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同じタイ通貨危機、わかりやすい解説  文科系

2021年03月25日 10時57分04秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今また、米一国支配になった世界でアメリカが今日までやり尽くした「戦争」を紹介しておこう。張本人が隠していて、その告発も抑えているから、ほとんどの人が知らない通貨危機の仕組である。以下は、このブログで度々ベスト⑩に入ってくるエントリーの一つなのだが、いわゆるアジア通貨危機の勃発点タイで起こったことの学者による解説である。このタイの通貨空売りから、このタイに投資していて大損したアジア諸国の通貨空売りへと発展し、韓国などがその通貨で大損して儲けたのは誰か。この同じことが、ブラジルに、ロシアに、アルゼンチンに世界中で30年間にわたって何度も何度も起こされたのであった。これこそ、現代の実質的戦争なのだ。帝国主義の植民地戦争は直接暴力に物を言わせるが、通貨危機は現代の目に見えない暴力である。

 

【  「100年に1度の危機」とはなんだったのか(3) 文科系  2016年11月28日

 第3節 アジア通貨危機の発端、タイの例

『「投機家はタイに自己実現的通貨投機をしかけた。1ドル25バーツに事実上固定していたタイ・バーツが貿易収支の悪化から下落すると予想し、3か月後に25バーツでバーツを売りドルを時価で買う先物予約をすると同時に、直物でバーツを売り浴びせた。タイ中央銀行は外貨準備250億ドルのほとんどすべてを動員して通貨防衛を試みたが力尽きた。」(東洋経済「現代世界経済をとらえる VER5」』

 タイのこの問題に詳しい専門家による解説をご紹介しよう。なんせ通貨危機というのは、「1970年から2007年まで世界208カ国で起こり」(前掲書 伊藤正直「金融危機は再びやってくる」)、中小国家などからは「通貨戦争」とも呼ばれて恐れられてきたもの。中でもこのタイ通貨危機は、97年の東アジア通貨危機の発端・震源地になった事件として重要なものだ。毛利良一著「グローバリゼーションとIMF・世界銀行」(大月書店2002年刊)から抜粋する。

『通貨危機の震源地となったタイについて、背景と投機の仕組みを少しみておこう。タイでは、すでに述べたように経常取引と資本取引の自由化、金融市場の開放が進んでいた。主要産業の参入障壁の撤廃は未曾有の設備投資競争をもたらし、石油化学、鉄鋼、自動車などで日米欧間の企業間競争がタイに持ち込まれた。バンコク・オフショアセンターは、46銀行に営業を認可し、国内金融セクターが外貨建て短期資金を取り入れる重要経路となり、邦銀を中心に銀行間の貸し込み競争を激化させて不動産・株式市場への資金流入を促進し、バブルを醸成した。(中略) 投機筋は、まずタイ・バーツに仕掛け、つぎつぎとアセアン諸国の通貨管理を破綻させ、競争的切り下げに追い込み、巨大な利益を上げたのだが、その手口はこうだ。(中略) 1ドル25バーツから30バーツへの下落というバーツ安のシナリオを予想し、3ヶ月や半年後の決済時点に1ドル25バーツ近傍でバーツを売り、ドルを買う先物予約をする。バーツ売りを開始すると市場は投機家の思惑に左右され、その思惑が新たな市場トレンドを形成していく。決算時点で30バーツに下落したバーツを現物市場で調達し、安いバーツとドルを交換すれば、莫大な為替収益が得られる』

 分かりやすく説明するとこういうことだ。
 1ドルがタイ通貨25バーツの時点で、3か月後に1ドル25バーツでドルを大量に買う先物予約をしておく。その上で、バーツを一挙に、どんどん売り始める。そこには、予め同業者などから大量に借りる契約がしてあったバーツなども大量に含まれている。自分が所有していない債券、商品などを売る行為を空売りと呼ぶが、これらの結果、3か月後1ドル30バーツになって起こることを、例示してみよう。1億ドルで30億と安くなったバーツを普通に買ってから、先述の先物予約を行使してこのバーツでドルを買えば1億2千万ドルに換えられる。また、普通は不安になるこんな「大商いへの確信」も、世界大金融には比較的容易なものだ。動かせるバーツとタイ政府の「防御体制(金額)」とを比較でき、そこから勝利の目処となる投入金額に目算も立つからである。

