同人誌の編集長を長くやっていて、文章編集に携わっていると、いろんな「修正すべき」「難点」に出くわす。これが、細かい字面の問題というだけなら良いのだが、作品全体のテーマそのものに関わる「焦点箇所」の表現において、不十分を通り越して、「誤解される」とか「意味が伝わらず、作品がおおぼけ」とかの言葉選びがあったら、本当に当惑する。そんな場合は作者自身も作品テーマである問題の性格を正しく把握していない場合も多いのだし。「修正など一切無用で、プライドが強い?」と分かっている筆者には、当惑など捨て去って手直しなんか端から放棄しているが、それこそ「義」を受け入れうると分かっている人の文章は、時間が無かったりする時無断で変更することがある。この場合の相手のプライドという表現が良いかどうかは分からぬが、これはとにかく大変厄介な場面になっていく。これに対する言葉も色々探してみたが、義という用語が最も相応しいから使おうと思い立ったのである。
さて、形式論なら「無断修正」が誤りとは、誰にも分かる。が、内容上どうしてもたまりかねてとか、毎月の編集となると断りの時間も無かったりするので、そこに「義」の登場である。ちなみに、付き合い六四年になる僕の連れ合いが「途方もないプライドの人」なので、色々苦労して見つけた関係の言葉だ。義とは、しっかりした美しい正しさというような意味である。
近頃は、安倍晋三のような馬鹿な政治家よろしく理屈で負けかけることが多いかして、「上から目線」とかの遠吠え「批判」に逃げこむ「プライドだけの人」も多く、「『上から目線』大大流行時代」とさえ言える。が、義のある正論を通さねば、安倍の周囲のように馬鹿を放置することになってしまう。上からでも下からでも義のある正論は正論だろう。逆の「村社会における中身なしの上から押しつけとその受け入れ」を素直・美徳という風潮が強い日本だからこそ、対話における「義」は大切にしたい。「社畜全盛」日本は、義が吹っ飛んでいる習慣も多いのである。「上意下達と忖度」の日本・・・。