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「よたよたランナーの手記」(229) 走れるようになり方  文科系

2018年08月06日 10時55分26秒 | スポーツ
 前回の「ランの効能」と同じように何度もここに書いてきたことだが、今回は表題のことを書きたい。心肺機能上もう有酸素運動というほどには走れないという人も多いだろうが、走る潜在力を持っている人が無理なく走れるようになる方法だ。僕自身が59才からラン入門をしたし、69才で慢性心房細動、心臓カテーテル手術をした3年間の完全ブランクから72才近くになって様々苦労してここまで復活できたから、そういう体験談と言って良い。いろんなランニング(科学の)本も読んできたし。
 なお、できるならば市営ジムなどのランニングマシンでトレーニングするか、ランニングウオッチを買うことをお勧めする。以下その都度に必要な運動強度としてのスピード、距離などの数値が正確に分かるからだ。ランニングウオッチは2万円ぐらいからあるし、名古屋市営ジムでは老人手帳を持っていけば、年間何度でも行ける1年パスポートが4200円で買える。

①まず、自分が15分歩ける最高スピードを探し、それが6キロ時なら、その時間をまず延ばし、次いでスピードを上げていく。先ず30分持続まで、6キロ時で30分とか、6・5キロ時で30分とかへと上げていく。

②以上の過程で同時に、足首、膝を痛めないように、今後にも向かってこんな補強運動が要ると思う。足首は、何かに片手をかけて、最高位までの片足爪先立ちを2秒に1回で合計20回ほどは最低必要。その際、カカトは床に付けないこと。腿は正しいスクワットを30回ほどはできるようになると良い。その上で、以下。

③例えば、6・5キロ時で30分歩けるようになったとする。その最後に、まず4キロ時とか5キロ時とかとスピードをぐんと下げて、走ってみる。これも、できるだけ無理なく長く走れるスピードまで落として、スピードアップよりもまず走行時間を延ばしていく。たとえ4キロ時でも30分走れるようになれば、やがてスピードは自然に上げられるようになっていくからだ。

④たとえ5キロ時でも30分走れたら、1時間を目指す。これが実現できたら、スピードはまた自然に上がっていくはずだ。つまり、走る時間と距離を伸ばせれば、スピードは自然に上がるということである。

⑤さて、以上のどこかで人により「限界?」が様々来るだろうが、それが当面の限界か、結局そこまでなのか、それはご自身の科学的分析力、思考力などの「挑戦力」次第? 僕の経験では、いろんなやり方で思ったよりも案外遠くまでこられるものです。こういう判断に関して、スポーツ関連の心肺機能専門家以外の医者は案外頼りになりません。何せ僕は、自分で心拍数を取りながら安全を確かめては、心臓専門医の走行禁止意見を無視して走ってきて、やがてラン許可をもらいましたから。
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狂気のアメリカ政治(10)金融栄えて民滅ぶ④ 文科系

2018年08月06日 07時05分41秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 「金融栄えて民滅ぶ」の4回目です。ついては一言。随分久しぶりに田中宇の直近配信ニュースを見ていたら、この本の内容に当たる世界現状分析は一応一致しているのだろうなと読んだ。がこの両者、その背景の分析が全く違う事に驚くのである。
 田中はアメリカを中心に置いた世界政治論をやっているのだが、それ故なのかどうかアメリカの「政治的意図」を過大に描きすぎているようだ。バブルもバブル弾け(予想)も全て米エスタブリッシュメントの意図によるもののように。よって、それに「反対する」、田中曰く「多極主義者」は完全にもう意図してやっているような。何でこんな事が起こるのかと考えてみた。きっと、経済の政治への究極的な規定性というものについてケインズのような大理論が持てなかったからだろうと考えていた。ケインズに言わせれば田中が言う「多極主義者」なるものも、アメリカ政治経済(破綻)が生み出したもう一方の人々ということになるのだが。
 もう一つ、この本と田中とが一致する点はここ。「2020~30年代にアメリカの覇権が終わって、BRICSの覇権ができる」。今の日本にはびこっている世界の将来を全く予見できないような近視眼的なだけの政治経済論の中では、この一致はとても貴重なものと思ったものだ。


【 書評③ 各国、世界機関の金融改革を巡って  文科系 2016年10月19日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書2012年6月第5刷発行)の終章である第3章は、計4節に分かれている。「国際協調」、「適切な報酬制度」、「現状維持に終わる金融改革」、「金融化は不可逆的か」。これを、順不同で要約していきたい。サブプライムバブルが弾けた後のG20やそのサミットでどんな改革論議がなされ、対立があって、ほぼ元の木阿弥に戻ってしまったか。リーマン以降、ロンドンG20から、10年のソウルG20とそのサミットまで、世界の金融規制論議経過は省いて、書かれている改革の内容自身を観ていきたい。