 上記毛利良一氏はこう続けている。
『投機で儲けるグループの対極には、損失を被った多数の投資家や通貨当局が存在する。
 投機を仕掛けたのは、ヘッジファンドのほか、日本の銀行を含む世界の主要な金融機関と、・・・・機関投資家であった。また、1999年2月にスイスのジュネーブで開かれたヘッジファンドの世界大会に出席した投資家は、「世界中を見渡せば、過大評価されている市場がどこかにあります。そこが私たちのおもちゃになるのです」と、インタビューで語っている』

 なおこのアジア通貨危機理解に関わって、「内因説」「外因説」が存在する。後者は、世界経済フォーラム(ダボス会議)に対抗して開かれた世界社会フォーラムの主張が代表的だと、そう述べるのは前掲書「金融危機は再びやってくる」。またこのことについて、後にリーマンショックにかかわった「国連のスティグリッツ(を代表とした)報告」を出したこのノーベル経済学賞受賞者は、世界認識をちょっと変えている。初めは、単にこうだった。「バブルが自然にできて、それが自然に破れた」。それが後にはこうなった。「あの出来事は、自然なバブルが無くても起こった。国際資本寄りの世界機関対応が起こしたものだ」と。つまり、80年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を筆頭とした日本とともに世界で経済的に最も栄えたNICSの金が、タイ、韓国、台湾などを中心として、計画的に略奪されたのである。スティグリッツは、そう観直したわけである。こういうかってないような壮大な歴史的事件については、こう言い直した方がよいかも知れない。「結果としては、計画通りに」と。】
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空売りの仕組、アジア通貨危機震源地タイの場合  文科系  

2021年03月25日 10時19分55秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 いつもいつも、このエントリーの必要性を新たに感じるのです。また、何度目かの転載になりますが。

 

【 世界経済史の今を観る(6)通貨危機の仕組・タイの例  文科系  2013年3月29日

 
 24日の拙稿『随筆「頽廃極まる政治」』を連れ合いに読んでみたら、この部分をもっと分かりやすく知りたいと言う。
『「投機家はタイに自己実現的通貨投機をしかけた。一ドル二五バーツに事実上固定していたタイ・バーツが貿易収支の悪化から下落すると予想し、三ヶ月後に二五バーツでバーツを売りドルを時価で買う先物予約をすると同時に、直物でバーツを売り浴びせた。タイ中央銀行は外貨準備二五〇億ドルのほとんどすべてを動員して通貨防衛を試みたが力尽きた。」(東洋経済「現代世界経済をとらえる VER5」二〇一〇年。一二一頁)』

 今日はタイのこの問題に最も詳しい専門家による解説をご紹介したい。なんせ通貨危機というのは、「1970年から2007年まで世界208カ国で起こり」、各国恐怖の対象とされてきたもの(岩波ブックレット12年刊 伊藤正直「金融危機は再びやってくる」P3)。世界金融資本の最大暗躍手段・場所の一つであって、世界各国から「通貨戦争」とも呼ばれている。なお、このタイ通貨危機は、97年の東アジア通貨危機の発端・震源地になった事件として非常に重要なものである。
 毛利良一著「グローバリゼーションとIMF・世界銀行」(大月書店2002年刊)243~244頁から抜粋する。

