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小説 「歩く」 (後編)   文科系

2018年08月18日 16時31分11秒 | 文芸作品

 同じ日二十時過ぎ、森本に、定例コースを終えて部屋に入っていく二人を開け放たれたドアの外やや遠くから見る機会が訪れた。森本はその場で仕事らしきものを見つけて座り込み、さりげない観察を始める。
 律子がまずベッドの端に座る。次いで雅実がその前に立ち自分の両手をつかませて、例の「キヲツケ」をやらせている。そのうちの何回かは、立った時の律子の右膝を雅実が右手で伸ばす。「きゅっと真っ直ぐ!」、いちいちそんな言葉が森本にも届いて来る。
 起立の後は、伝い歩きによるトイレ行、入れ歯を外してのうがい、パジャマへの着替えへと続いた。雅実はほとんど手を出さずに、ただ見つめている。森本も改めてあきれるほどに一つ一つの行為がゆっくりで、延々と続いてゆく。トイレなどは中でうたた寝でもしているのではないかと、いぶかられるほどの長さだ。
 そして着替えは、まず腕を袖に通した上着の前で指が何度も何度も行き来している。ボタンの掛け違えなどで律子自身が困ってしまった経験が、後遺症となって残っているようだ。近視力がおぼつかなく、ボタン掛けを指の触覚に頼らねばならぬことの結果らしい。やせ細って、かさかさで、右手に麻痺があるはずの指では、この触覚頼りも随分心許ないだろう、そう森本は見て取った。
 次に、パジャマのズボンの方がまた、大仕事である。脱ぐのとはくのとで二回、座ったベッドから柵を杖にして立ち上がらねばならない。はくときで言えば、座ったまま両脚をそれに通して、それからおもむろに立ち上がり、両手を交互に使ってゴムの部分を腰上までたくし上げていくというやり方だ。その間、残りの片手を震わせながら突っ張って、直立姿勢を支え続けねばならぬというわけである。こういった悪戦苦闘の着替えが結局、正味二十五分も続いたろうか。
 ゆったり座ってこれら全てを見つめていた雅実が、着替えが終わった瞬間に拍手を贈る。褒めていると言うよりも、できたことを喜んでいるという様子だ。律子は大きく肩を下ろして、ニソッとした笑いを返して見せた。
〈ほんとに、残った自立の力を大切にしようというやり方だ。僕らのような仕事の流れでの付き合いなら、とてもここまでは待てないね。そうしてみると毎日の『回廊一周』は、こういう自立の力を維持していく一番の基礎になると、十分知ってやってたんだよ。たしかに、これができる間は寝たきりにもならないし。それにしても律子さん、なんであんなに頑張れるんだろう。このエネルギーも、息子さんのあの気長さも、二人ながらこんな家族はちょっと見たことがないなぁ〉
 森本は、初めて意識して観察したこの結果に、ゆっくりと幾度かうなづいていた。しかしすぐ後に、彼の肝腎の疑問はこう続いていく。
〈それにしても、自立を大切にするにしても、それが、あの熱心さの訳ということじゃないでしょう?看る側か看られる側かどっちかが諦めちゃう場合だってあるはずだし?〉
 雅実が帰る素振りを見せた。ベッドに横向きに寝ていた律子が、不自由な右手をひらひらさせながら差し出し、いっぱいの笑顔を贈る。感謝のしるしのようだ。すると、雅実がその手を握り返して、握手となった。最近の帰りの儀式らしい。以前の『さよなら』の儀式は、律子が壁に沿って伝い歩きで部屋の外まで出て、そこで雅実がエレベーターまで歩くのを見送り、手を振って別れ合うというものだったはずだ。彼女は来訪者全てに、そうしていたものだ。
 

 森本が次に佐伯親子を観察するチャンスは、その数日後にやって来た。その日勤務が終わった十九時頃、二人が屋上にいると同僚に聞いて、行ってみることにした。親子がそこでこの頃よく何か「パーティー」をやっているらしいと小耳にはさんだからである。
 屋上エレベータールームの物陰で初めに目に入ってきた光景はこんなものだった。
 夕日が真西にあり二人が東のベンチに座っているとしたら、森本の位置はさしづめ南西というところだろう。既に幾分暗くなった朱一色の光景の中の二十メートルほど先に、遮る物なく親子が見えた。ハーモニカの音が響いている。雅実が吹いているのだ。風が遠い西の山脈から運ばれて来て、律子の細い白髪を絶えずふるわせている。外は意外に涼しいらしい。小さな木製のテーブルには、飲み物の缶がのっている。一本はビールのようで、その脇にあるのはピーナッツだろうか。
 ハーモニカの曲名は覚えていないが、旋律は森本にも確かに聞き覚えがある。それも、学校の音楽の授業で習ったものだ。吹奏二回目に入ったところで、森本は一番の歌詞を口ずさんでみた。律子が目をつぶり曲に合わせてアゴを出し入れしているのが見える、その動きに合わせながら。

 ”いくとせ故郷 来てみれば
   咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
   門辺の小川のささやきも
   慣れにし昔に変わらねど
   荒れたる我が家に
   住む人 絶えてなく”
   (作者注 イギリスの歌。日本曲名は「故郷の廃家」。犬童球渓作詞)

 曲が終わって、目を開けた律子が雅実にほほ笑む。職員に人気のある、人の警戒心が解けていくようなあの「可愛い笑い顔」である。いや、あれよりもくつろいだ、小さなほほ笑みと言うべきだろう。それから、雅実がビールらしきものを飲むと、律子が真似をするように缶をゆっくりとあおる。雅実がピーナッツを口に放り込むと、律子もそれをつまんで口に運ぶ。また、西の方から風が来たらしく、二人の髪が揺れ、細められた視線が風上に向けられる。今日二人はもう幾度夕日を見つめたのだろうか。
〈今の律子さんには、日々の楽しみの全てが雅実さんなんだ。彼の来訪自身が、凄く大きい楽しみというだけじゃなくて〉
 森本が、様々な律子の言動の記憶をたどりつつ、見つけた感じをふっと表してみた言葉である。一人では歩けない。字も読めない。テレビ番組も、言葉が速すぎてまず分かりはしないだろう。他人との交歓でさえ普通のやり方ではおよそ不可能で、彼女はもうほとんど諦めかけているようだ。そんな律子にも、こういう楽しみがあった。
 夕風、夕日、飲み物、ハーモニカ、そして、これら全てを彼女とともにする雅実。今、森本には、目の前の二人のこれまでがほとんど解きほぐされて来るような気がしていた。

「生きていてくれるだけでよい」とは、ここでもよく聞く言葉である。しかしその気持ちがこういう相手にきちんと伝わるには、大変な行為の積み重ねが必要とされよう。これだけの弱者は嫌でもひねくれてしまうのが普通ではないか。「こんなじゃ、生きていても仕方ないねぇ」、よく呟かれる言葉だ。けれども、周囲の他人が無意識にせよこの言葉を真に受けた体で現に振る舞うとしたら、それはもう論外というものではないだろうか。本人が意志を持ってここまで生き続けてきたという事実が眼前にあるのだから。
 こんな言葉や、それらへの日頃の疑問、抵抗を改めて反芻してみながら、森本は目の前にある夕焼けの中へゆっくりと歩き出していった。


 (終わり)
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