ロシアのウクライナ戦争はどれだけ非難しても良いというその上で、以下の朗報を書いてみる。
ロシアのウクライナ侵攻に「・・・だから失敗、苦戦になっているのだ」という「専門家」諸氏の解説を読んだ。その要点はこういうもの。
「キエフ近辺の軍事拠点を一週間ほど爆撃で叩いてから地上進軍と進めなかったから」
まさにこういうやり方として思い出すのがイラク戦争。軍事拠点の爆撃を一週間近くだったか徹底したその後に地上軍が侵攻していった。だが、このやり方で起こるのは一般市民をも巻き込む大虐殺先行なのである。言い換えれば、ロシアがこれをしなかったのは、アメリカのイラク戦争ほどは残虐になれなかったということだろう。とするとこうなる。
アメリカは今、ロシアのウクライナ戦争がいかに残虐なものかというニュースを世界に配信している。日本などはそんな米配信ニュース垂れ流しとさえ言える。そのアメリカの姿は、まるで世界平和の守り手のよう。アメリカは、いつからこんなに変身したのか?
このウクライナ戦争以降は、イラク戦争のような絨毯爆撃徹底という(ロシアよりはるかに)残虐な戦争はアメリカももう起こせなくなったと信じたい。としたら、アメリカももう(目に見えた)戦争一般が起こせなくなったということにならないか。開戦時の重点部分絨毯爆撃が不可能になったのならば、今回のロシアが示したように人的資源消耗が激しすぎるからである。これは今後世界にとっては大きな朗報ではないだろうか。例えば、アメリカがベネズエラやイランに対して実際に行ってきた「戦争脅迫外交戦略」ももう効果は無くなったということになるのだから。としたら、こんな事も覚えておきたい。どうして、敵基地攻撃能力とか「反撃能力」とかが必要になったと言えるのか。
私のブログへコメント頂きありがとうございます。
また、私の世界史の不十分な理解への忠告も含め、ご指摘頂きありがとうございました。
「アゾフ連隊」は、EUとロシアに挟まれ、その政治力学のはざまで揺れ動いたウクライナの
生んだ「鬼子」との理解をしてきました。
なお、「アゾフ連隊」は2022年4月時点では、白人至上主義者や反イスラーム主義者は排除され、
ウクライナ民族主義に基づく精鋭部隊として報じられていることも事実です。
ただ、今回のロシアの国際法にも違反する侵略に対して、自国の民を守る最前線の戦闘を
担った役割は、大きいと考えますし、これにより首都キーウへの侵略を押し止める役割を
果たしたのではないかと思っています。
歴史の表層のみを見た浅い理解で、あまり情緒的な表現に終始したブログの記述を反省しています。
しかし、ロシアの暴虐とも言える侵略に「ウクライナの民としての誇り」を盾に、最後まで抵抗した
彼らの心情と、勇気を是としたいと思っています。
これからも、色々教えて頂ければ幸いです。
さて、5月4日の拙稿から、その一部を以下に抜き出しました。この全体をご覧いただければ嬉しいです。2014年に暴力革命でできたウクライナ政府自身がアメリカの傀儡とその一部を証明しています。アゾフ連隊はその先兵だったという理解です。暴力革命は、戦争を起こすことと同様に酷いことではないでしょうか。
『(二〇一三年から一四年にかけての反政府運動において)二〇一四年二月に突然、暴力革命の様相を帯びるに到り、ヤヌコビッチ(二〇一〇年の選挙でウクライナ南部、東部を基盤として選ばれた同国大統領)は国外逃亡に追い込まれます。その背後の事情は明らかではありませんが、整然たる市民運動のなかに過激な暴力を持ち込む極右勢力が紛れ込んだようであり、そのなかにはネオナチ的な人たちもいたようです。このような「マイダン運動」の暴力革命化は、ロシア語系住民の多いクリミアやドンパス二州の住民を刺激し、前者のロシアへの移行、後者における「人民共和国」樹立を引き起こしました。これは国家秩序の非立憲的な変更であり、諸外国から強く非難されました。もっとも、当事者たちからすれば、その前にキエフで非立憲的な暴力革命があったということが正当化根拠とされるわけです』(月刊誌「世界 五月号」の塩川伸明東大名誉教授「ウクライナ侵攻の歴史文脈と政治理論」)』