『通貨危機の震源地となったタイについて、背景と投機の仕組みを少しみておこう。タイでは、すでに述べたように経常取引と資本取引の自由化、金融市場の開放が進んでいた。主要産業の参入障壁の撤廃は未曾有の設備投資競争をもたらし、石油化学、鉄鋼、自動車などで日米欧間の企業間競争がタイに持ち込まれた。バンコク・オフショアセンターは、46銀行に営業を認可し、国内金融セクターが外貨建て短期資金を取り入れる重要経路となり、邦銀を中心に銀行間の貸し込み競争を激化させて不動産・株式市場への資金流入を促進し、バブルを醸成した。
 このようにして流入した巨額の国際短期資本は、経常収支赤字の増大や大型倒産など何かきっかけがあれば、高リターンを求めて現地通貨を売って流出する。投機筋は、まずタイ・バーツに仕掛け、つぎつぎとアセアン諸国の通貨管理を破綻させ、競争的切り下げに追い込み、巨大な利益を上げたのだが、その手口はこうだ。
 (中略)1ドル25バーツから30バーツへの下落というバーツ安のシナリオを予想し、3ヶ月や半年後の決済時点に1ドル25バーツ近傍でバーツを売り、ドルを買う先物予約をする。バーツ売りを開始すると市場は投機家の思惑に左右され、その思惑が新たな市場トレンドを形成していく。決算時点で30バーツに下落したバーツを現物市場で調達し、安いバーツとドルを交換すれば、莫大な為替収益が得られる。96年末から始まったバーツ売りに防戦するため、タイ中央銀行は1997年2月には外貨準備250億ドルしかないのに230億ドルのドル売りバーツ買いの先物為替契約をしていたという。短期資本が流出し、タイ中央銀行は5月14日の1日だけで100億ドルのドル売り介入で防戦したが、外貨準備が払底すると固定相場は維持できなくなり、投機筋が想定したとおりの、自己実現的な為替下落となる。通貨、債券、株式価値の下落にさいして投機で儲けるグループの対極には、損失を被った多数の投資家や通貨当局が存在する。
 投機を仕掛けたのは、ヘッジファンドのほか、日本の銀行を含む世界の主要な金融機関と、大手のミューチュアル・ファンドをはじめとする機関投資家であった。また、1999年2月にスイスのジュネーブで開かれたヘッジファンドの世界大会に出席した投資家は、「世界中を見渡せば、過大評価されている市場がどこかにあります。そこが私たちのおもちゃになるのです」と、インタビューで語っている。

 以上につき僕の感想のようなことを一言。一昨年11月15日の拙稿に書いたことだが、日本の銀行協会の会長さんがこんなことを語っていた。「不景気で、どこに投資しても儲からないし、良い貸出先もない。だから必然、国債売買に走ることになる。今はこれで繋いでいくしかない状況である」。ギリシャやキプロスの危機を作っているのは、普通の銀行なのである。こんな状況で円安・金融緩和に走っても実体経済や求人関連にはほとんど何の影響もなく、株バブルや上記タイのような(通貨、株、国債などの)バブルつぶしに使われるだけという気がする。要は、それ以外の投資先そのものがないのだ。そこを何とかしなければ何も進まないと思うのだが。つまり、供給側をいくら刺激してもだめ、ケインズやマルクスが指摘したように、需要創造が問題だと言うしかないではないか。リーマンショックが起こった時に、心ある経済学者のほとんどから「ケインズ、マルクスの時代か」と言われたのは、そういう意味だったと思う。】

 

