朝鮮征服目指し40年、植民地35年 文科系
(その2)朝鮮の英雄・安重根をめぐって
前回見た江華島事件(1875年)から1910年の朝鮮完全征服まで、日本による朝鮮制圧深化と人民の抵抗運動はどんどん進んでいく。ソウルの「安重根義士記念館」パンフレットに載っている19世紀末だけをとってみても、どれだけの事件があったか。
壬午軍変(じんごぐんへん、1882年)、甲申政変(こうしんせいへん、1884年)、東学農民戦争と日清戦争(1894年)、乙未事変(いつびじへん、1895年)などなどと。反乱が起こって鎮圧したり、日本の大軍を初めて外国に常時駐留させることになったり、日本支配に抵抗した王妃を斬殺・死体焼却させたり。この斬殺は、三浦梧楼という武官の公使が暗殺団首魁だと判明したのだが、広島地裁集団裁判において証拠不十分とかで釈放になっている。
さらには、朝鮮を巡って清国や日本抵抗勢力と戦争にも発展した東学農民戦争は、朝鮮半島南部全域に広がるという激しい抵抗運動だった。ちなみに、安重根獄中自叙伝には「伊藤博文の罪状 15か条」が付されているが、その第8にこう書かれている。
『国権回復のために蜂起した大韓国の義士たちと、その家族10万余人を殺害した罪』
こういう諸事件の一つの結末が、1910年の朝鮮併合である。韓国ではこの併合のことを普通に、その年の呼び名を付けて「庚戌国恥」と呼んでいる。安重根事件はその前年のこと。1909年にハルピンで日本朝鮮総統・伊藤博文を暗殺したのである。記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記していた。
さて、この「義挙」に関わって14年1月、日本でこんな出来事があった。伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が安重根記念館を開館して韓国が謝意を表したという問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と反撥意見を表明したのである。正式抗議もしたようだ。どっちも理ありとも見えてなかなか理解の難しい問題であるが、安倍政権のこの態度を以下のように批判したい。
当時の「法律」から見たら当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろう。が、明治維新直後の征韓論勃興から数えたら40年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は僕にはどうにも理解しがたい。これで言えば、前回に書いた日本による江華島事件などはどう批判したらよいのか。国際法に違反して漢江を首都近くまで遡って艦砲砲撃を進め、城や民家を焼いて35人を殺しているのである。黒船ペリー来航、即東京湾岸を艦砲砲撃というようなこの事件だけでも、安重根の罪よりもはるかに重いはずだ。前にもここで述べたことだが、安重根テロリスト論はさらに、こんなふうに批判できると思う。
さて次に起こるはずのこの理解はどうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。僕は、こういう理解にも賛成しかねる。
今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。
こんな論理で言えば、新大陸発見後に南米で無差別大量殺人を行ったピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになる。こうして、当時の対立する一方が押しつけた法以外ではどうにも正当化できないこういう論理、立場というものを改めて敢えて強調するというのが、安倍政権の対外政策指針に見えるのである。こういう態度は、法にさえ反しなければ悪くないのだと言い続けるやり方と同じ種類のものでもあろう。中韓に対する高圧的な態度しかり、A級戦犯や東京裁判の「否定」しかり。「日本の植民地政策が批判されるが、西欧はもっと長く、苛酷にやってきたではないか!」と開き直るのも、同じ態度だろう。(当ブログ『「テロリスト」「愛国者」、安重根記念館 2014年04月05日』参照。右欄外の「バックナンバー」年月から入って「14年4月5日」クリックで、このエントリーも読めます)
全く安倍政権はどういう外交論理を持ち、どういう神経をしているのだろう。相手の立場の尊重という一片の理性も見えず、言ってみるならば「人間関係はケンカ、対立が当たり前。こちらの論理を語るだけ」と述べているに等しい。異なった人間との人間関係は、所詮喧嘩だという社会ダーウィニズム丸出しの外交を思い起こさせる幼稚さだと言いたい。
