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金融世界支配の歴史、現状(4)  文科系

2021年03月30日 06時08分27秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 第3章 金融グローバリゼーションの改革

 第1節  国際機関などの対応

 金融グローバリゼーションの主は『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』で、これが主導する世界的合意がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたもの。これにめぐって「100年に1度の危機」直後にはこんな状況があった。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
 しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)
 ここで言うロンドンG20の後2010年11月のG20ソウル会議では、こんな改革論議があった。①銀行規制。②金融派生商品契約を市場登録すること。③格付け会社の公共性。④新技術、商品の社会的有用性。これらの論議内容を、前掲書「金融が乗っ取る世界経済」から要約してみよう。
  ①の銀行規制に、最も激しい抵抗があったと語られる。国家の「大きすぎて潰せない」とか「外貨を稼いでくれる」、よって「パナマやケイマンの脱税も見逃してくれるだろう」とかの態度を見越しているから、その力がまた絶大なのだとも。この期に及んでもなお、「規制のない自由競争こそ合理的である」という理論を、従来同様に押し通していると語られてあった。
 ②の「金融派生商品登録」問題についてもまた、難航している。債権の持ち主以外もその債権に保険を掛けられるようになっている証券化の登録とか、それが特に為替が絡んでくると、世界の大銀行などがこぞって反対すると述べてあった。ここでも英米などの大国国家が金融に関わる国際競争力強化を望むから、規制を拒むのだ。
 ③格付け会社の公準化がまた至難だ。アメリカ1国の格付け3私企業ランクに過ぎないものが、世界諸国家の経済・財政法制などの中に組み込まれているという問題がある。破綻直前までリーマンをAAAに格付けていたなどという実績が多い私企業に過ぎないのに。この点について、「金融が乗っ取る世界経済」に紹介されたこんなニュースは、日本人には興味深いものだろう。
『大企業の社債、ギリシャの国債など、格下げされると「崖から落ちる」ほどの効果がありうるのだ。いつかトヨタが、人員整理をせず、利益見込みを下方修正した時、当時の奥田碩会長は、格付けを下げたムーディーズに対してひどく怒ったことは理解できる』(P189)
 関連してここで、16年10月15日の新聞にこんな文章が紹介されていた。見出しは、『国際秩序の多極化強調BRICS首脳「ゴア宣言」』。その「ポイント」解説にこんな文章があった。
『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』
 15日からブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ5カ国の会議がインドのゴアで開かれていて、そこでの出来事なのである。
 ④「金融の新技術、商品の社会的有用性」とは、金融商品、新技術の世界展開を巡る正当性の議論なのである。「イノベーションとして、人類の進歩なのである」と推進派が強調するが、国家の命運を左右する為替(関連金融派生商品)だけでも1日4兆ドル(2010年)などという途方もない取引のほとんどが、世界的(投資)銀行のギャンブル場に供されているというような現状が、どうして「進歩」と言えるのか。これが著者の抑えた立場である。逆に、この現状を正当化するこういう論議も紹介されてあった。
『「金作り=悪、物作り=善」というような考え方が、そもそも誤っているのだ』

