日本スポーツメディアについて、長年思っていたことが標記のこと。例えば、日本でも野球ファンに勝るとも劣らぬ数になってきたサッカープレイヤー、サッカーファンは、みんなそう思っているはずだ。
・新聞のスポーツ欄では、サッカー記事はまず野球の三分の一もない。野球は毎日やり、サッカーは多くとも週2回ということを考慮に入れなくても、そうだ。つまり、両方やった日の翌日新聞でも、三分の一も到底ないのである。テレビ放映に至っては、もっと何倍も野球が圧倒している。
・ネットはもっと悲惨で、こんなやり方が慣行になっている。サッカー記事を読もうとすると、その横や末尾には野球記事の紹介が無数。まるで、サッカーファンを野球に誘導するような編集方針を感じてしまう。
・大部分のサッカーファンは以上を知っていて、反発を持っているはずだ。特にネットの「サッカー記事愛読者を野球記事に誘導する」という印象は、とにかく馬鹿馬鹿しい限りのものである。
ちなみに80になっても10キロ走っているスポーツ好きの僕は、このブログに野球のことも書いてきた。最近では「ダルビッシュの素晴らしさ」を。彼が今年サイヤング賞を取るのは、規定の事実になっているのではないか。また今年は、前田健太が活躍することも決定的である。なんせこの二人、去年同賞を取ったトレバー・バウアーが激賞しているのである。バウアーの神業にはダルビッシュとの技術交流が大いに貢献しているという事実に、日本マスコミももっともっと刮目すると良い。これらのニュースを見るにつけても、野茂英雄がアメリカに行った時、日本マスコミがどれだけ彼に冷淡であり、憎しみさえ示したか、このことをよく思い出すのである。野茂は当時のスポーツ・マスコミを馬鹿にしていたはずだ。同じく、日本サッカー中興の祖・中田英寿も日本マスコミを馬鹿にしていた。だからこそ、ナカタネットを作ってファンに直接訴える道を切り開いたのであった。ある種の野球記事はバラエティー記事と同じで、そんなのばかりが多くってスポーツらしい品位を落としていたはずだ。日本スポーツマスコミは、スポーツ哲学が貧困なのである。これを力説してきたのが、玉木正之。僕は彼の絶大なファンである。