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さらに今一度、「霊はあるか?」  文科系

2024年12月18日 14時00分14秒 | その他
霊の存否を考えて来た。

 霊という言葉が、新聞などの広告も含めて当たり前に、実在するもののようにますます多く使われるようになっている。心霊スポット、心霊現象という場合の心霊。背後霊や水子の霊。よく言われるスピリチュアルもこれの存在を認めねば成り立たぬものだろう。辞書によれば、 霊とは、その漢字の意味はこういうものだ。
「人間の肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい」
 この辞書定義は不十分なものと、使用例を思い出してみれば誰でもが分かる。今では人間だけでなく動物に、さらには植物、自然現象などの無生物に対してさえこんな使用例があるからだ。大木や大岩、心霊スポットなどに。ただしこれらの使用例は、少々超自然的な、言わば崇高な物体に使われるようだ。
 さて、霊について改めて考えたことがない人でも、存在するとしてもどのようなものかということを確かめる方法がある。「自分の肉体が生まれる以前の、自分の心、魂」を考えてみれば良い。なんの記憶もないはずだ。中には、「自分の前の世の姿」を感じることがあるなどと語る人が居るが、それを否定することはできない。そもそも「ないものを語る人に、それがないと証明することなど論理的に不可能である。無い物にはこれを否定する証拠さえないのだから」。さらには、「そう感じた物は全て存在する」としたら、ドラキュラも玄武、朱雀、鳳凰、さらには夢に現れた化け物でさえも存在することになる。自分の肉体以前の心とは、これを言い換えればこういうものだ。肉体が死んだら、その後のその心があるとしてもそれは「自分の赤子出生以前の心」でしかないはずだ。赤子以降自分に生まれたものは、この世や自分の肉体と結びついていて、「生後の自分の骨肉などを通して生まれたもの」だから。この世で大人になった心を、さも永遠に存在してきたもののように、描き上げるのはおかしいことだろう。
 また霊実在の証明として度々語られることに、臨死体験の解説が使われる場合も多い。がこれは、「夢の出来事」としても説明できるから、実証にはならない。ちなみに、肉体が眠っていても夢の中では心が動いているから、霊が存在すると往時の人々が思ってしまったのではないか。
 なお、肉体を離れてその心がどこかにあるとすれば、その心はどこから生まれたのかという問いが生じる。そこからこそ、神の世界が創造されうるものである。つまり、「この世ならぬ心」は神の世界のものになる。つまり、宗教は霊の存在を前提としている。仏教には霊の存在を認めない流派もあるようだが。
 そしてもう一つ、宗教って死の問題と結びついている。死が怖い人は、「永遠の命」を思いつくことが多いものだ。ところで、僕は自分のここまでの生から「永遠の命がなくとも死は怖くない」と変わった。死が怖いのは若い人だ。将来への渇望が大きくある人はものすごく死が怖い場合も多いだろう。が、一応この生を生きて「大体の人生、人の体験、楽しみなどは味わったと言える」とか「もうこの先は何もなさそうだ」という老人は、「永遠の命」などに執着はしない。ただ生きて時間を費やしていると言える老人も多いようだし。そういう時間の「浪費」が、八三歳になる僕も最近増えてきた。そういう「老人御同僚」は現に多いはずだ。

 こう書いてくると直ぐに、こんな反論が出てくるのがこの論議史上の常だった。「ただ食って寝るだけの、唯物論者か?」、に応えておく。いまの時代の唯物論者こそ、こんなことは当然と認めている。真善美も正義も存在する、と。それらは人(の歴史)が作ってきたものとして。
コメント
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