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随筆紹介  「親と子の不思議」   文科系

2018年04月20日 06時40分12秒 | 文芸作品
 親と子の不思議   H.Tさんの作品です


真夜中に電話のベル。何事がと、おどろいて受話器を。隣の棟のAさんの引きつったような声。いつもおだやかな方なのに……。
「加代さん。すぐ来て!」
 おびえた声だ。
「百足が、百足が出た」と。
 私はパジャマのまま走った。
 部屋の中でふるえている、寝間着姿のままのAさん。
 私は、ふとんの中を見て、枕カバーを外して振ってみたが、居ない。
 Aさんは、「確かに見た」と。まだ歯を鳴らしている。部屋の隅、タンスなどの裏側にも居ない。殺虫剤を吹き付けて、私は帰った。

 明くる日、またしても深夜の電話で、私は走った。
「また百足が!」。「速く、速く、来て!」。着くなり、言うには、
「ゆうべあんたが、しっかり見てくれなかったから……」、がたがた震えて青くなっているAさん。  
ふとんカバーを剥がし、枕カバーを取ると、やはり百足が飛び出して来た。
「やっぱりあんたがしっかり見てくれなかったから、二晩も……」、Aさんは昨夜と同じ事を言う。やっと側にあったスリッパでたたき、動かなくなった百足を抑えながら、
「夜中に私を呼びつけないで! 近くには娘さんが居られるのに……」
 声を荒げる私に、
「娘は働いているから、疲れているでしょう。寝かせてやらな、かわいそうでしょう」
「私だって二晩も真夜中に呼びつけられて、もー大変。大迷惑です」
 腹立ちと怒りとで、ひっくり返りそうだ。スリッパの下で動かなくなった百足を紙袋に入れ、踏みつけて紙にくるんでいると、
「私の棟のダストシュートに捨てないで。生き返ってまた来ると怖いから、他の棟のダストシュートに捨てて!」
〈勝手ババァー、人をなんだと思っているんだ、いいかげんにして。二度と来ないから〉と、声にならないひとり言。

「娘は働いているから、疲れているでしょう。寝かせてやらな、かわいそうでしょう」。この言葉が、私の頭の中でぐるぐる回っている。時計は三時を指し、外は真っ暗闇の真夜中。帰って、お茶を入れて、ほっと一息。私はAさんのように子どもはいない。両親は数年前に逝った。決して人に誇れるような親ではなかった。働いて働いて、貧しい時代を生きただけの親。
 でも、子どもの私をAさんと同じように、どうにも理解できないエゴ愛で守り育ててくれた時も……。そう思ったら、胸がいっぱいになり、目が濡れた。

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随筆 「ランニング賛歌」    文科系

2018年04月20日 06時07分23秒 | 文芸作品
 五十九歳からランニングを始めた僕は、五月が来ると七四歳になる。ランが老後にこれだけの恵みを与えてくれるとは、想像もつかぬことだった。

 膝が痛い? 新聞広告に満載されたコンドロイチンにグルコサミン? 若い頃椎間板ヘルニアで手術をしたこの身体なのに、その腰ばかりか膝にも、何のサプリメントも要らない。そもそも肩や首など、こったことがない。だから、パソコンに向かい続けていて、ふと気がつくと四~五時間なんてことはざらである。痩せるための健康器具? 体質もあるだろうが、僕が二十代に作った式服を着られるのは、スポーツ好きと今のランニングのおかげと確く信じている。身長一六九センチ体重五七キロで、体脂肪率十%。二八インチのジーパンをはいている。ずらずらとこう書くとこの時代には特に自慢にしかとられないのは承知だが、まー一生懸命やっていることを伝える場面、そうご理解願いたい。

 医者たちからはこんな話も聴いている。「時速七キロ以上で歩ける人は長生きする」。当然、そうだろう。血管も含めた循環器系統が健全ならば、成人病も逃げ出すというもの。歯医者さんでこんなかけ声が行き交っているが、同じ理屈関連とも教えられた。「八〇歳まで自分の歯が二〇本ある人は、長生きする」。「健全な循環器系は細菌に対して免疫力があるということ。虫歯菌にも歯槽膿漏などにも強いのです」と教えられた。

 さて、こう考える僕だったから、六九歳新春に起こった慢性心房細動には、対する心臓カテーテル手術・ランニング禁止では、僕の人生が終わったと感じた。手術の前までも、つまり慢性心房細動になるまでは、不整脈を抱えて細々とではあってもずーっと走り続けていたのである。それが、無期限でもう止めなさいと医者に宣告されたのである。そんな未練からだろう。七一歳の晩夏に医者に隠れて走り出し、「大丈夫」という実績を細々と作っていった。秋には、主治医からの公認も取り付け、ジムに通い出す。以降故障や事故や試行錯誤等々も重なったけれど、今は心房細動前六六歳ごろの走力に戻っている。この一月七日、一時間の走行距離が念願の一〇キロに達した。僕にとっては六〇歳台半ばのこの走力回復で数々のメリットを改めて体感しているが、最も嬉しかったのはこんなことだ。

 階段の上り下りが楽しいのである。地下鉄などの長い階段を一段飛ばしで登り切っては、脚の軽さを味わっている。一時無理がたたってアキレス腱痛に長く悩まされたが、試行錯誤を重ねつつこれを克服し終えた時に、新たに生まれた脚の軽さ、弾み! スキップが大好きだった子ども時代を思い出していた。
 昔の自分の小説で思いついた僕なりのランニング賛歌を最後に加えて、結びとしたい。自分ながら好きな文章なのである。 
『ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人類だけの、その本能に根ざしたものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ』


(2016年の同人誌に初出)
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