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掌編小説 「血筋が途絶える社会」   文科系

2018年08月31日 05時57分16秒 | 文芸作品

 掌編小説 血筋が途絶える世界


 照明が効き過ぎというほどに明るく、客も賑やかなワインとイタリアンのその店でこの言葉を聞いた時は、本当に驚いた。「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」。思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」。「確か二年前の数字だったかと……」。
 このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの英語教師出張に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉である。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされている。既婚未婚を問わず一定年齢間の女性全てを分母としたその子どもの平均数という定義なのだろう。
「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってことだろ? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」、韓国式に、いつの間にか年上風を吹かせている僕だ。対する彼の、年を踏まえた丁寧な物言いを普通の日本語に直して書くと、「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから。二一世紀に入ってから、どんどんそうなってきたと言われています」。「うーん、それにしても……」、僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼が訊ねる。「結婚できないとか、子どもが作れないとか、韓国では大問題になってます。だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」。
 日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思ってすぐに、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟の比較、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみて驚いてしまった。考えてみなかったことも含めて、びっくりしたのである。

 連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数(つまり僕らから見て甥姪、我が子も含めた総数)は、連れ合い側七人、僕の方十人。このうち既婚者は、前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、大きな差がある。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があったとは言えないだろうか。
 ちなみに、その後しばらくして、こんなニュースが入ってきた。連れ合いの弟の子ども、甥の一人が最近結婚されたと。42歳のその子が、60歳で3人お子さんがいらっしゃる女性と「家庭を持たれた」ということだった。これはこれで僕には嬉しいニュースだったから、今後こういう結婚もふえていくだろう。ただ、この結婚に向けては、二人の間の子どもさんは期待されてはいまいから、連れ合いの弟さんに男系の孫が出来るという昔流の望みは絶たれたわけである。もっともその弟さん夫婦は「男系の孫」に拘る方々ではないが、孫はほしいとは言っていた。

 それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」。中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評文で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書の「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。

 それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はともかく、曾孫はたった二人! その孫たちももう全員四〇代を過ぎている。一般に「母子家庭が最貧困家庭である」とか、「貧富の世襲は当たり前になった」とかもよく語られている。今の日本においては、どんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が少なくなって、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。

 こんな豊かな現代世界がこんな原始的な現象を呈している。それも、世界的な格差という人為的社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつある時代と、そんなことも言えるのではないか。
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随筆紹介 「失ったもの」   文科系

2018年08月31日 05時49分47秒 | 文芸作品
  失ったもの  H・Tさんの作品です


「おはようございます。配達のKです」
牛乳。冷凍食品。そして野菜と果物と食材を並べ、次の注文票を手にして、
「ありがとうございました。また来週に」
 これは毎水曜日のわが家の朝である。
 四か月前から私は食材の配達をN社にと、友人の勧めで利用している。集合住宅の三階に住んでいる私が大きな買い物袋をよいしょよいしょと持ち上げているのを見て、食材を宅配してくれるN社を教えてくれたのである。
“なるほど便利だ”、“週一回毎に注文票が届き記入するだけ。時間はとられないし、支払いは一か月毎に銀行から”。なぜもっと早くからと思ったほどである。注文票と共に新鮮な食材。それを使った料理が山のようにずらりと並んでいる。
 最初からうれしくて、あれもこれもと注文票に移入した。届いた食材は冷蔵庫。冷蔵庫はあっという間にいっぱいになり、野菜は台所に山のようになった。ひとり暮らしの私はとても食べられず、友人、知人に助けてもらった。
 肉や魚はかちかちの冷凍で板のようだ。インスタント食品もなじめない。野菜は多かったり少なかったりで適量がむずかしい。

 でも一か月、二か月が過ぎ、やっと、納得できるように注文ができるようになった。そして気が付けば、何となく食生活に満足できず、時間の余裕もなくいらいらと過ごす時が多いのに気づいた。

 ある日近くのデパートの地下、ある食品売り場に立ち寄った。
“たけのこ”、 “黄色の蕾のついた青菜”、“とれたての新鮮なわかめ”。魚市場には“鰆”、鰹など旬の魚が並んでいる。
“筍は今も田舎の裏山で土を盛り上げているだろうか”
“目に青葉の初かつお……”。
 春いっぱいの食べ物。しばらく立ち止まって、動けなかった。

 便利便利で何かを、大事なものを手放してしまい、それに気づかず、よろこんでいたのではと、残り少ないであろうこれからの日々をしっかりと、私は生きていきたい。
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