 ロンドン大学政治経済学院の「金融制度の将来」には4つの目的がこう書かれているとあった。①実体経済を攪乱しないように。②破綻金融の税金救済の問題。③そんな金融機関の報酬が高すぎる問題。④高報酬により人材が集まりすぎる問題。
 また、2010年11月のG20ソウル会議でもっと具体的に4つの討論がなされ、抽象的合意だけが成されたと言う。①銀行規制。②金融派生商品契約を市場登録すること。③格付け会社の公共性。④新技術、商品の社会的有用性。
 以上から何が問題になってきたかをお分かりいただけたと思うから、G20ソウル会議の4項目の順に討論内容などを観ていきたい。

 ①の銀行規制に、最も激しい抵抗があったと語られる。また、現に力を持っているこの抵抗者たちは規制提案に対して「否」と言っていれば良いだけだから、楽な立場だとも。国家の「大きすぎて潰せない」とか「外貨を稼いでくれる」、よって「パナマもケイマンも見逃してくれるだろう」とかの態度を見越しているから、その力がまた絶大なのだとも。この期に及んでもなお、「規制のない自由競争こそ合理的である」という理論を、従来同様に根拠を示さずに押し通していると語られてあった。

 ②の「金融派生商品登録」問題についてもまた、難航している。債権の持ち主以外もその債権に保険を掛けられるようになっている証券化の登録とか、それが特に為替が絡んでくると、世界の大銀行などがこぞって反対すると述べてあった。ここでも英米などの大国国家が金融に関わる国際競争力強化を望むから、規制を拒むのである。つまり、国家が「外国の国家、法人などからどんどん金を奪い取ってきて欲しい」と振る舞っているから換えられないと、酷く暴力的な世界なのである。

 ③格付け会社の公準化がまた至難だ。その困難の元はこのようなものと語られる。アメリカ1国の格付け3私企業ランクに過ぎないものが、世界諸国家の経済・財政法制などの中に組み込まれているという問題だ。破綻直前までリーマンをAAAに格付けていたなどという言わばインチキの実績が多い私企業に過ぎないのに。ここで作者は「ワイヤード・オン」という英語を使っている。世界諸国家法制にムーディーズとかスタンダードとかの格付けランクがワイアーで縛り付けられているという意味である。この点について、こんな大ニュースが同書中に紹介されてあったが、日本人には大変興味深いものだろう。
『大企業の社債、ギリシャの国債など、格下げされると「崖から落ちる」ほどの効果がありうるのだ。いつかトヨタが、人員整理をせず、利益見込みを下方修正した時、当時の奥田碩会長は、格付けを下げたムーディーズに対してひどく怒ったことは理解できる』(P189)
 関連してここで、つい昨日の新聞に載っていたことを僕がご紹介したいのだが、こんな記事があった。先ず見出しは、『国際秩序の多極化強調BRICS首脳「ゴア宣言」』。その「ポイント」解説にこんな文章が紹介されていた。
『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』

 15日からブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ五カ国の会議がインドのゴアで開かれていて、そこでの出来事なのである。ついでに、日本でこういう記事はまず大きくは見えないようになっているということも付け加えておきたい。なお、この会議宣言4つのポイントすべてにおいて「国連」が強調されていたということも何か象徴的なことと僕には思われた。国連を利用はするが無視することも多いアメリカと、国連を強調するBRICSと。
 とこのように、国連や、G7などではなくG20やにおいてアメリカ以外の発言力が強くなっていかなければ、金融規制は進まないということなのである。

 最後に、「④新技術、商品の社会的有用性」について。金融商品、新技術の世界展開を巡る正当性の議論なのである。「イノベーションとして、人類の進歩なのである」と推進派が強調するが、国家の命運を左右する為替(関連金融派生商品)だけでも1日4兆ドル(2010年)などという途方もない取引のほとんどが、世界的(投資)銀行同士のギャンブル場に供されているというような現状が、どうして「進歩」と言えるのか。これが著者の抑えた立場である。
 逆に、この現状を正当化するこういう論議も紹介されてあった。
『「金作り=悪、物作り=善」というような考え方が、そもそも誤っているのだ』

 金融が物作りを「攪乱」したり、現代世界人類に必要な新たな物作りへの長期的大々投資を事実上妨げているとするならば、それは悪だろう。関連して、世界的大銀行は、中小国家の資金まで奪っていくという「罪」を史上数々犯してきたのである。そして、世界の主人公である普通の人人の生活、職業というものは、物(作り)とともにしか存在しない。


 この本の紹介はこれで終わります。ただし、この著作中に集められた膨大な数値などは今後の討論で折に触れて適宜ご紹介していくつもりです。「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」という書名をどうかご記憶下さい。

(終わり)】
コメント (2)
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