 伊藤正直氏が「金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした」と語るように、国際機関の対応の鈍さを観る時、こう思わずには居られない。米英など大国国家が金融に関わって「国際競争力強化」を望むから、規制を拒むのだと。さらには、この「国際競争力強化」願望に関わって、以下のような方向さえ観られるようになった。
 初めは現物輸出入の赤字分を金融収支の黒字分で補ってきたという程度から、この「国際競争力強化」願望はいまや金融でもって世界政治経済を制覇できるのではないか、と。世界の主要企業、穀物・食肉・石油・医療・流通など主要産業分野を金融が独占的に握りたいというだけではない。諸国家(の独立性)を浸食できるという野望さえ今やうかがわれるのである。通貨戦争に破れて破産した国家には通常ではIMF(国際通貨基金)が出動して、その国家財政方針を、つまり税金の使い方を決めてきた。これを国連(経済正規部隊)が破産国家救援に出動したと観て国連正規軍派遣になぞらえるとしたら、経済版の「紛争国家への有志国軍出動」の道もあるという理屈だ。現に、破産国ギリシャがゴールドマンを指南に入れたという、そんなやり方のことである。国家財政やその税金も世界金融に狙われるだけではなく、国家主権そのものが狙われているのだと言いたい。税金がなくなった国家は未来の税金も自由には支出できなくなる。つまり、施政の自由もなくなる。苦し紛れの窮余の一策にせよ税の使い方を金融に任せた国はもはや自立国家ではあり得ないということだ。ちなみに、中東、アフリカから膨大な難民が発生、流出したのは、これと同じ背景があるはずだ。NICSと呼ばれたことがあるタイや韓国の経済・国家規模でもアジア通貨危機で金融戦争に敗れているのだから、これに比べれば中東や北アフリカの中小国家から税金を奪うことなどは、国際金融にとっては朝飯前だろう。
 浜矩子が「国家がなくなる」と語るのは、こういう議論である。あまりにも目に余る紛争国家などには有志国軍出動ではなく国連軍の正規介入をと、またそれに相応しい民主的国連の建設をと、経済戦争についても主張していくしかない。

 第2節 各国などの対応や議論

「金融危機国への外貨融通制度」が各地域で国家連合的に作られた。世界金融資本の各国通貨空売り搾取から、中小国家を守る互助会のような側面も持つものだ。
 アジア通貨危機から学んだASEANプラス日中韓が、日中等の支出でより大きな資金枠を持つことになった例がある。岩波新書「金融権力」(本山美彦京都大学名誉教授著)は、南米7カ国が形成したバンコデルスル(南の銀行)に注目している。
  こういう独自の外貨融資制度が国際通貨基金(IMF)に対抗する側面を持つとすれば、世界銀行に対抗する動きも起こった。最近アジア開発銀行に対抗して創られたアジア・インフラ開発銀行がそれだ。
 前節にも見たように、『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』とBRICS諸国が最近発表したが、これも同じ一連の趣旨のものと言える。
 IMFや世銀が金融グローバリズム寄りになり過ぎているという非難が中小国家に多いが、以上はそれらを取り込んでいく取り組みと言いうる。南米とアフリカの代表、および大国インドが入っていることが注目だろう。

 世界的不況で日米欧それぞれに内向きの動きが大きくなっているだけに、BRICS諸国などの反ワシントンコンセンサス方向と実体経済重視方向との動きが、その賛否は別問題として、注目される。
 金融中心主義を排して実体経済中心へと回帰せよとの声が強くなっている。まず、「グリーンニューディール」政策などの新実業開発を強調する人々は、そこに新たに雇用を求める。雇用問題・格差の解消一般をなによりも強調する人々は、金融規制、実業開拓の方向と言えよう。なお、「グリーンニューディール」とはこういうものだ。
 『用語の起源は、イギリスを中心とする有識者グループが2008年7月に公表した報告書「グリーン・ニューディール」である。ここでは、気候・金融・エネルギー危機に対応するため、再生可能・省エネルギー技術への投資促進、「グリーン雇用」の創出、国内・国際金融システムの再構築等が提唱されている。
 同年10月には、国連環境計画(UNDP)が「グリーン経済イニシアティブ」を発表し、これを受けて(中略)オバマ大統領は、今後10年間で1500億ドルの再生可能エネルギーへの戦略的投資、500万人のグリーン雇用創出などを政権公約として打ち出した。(中略)』(東洋経済「現代世界経済をとらえる Ver5」、2010年発行) 

