新年早々、朝日新聞が書いた。「次の資本主義 東芝から考える」。『次の資本主義』? まず何よりも、今のそれが終わったということだろう。この年始年末も含めて、このことをこそここで告発し続けてきた僕には、「とうとう・・」という感慨が深い。こんなことは既にアメリカ自身こそ認めて来たのであって、何を今更なのだ。この何を今更はすぐ後で示すが、だからこそアメリカは、己をここまで落とし込んだ中国を「これでもか・・・」とたたくしか道がないのである。中国に味方するわけではないが、このことを知らずに「ウクライナが負けたら、次は台湾だ。中国の権威主義、専制主義を潰せ!」と躍起になっている人々もおかしい。自由主義経済を捨てて、自らが憎みさえしてきたはずのブロック資本主義経済に日米、G7も堕して来ているのに。
「今の資本主義ではない」「権威主義でもない」、新たな民主主義的資本主義って一体何なのか。「民主主義」と言ってもその元々が「この程度のもの」でしかないとはチャーチルも語ってきたところだが、今はすっかりその欠点、ポピュリズムへと退廃している。それを示しているのが、トランプや安倍の姿だろう。何の政治実績も挙げられないので「相手は嘘まみれだ」とだけ専門の政治家、トランプと、同じく「自らが国会で嘘ばかりついた上で、主権者を『こんな人たち』呼ばわりてきた」安倍と。
さて、ここでも何回か扱ってきたが、2019年12月3日号の米週刊誌「ニューズウイーク」にこんな記事があって驚いた。題名と、書き出し一部を転載してみる。
『経済学 宗旨変えしたノーベル賞学者』
『その(ポール・)クルーグマンが突如、宗旨変えした。今年10月「経済学者(私も含む)はグローバル化の何を見誤ったのか」と題した論説を発表。自分をはじめ主流派の経済学者は「一連の流れの非常に重要な部分を見落としていた」と自己批判したのだ。
クルーグマンによれば、経済学者たちはグローバル化が「超グローバル化」にエスカレートし、アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ。
ラストベルト(さびついた工業地帯)の衰退ぶりを見ると、ようやく認めてくれたか、と言いたくもなる。謙虚になったクルーグマンは、さらに重大な問いに答えねばならない。彼をはじめ主流派の経済学者が歴代の政権に自由貿易をせっせと推奨したために、保護主義のポピュリスト、すなわちドナルド・トランプが大統領になれたのではないか、という問いだ』
彼らのこの「反省」の流れはアメリカの学者だけでなく大経営者たちも少なくとも口だけでは既に認めてきたところであって、2019年8月19日、主要企業の経営者団体『ビジネス・ラウンド・テーブル』がこんな声明を出していた。20日日本のある新聞の見出しである。
『株主最優先を米経済界転換 利害関係者全て尊重』
何が「尊重」か? やってきたことは、自分らは「ブロック経済化」を進め、その罪などは棚に上げて「中国の管理通貨制度が・・・・?」とか、「ウクライナの次は台湾だ!」と叫んできただけではなかったのか? まるで、負け犬の遠吠えである。それも、「江戸の敵を長崎で」というような遠吠え・・・・。
この負け犬の遠吠え関わってこそ、日本ではこのような「中国に労働を取られた、日本労働者の没落」などは世紀の移り目からもう起こっていたのである。それこそが、日本経済失われた25年の姿なのだが、ただただ中間層、正規労働者縮減にしわ寄せしただけで未だに何の反省も起こっていない情けない国である。これこそが、結婚できない50歳以上男子の急増、孫のいない老夫婦、大変な少子化の今の姿なのだ。
「次こそ台湾だ。日本再軍備、反撃力」??
負け犬の遠吠え挙げた「江戸の敵を長崎で」に加勢する、9条の国日本の情けなさすぎる姿である。