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 随筆 クラシックギター「大聖堂 第三楽章」  文科系

2021年03月08日 14時31分56秒 | 文芸作品

 また標記のことを書く気になった。僕の停年後に始まって18年目になる教室通いクラシックギターの随想をここに書いて、この「大聖堂」はもう何回目になるだろうか。ソルのエチュード・セゴビア編集20曲集の第17番と並んで執着し続けてきた僕の腕には余る難曲。何回もレッスンに上げてきた曲だから、ここで何回も随想してきたことになる。好きで毎月弾いてきてほぼ暗譜している暗譜群曲が20数曲ある僕なのだが、この2曲が、同じバリオスの「郷愁のショーロ」やバッハの998プレリュード、タレガの数曲などと並んで特に好きなのだ。ただ、この大聖堂はもう二曲「魔笛の変奏曲」、トレモロの「アルハンブラ」とともに、上記の他の曲とは違って発表会では弾くことができない曲のままであり続けてきた。いつまでたっても、どれだけ弾き込んできても、僕の手に余りすぎたままなのである。特にこの第三楽章が僕には難物なのだ。それも、過去今まで3回はレッスン曲に挙げてきたのに、物になりそうだとも感じられなかったのである。長いレッスン期間では、この第三楽章だけで四か月という時もあったというのに。

 さて、この第三楽章が難しいというのは、どういうことなのだろうかと、いつも考えてみる。スラーがあちこちに入った速いアルペジオやスケールの中から、旋律やアクセントを浮かび上がらせる曲の作り自身が難しい。そのアクセントをまた、右手で最も弱い薬指で弾くことが多いのだし。加えてこんなこともある。ギターという楽器が速い曲を苦手とするのは、ピアノと違って左手で音程を作らなければならないからだが、こういう左指のスピードが、60過ぎの停年後手習いの身には特に難物になる。
 これにまた、最初にこの曲を覚えた時に身につけてしまった悪癖、拙い右指使いが輪を掛けていて、これを直すのにこれまでも、そして今でもなお、四苦八苦しているのである。時には、右手全体が躍っていると先生に指摘されることもある。この癖がまた、出たり出なかったりで、その原因も最近になってやっと分かって来たかというところ。

 早朝の大聖堂の清澄に、一人出掛けて浸りきっているような第一楽章。やがて、おごそかなミサが始まって、その次第に乗っ取って進んでいくような第2楽章。第3楽章は打って変わって、散開した人々が行き交う市場の風景なのでもあろうか。ここの鳴らすところをちゃんと鳴らしつつリズムに乗って軽快に弾けていったら、どんなに気持ち良かろうにといつも思うのだが到底そうはいかず、正規の速さ近くで弾くならば雑音混じりでゴツゴツ、かつ、つかえつかえが直らない。それでも、前回三回目のレッスン上げでスピードを落とせば何とか聴けるかというところまできたから、今また、もっとやれそうな気になっているのである。まー、こんな速さをどこも痛めずに弾き続けていられる僕は幸せな80歳とは言えるのかも知れないが。

コメント (1)
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