 グリーンニューディール政策には雇用対策も含まれているわけだが、雇用対策自身を現世界最大の経済課題と語る人の中には、こんな主張もある。
『私は非自発的雇用の解決には労働時間の大幅な短縮が必要だと考えている。具体的には、週40時間、1日8時間の現行法定労働時間数を、週20時間、1日5時間に短縮するように労働基準法をあらためるべきだと考えている。企業による労働力の買い叩きを抑止するためには、年間実質1~2%の経済成長を目指すよりも、人為的に労働需要の逼迫を創り出すほうが有効だからだ。経済学者は、そんなことをしたら企業が倒産すると大合唱するかも知れない』(高橋伸彰立命館大学教授著「ケインズはこう言った」、NHK出版新書2012年8月刊)
 8時間労働制とは、歴史的には既に19世紀の遺物とも言えて、20世紀の経済学者ケインズが現状を見たら8時間労働制が続きさらに時間外労働までふえていることに驚嘆するはずだ。これだけ豊かになった世界がこれを短縮できない訳がないと。ただ、これを実現するのは、金融グローバリズムの抵抗を排してのこと。国連などがイニシアティブを取って世界一斉実施を目指す方向になろうが、イギリス産業革命後などの10数時間労働時代が世界的に8時間制度になったことを考えれば、空想という事でもあるまい。近年使われる言葉では労働時間短縮はワークシェアとも言えるのである。
 同じ時間短縮、ワークシェアを語るもう1例を挙げる。『こうした格差拡大の処方箋としては、まず生活保護受給者は働く場所がないわけですから、労働時間の規制を強化して、ワークシェアリングの方向に舵を切らなければなりません。
 2012年の年間総労働時間は、一般労働者(フルタイム労働者)では、2030時間となっており、これはOECD加盟国の中でも上位に入る長時間労働です。サービス残業を含めれば、実際はもっと働いています。ここにメスを入れて、過剰労働、超過勤務をなくすように規制を強化すれば、単純にその減少分だけでも相当数の雇用が確保されるはずです。(中略)
 私自身は、非正規という雇用形態に否定的です。なぜなら、二一世紀の資本と労働の力関係は圧倒的に前者が優位であって、こうした状況をそのままにして働く人の多様なニーズに応えるというのは幻想といわざるを得ないからです。』(『資本主義の終焉と歴史の危機』、水野和夫・元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト著。2014年刊)。


 第3節  平和に生きて行ける世界目指して

 岩波新書、西川潤早稲田大学大学院教授の著「世界経済入門」(07年第5刷版)は、1988年に初版が出て、『大学や高校の国際経済学、国際関係論や政治経済の副読本としても広く使われ』たというベストセラーだった。この第5版はグローバリズム経済への抵抗運動を見る点を終始問題意識の一つとして書き直された『新しい入門書』という重要かつ珍しい側面を持っている。
『経済のグローバル化』は、『人権や環境など、意識のグローバル化』を進展させずにはおかなかったと語る。そして、この書は、この両者の『相関、緊張関係を通じて、新しい世界秩序が生成しているとの視点に立っている』と解説される。これに呼応した回答として述べられているのは、最終章最終節のこんな記述であろう。
『この経済のグローバル化が世界的にもたらす不均衡に際して、ナショナリズム、地域主義、市民社会、テロリズムといくつかのチェック要因が現れている』
『これらの不均衡やそれに根ざす抵抗要因に対して、アメリカはますます軍備を拡大し、他国への軍事介入によって、グローバリゼーションを貫徹しようと試みている』
『(アメリカの)帝国化とそれへの協力、あるいはナショナリズムが、グローバル化への適切な対応でないとしたら、残りの選択肢は何だろうか。それは、テロリズムではありえない』
『これまでの分析を念頭に置けば、市民社会と地域主義が私たちにとってグローバリゼーションから起こる不均衡を是正するための手がかりとなる事情が見えてくる』
 とこう述べて、結論とするところはこうなる。
『1999年にオランダのハーグで、国際連盟成立のきっかけとなったハーグ平和会議1世紀を記念して平和市民会議が100国1万人余の代表を集めて開催された。この宣言では「公正な世界秩序のための10の基本原則」として、その第一に日本の平和憲法第9条にならって、各国政府が戦争の放棄を決議することを勧告している』
『2001年には、多国籍企業や政府の代表がスイスで開くダボス会議に対抗して、ブラジルのポルトアレグレで世界のNGO、NPOの代表6万人が集まり、世界社会フォーラムを開催した。このフォーラムは「巨大多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家、国際機関が推進しているグローバリゼーションに反対し、その代案を提起する」ことを目的として開かれたものである。(中略)その後、「もうひとつの世界は可能だ」を合言葉とするこの市民集会は年々拡大し、2004年1月、インドのムンバイで開かれた第4回の世界社会フォーラムでは、参加者が10万人を超えた』