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随筆紹介  森じいさんの言語録   文科系

2021年03月25日 08時45分43秒 | 文芸作品

   森じいさんの言語録    H・Sさんの作品です                                               
                                     

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる・・・」この発言で女性蔑視だと国民から非難を受けた森喜朗じいさん。この発言を聞いた時(またやったかー。じいさん。こりないなあ)と言うのが私の素直な思いだった。その瞬間、私がすぐ思いつくだけでも国民蔑視、女性蔑視発言を六つも並べることが出来る。
一、IT革命を、「イット革命」。二、「無党派層は選挙に関心がないといって寝てしまってくれればいい」。三、えひめ丸事件。水産高校の実習船がアメリカの原子力潜水艦に衝突され沈没。高校生九名が犠牲になった日、ゴルフ場にいて知らせを聞いた後もプレイを続け「私が官邸に行かないことで何が遅れたのか」。四、「女の人だなあ、やっぱり視野が狭いなあと思った」。五、「子供を一人も作らない女性が好き勝手に自由を謳歌して楽しんで、年をとって税金で面倒を見なさいと言うのは、ほんとうはおかしい」。六、「あの子(浅田真央選手)、大事な時には必ず転ぶんですね」。この発言には「私は別に何とも思っていないですけど、森さんが今少し後悔しているのではないかな」と、練習の結果が出せなくて一番悔しく辛い思いをしていたはずの真央ちゃんが言い返した。いくつもの仰天発言に対して一矢報いたのは真央ちゃんだけ、これらの発言に新聞への投書は見かけたが、真正面から異議を唱えた人はいない。今回は、前述の発言で話が長いと標的にされた女性が、「私の事です」と、本名で名乗り出た。これも世論を動かしたようだ。一応、文化国家と見られている日本国だ。この様な国の在り方は、女性蔑視発言に始まり、国民蔑視の発言を許容してきた社会、政治構造に問題があると世界はこの国を見たことだろう。この放言で国際的な批判の嵐が起こり、やむなく辞任に至った。と言うのが森じいさんの本音だろう。

 去り際もいじましかった。じいさんは、「辞める」といえば引き止めてくれるのは、誰なのか見定めた様子だ。予測通り多くの委員がじいさんの留任を認め、居直りを許した。世論は、国際的非難を支持。じいさんに味方する人はいなかった。二転、三転。辞任が決定。後任の会長職を自分の息のかかった人に渡したく、ご指名。指名された本人もやる気だったが、さすがに周りの批判状況を見て、これはまずいと思ったのか急ぎ辞退に至った。

 森じいさんが率いたスポーツ業界は、誰もじいさんに逆らえないのだ。「物言えば唇寒し秋の風」の萎縮ムードを日本のスポーツ界に感じていると、記者が綴っていた。本人が「辞める」と言った時がチャンス。頼み込んで居座りを許してしまう。何とも解せない不思議な国だ。こういうやり方が世界に知れ渡る。恥ずかしいことだ。怪我の功名で女性役員を増やして体制を立て直してオリンピックに臨むのだと言う。コロナ禍が終わりもしないうちにオリンピックの予定日が来てしまう。これでいいのか? 国が疲弊するぞー。
「オリンピックなんかやめてしまえー」。私は毎日そう叫んでいる。

 

(文科系の所属同人誌、月例冊子3月号から)

 

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随筆紹介  婆孝行   文科系

2021年03月25日 08時41分58秒 | 文芸作品

  婆孝行       K・Kさんの作品です                                                                 

 ひょんなことから、中学一年の孫娘と古希の私との夢のコラボが実現した。孫娘は中学でソフトテニス部に入ったが、コロナ禍で練習もほとんど出来ない。
 そこで、土曜日に私が地元で楽しんでいる、ソフトテニスクラブの練習日に孫娘を誘ってみた。意外にも「行ってみようかな」と応えた。思春期で祖母と一緒のテニスは嫌がると思ったのだが。

 六〇歳代の仲間たちと、フォア、バックの一本打ちからボレー、スマッシュ、サーブ、レシーブのメニューに見よう見まねで何とかついてくる。練習試合になると「お孫さんとペアで組んだら? 孫と組むなんて夢のコラボだね」と仲間たちが勧める。
 孫娘はまだサーブの練習を始めたばかりで試合形式も初めてのこと。ルールもしっかり分からないがとりあえずスタート。一五〇センチの私が後衛で走り回り、一六五センチの孫娘は前衛で立つ。たまたまボールに反応してポイントをとると笑顔でハイタッチ。

 ママさんになってから始めたソフトテニスも三〇年。この頃は体力が衰えていつ辞めようかと考えていた。だが、孫娘と一緒に楽しめる時が来るとは思ってもみなかった。続けていて良かった。「何時でも遊びに来てね」、仲間たちの言葉に感謝だ。

 

(文科系の所属同人誌、月例冊子3月号に掲載。)

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