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「我々はなぜ金太郎飴だったのか」前編  文科系

2014年08月26日 19時15分38秒 | 国内政治・経済・社会問題
 日本共産党についての議論が起こっていて、僕、文科系はどう考えるのかというご質問もあった。僕は現在も左翼であると自己認識をしているが、日本共産党の支持者とは言えない。この党の大きな理論的限界を以下のように見るからである。このブログ発足1年足らの06年9月19日から29日にかけて4回書いたエントリーを2回にまとめて、再掲させていただく。

「我々はなぜ金太郎飴だったのか」前編  文科系 2006年09月19、22日

1 1980年前後から、今までのタイプの活動が時代に合わなくなったと考えます。言うならば、「窮乏革命論」に基づく「政治主義」の活動が。要するに「諸困難を除く為に、政治をこう変えようと『宣伝』すれば、議会で多数を得られて、困難は打開できる」というような活動だったかと思います。発展途上国型変革論とでも言いましょうか。
2 新たに必要になった視点は、「専門性」、「文化性」、「人間性」などではなかったでしょうか。つまり、貧困、困窮問題もさりながら、それ以上に生活点、生産点における質の改善、それによる人の評価と、繋がりあいなどが時代の魅力になったのだと。
3 1と2では、対応する組織が自ずから違ったものになってくると考えます。1は「階級闘争」という概念に典型的に付随するような、厳格な、かつ「寸暇を惜しむ」団結が要請されました。他方2に対応するのは、もっとゆるやかな組織ではないでしょうか。上意下達の『注入』は控え、それぞれの内発性と、話し合い、学びあいとに基づくような組織。昔批判された「討論クラブ」、そういう人の輪。こういうものを長期にわたって作り上げていくというやり方でなければ、専門性、文化、人間性などは熟していかないのだと考えます。
4 以上の変化を遂げる妨げになった哲学的背景というものも、また存在したと思います。ちなみに、日本の革新政党は世界観政党でしたから、単なる政党ではありません。人生観にも関わっています。それなのにその世界観、哲学に欠陥があった。一言で言えば「客観主義」ということでしょうか。広辞苑によればこう述べられるものです。「人間の実践的活動の如何にかかわらず歴史が進行すると考える宿命論的態度や傍観主義的態度」と。窮乏を除くための「実践」が、宣伝・認識と議会とに偏っていたし、「専門性」、「文化性」、「人間性」に関わる実践は実質、政治の手段、それへの入り口のように理解する哲学ではなかったでしょうか。僕の経験ではそのようにしか、見えなかったのです。

 戦後絶対主義天皇制から解き放たれた日本は、その民主主義的開放感に充ち満ちて、焼け野原から国土建設に邁進しました。官民、労使、老若などなど全てが少し後の「所得倍増計画」などに示されるように、「貧困からの脱出」を目指していました。
そんな中で、総評を中心とする労働組合が中心部隊となって、社会党、共産党などと共に、民主日本を建設するものと期待されていました。70年代には革新自治体が全国に林立し、民主主義的政府樹立間近かというまでに、この雰囲気が高揚していきました。各種の住民団体なども70年代には全盛期を迎えていましたが、当時の生活向上、政治革新の希望はやはり「労働者階級」とその背後にある社会主義思想だったと思います。
 しかしながら、80年代に先進国に現れたユーロコミュニズムは注目に値します。ソ連型ではない民主主義的な共産党、その政治が目指され始めました。その批判に呼応するように、90年前後に社会主義世界体制が消滅し、あわせて「社会主義冬の時代」を迎えました。これは本質的に、旧社会主義の民主主義欠如に起因するものだったと言って良いと思います。なお、この反省、総括は現在まで、全く不十分にしかなされていないと考えます。
 ユーロコミュニズムの出現にも示されているように、1のような窮乏革命論的活動は大戦後までの形式的民主主義さえ全く不十分な政治に対して有効だったのであって、70~80年代からの先進国にはそれに替わるものが求められていたと言うべきではないでしょうか。労働組合の変革イニシアティーフは先進国どこでも弱体化していましたし、替わって環境保護、フェミニズム、福祉・医療、国際協力などなどの新しい分野に活気が見られました。こういう中で力を維持し、あるいは新たに生まれた運動は2のような特徴を持ったものではなかったでしょうか。先進国では労働組合でさえ賃上げ要求はそんなに大きくならず、労働者としての専門性も高めあい、文化要求も重んじた所が、力を維持してきたと言えるのではないでしょうか。「教師論」、「文レク活動」、「自治研活動」、「要求別子組」などなどです。確かにこれらはどこでも、言葉では強調されていました。しかしながら、生きていくのにも忙し過ぎる現代生活においてますます自由な時間が限られる中で、「窮乏革命論」的な政治主義がこれらの活動の充実を妨げていたという面は拭えなかったと思うのです。また私たちは、政治(主義)と文学の摩擦、政治(主義)と政治学者や哲学者との摩擦などなども数々目にすることがありました。文学や学問への政治的干渉の問題です。これらをめぐっても、根本的・理論的な発想の転換が、80年代のどこかで必要だったのではないでしょうか。
 これに関連して、誰が世の中を変えるのかという問題もあります。窮乏革命論の主体は労働者です。ニートは昔流に言えば「ルンペンプロレタリアート」ですね。しかし現在、彼らこそ世の中を変えると言いうるのでしょうか。僕はそうは思いません。困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、変革の陣営が力を減じているということが説明できません。
「鉄の団結」で「闘い」、一朝政権を獲得するというような遅れた国の「戦時共産主義」的時代は、先進国にはもう来ないと考えた方がよいのだと思います。イタリアのアントニオ・グラムシの言葉ですが、「長期に渡る陣地戦」の構えで、気長に、社会的・文化的・道徳的な領域で実践的にイニシアティーフを獲得していく、そんなイメージが今後の「闘い」なのだろうと考えています。

(続く)
コメント (1)
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