(その2)朝鮮の英雄・安重根をめぐって
前回見た江華島事件(1875年)から1910年の朝鮮完全征服まで、日本による朝鮮制圧深化と人民の抵抗運動はどんどん進んでいく。ソウルの「安重根義士記念館」パンフレットに載っている19世紀末だけをとってみても、どれだけの事件があったか。
壬午軍変(じんごぐんへん、1882年)、甲申政変(こうしんせいへん、1884年)、東学農民戦争と日清戦争(1894年)、乙未事変(いつびじへん、1895年)などなどと。反乱が起こって鎮圧したり、日本の大軍を初めて外国に常時駐留させることになったり、日本支配に抵抗した王妃を斬殺・死体焼却させたり。この斬殺は、三浦梧楼という武官の公使が暗殺団首魁だと判明したのだが、広島地裁集団裁判において証拠不十分とかで釈放になっている。
さらには、朝鮮を巡って清国や日本抵抗勢力と戦争にも発展した東学農民戦争は、朝鮮半島南部全域に広がるという激しい抵抗運動だった。ちなみに、安重根獄中自叙伝には「伊藤博文の罪状 15か条」が付されているが、その第8にこう書かれている。
『国権回復のために蜂起した大韓国の義士たちと、その家族10万余人を殺害した罪』
こういう諸事件の一つの結末が、1910年の朝鮮併合である。韓国ではこの併合のことを普通に、その年の呼び名を付けて「庚戌国恥」と呼んでいる。安重根事件はその前年のこと。1909年にハルピンで日本朝鮮総統・伊藤博文を暗殺したのである。記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記していた。
さて、この「義挙」に関わって14年1月、日本でこんな出来事があった。伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が安重根記念館を開館して韓国が謝意を表したという問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と反撥意見を表明したのである。正式抗議もしたようだ。どっちも理ありとも見えてなかなか理解の難しい問題であるが、安倍政権のこの態度を以下のように批判したい。
当時の「法律」から見たら当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろう。が、明治維新直後の征韓論勃興から数えたら40年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は僕にはどうにも理解しがたい。これで言えば、前回に書いた日本による江華島事件などはどう批判したらよいのか。国際法に違反して漢江を首都近くまで遡って艦砲砲撃を進め、城や民家を焼いて35人を殺しているのである。黒船ペリー来航、即東京湾岸を艦砲砲撃というようなこの事件だけでも、安重根の罪よりもはるかに重いはずだ。前にもここで述べたことだが、安重根テロリスト論はさらに、こんなふうに批判できると思う。
さて次に起こるはずのこの理解はどうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。僕は、こういう理解にも賛成しかねる。
今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。
こんな論理で言えば、新大陸発見後に南米で無差別大量殺人を行ったピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになる。こうして、当時の対立する一方が押しつけた法以外ではどうにも正当化できないこういう論理、立場というものを改めて敢えて強調するというのが、安倍政権の対外政策指針に見えるのである。こういう態度は、法にさえ反しなければ悪くないのだと言い続けるやり方と同じ種類のものでもあろう。中韓に対する高圧的な態度しかり、A級戦犯や東京裁判の「否定」しかり。「日本の植民地政策が批判されるが、西欧はもっと長く、苛酷にやってきたではないか!」と開き直るのも、同じ態度だろう。(当ブログ『「テロリスト」「愛国者」、安重根記念館 2014年04月05日』参照。右欄外の「バックナンバー」年月から入って「14年4月5日」クリックで、このエントリーも読めます)
全く安倍政権はどういう外交論理を持ち、どういう神経をしているのだろう。相手の立場の尊重という一片の理性も見えず、言ってみるならば「人間関係はケンカ、対立が当たり前。こちらの論理を語るだけ」と述べているに等しい。異なった人間との人間関係は、所詮喧嘩だという社会ダーウィニズム丸出しの外交を思い起こさせる幼稚さだと言いたい。