生と、何よりもこれが終わったその先とを自分に納得させる道を懸命に探している真っ最中だからじゃないか。この推察は、妥当なものと思われた。すると、ある場面がふっと浮かんだ。
〈小学校低学年からアイツは電車が好きだった。我が家に近い母さんの職場の用務員さんの部屋で母さんを待って、一緒に帰る途中にある中央線の踏み切り。あそこでよく電車を見ていたと、母さんが言ってたよなー〉
コメント (2)
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