 上記文中の世界社会フォーラムに未来を見るアメリカ人哲学者の言葉も上げておこう。ノーム・チョムスキーの著作「覇権か生存か アメリカの世界戦略と人類の未来」(集英社新書2004年刊)からの抜粋である。
『非常に力強い展開として、一般の人々の間に人権という文化がゆっくりと育っていることが挙げられる。そうした傾向は1960年代に加速し、大衆運動が多くの分野に目覚ましい啓発の効果をもたらし、その後も長期にわたって拡大していった』
『1980年代にアメリカの本流の中で生まれた連帯運動は、特に中米について考える運動であり、帝国主義の歴史に新生面を切り開いた。帝国主義社会の多くの人々が悪質な攻撃の犠牲者のもとで一緒に暮らし、援助や保護の手段を提供することなど、それまでは一度もなかったのである。(中略) そこから正義を求めるグローバルな運動が生まれて、世界社会フォーラムを毎年開催しているが、これは運動の性質、また規模においてもかってない全く新しい現象だ』
『今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」──世界社会フォーラムを駆り立てる言葉──  という信念に捧げられ、イデオロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する』

 西川、チョムスキー両氏が注目する世界社会フォーラムは現在も続いており、当然国連の役割を重視する。ここには、チョムスキーや、リーマンショックの総括書「国連スティグリッツ報告」を出したジョセフ・スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞者)も一報告者として参加している。彼らは、国連のイニシアティブによる金融(暴力)規制を切望してきた。

 

(終わりです)

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 こんなサッカー代表ゲーム、観たこと無い  文科系

2021年03月30日 06時01分39秒 | スポーツ

  五輪世代代表日本が、アルゼンチンに3対0で勝った。この勝利以上に日本の激しいディフェンスが僕にはとても大きな驚きであった。3日前の同じ相手との闘いとは見違えるような、攻めのディフェンス。球際で、最後の一歩の厳しさが衰えなかったのである。いつも取る、観戦メモの前半にも、後半出だしのアルゼンチン大攻勢にも、「こんな激しいゲームも珍しい」と書いてある。南米一位になったアルゼンチン五輪チームも激しく当たってくるから、こんなゲームはちょっと観たこと無いというボール際の攻防の連続になったのだ。そして、3日前の敗戦時と違って日本の「最後の一歩」が相手を上回っていたから、相手のパスなども余裕がなくなっていたのである。

 前半終わりがけの先取点は、絵に描いたように模範的な抜け出し得点。最後尾の右ディフェンダーの位置に居た瀬古(セレッソ大阪)が、走り出していたFW林(サガン鳥栖)の鼻先へと超ロングパス。これがピタリと合って、2人の敵DFを振り切った林が前を塞いだGKの左手外を抜いてゴール右隅に決めた。FWの走り出しにロングパスがドンピシャという、絵に描いたような抜けだし得点だった。

 こんな得点が決まると、相手のダメージは想像以上に大きくなる。相手DF陣が押し上げにくくなり、コンパクトな布陣が取れなくなってボール奪取争いで後手を踏むことになった。事実、後半すぐに大攻勢に出たアルゼンチンだったが、なかなかシュートまで持ち込めなくなっていた。
 するとどうだ。後半20分台に、日本の左コーナーキックから立て続けに2得点である。コーナーを蹴ったのはいずれも久保建英で、両得点とも板倉だった。 

  南米五輪予選で優勝したこのアルゼンチンチームが、このゲームで何本シュートを打てていたのだろう。多くても3本? とにかく、このゲームで強豪に対する日本の戦い方が見えた。「コンパクト布陣で、目前の相手に詰め切る、走りきる」。

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