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よたよたランナーの手記(61) 随筆 「高齢は、未知との遭遇」  文科系

2014年08月14日 04時05分58秒 | 文芸作品
 七月末の太陽も、ロードレーサーを転がしていれば心地よいもんだ。体中に吹き出ているはずの汗を太陽と風が蒸発熱ぐるみで消してくれて体表は意外に冷えているし、ヘルメットを通る風が髪の汗も熱も吹き飛ばしてくれる。
 すでに十分に根付いた稲の緑を通る立派な郊外農道。その脇の自動販売機目指して歩道へ乗り上げようとした瞬間の事だった。前輪が右に取られて、身体が左真横にぶっ倒された。左側頭部が歩道を打ち跳ね返った瞬間には、ヘルメットにどれだけ感謝した事か。「こんなに酷く打ちつけて!」、立ち上がって横たわった愛車のハンドルを持ち上げた瞬間、ふっと愛しさが募った。これほど酷い転倒も自分史上まず皆無のはず、まちがいなく「未知との遭遇」の一つなのだし。高齢者には思っても見なかったことが起こる。翌日、お世話になりっぱなしの整形外科医と、こんな会話になった。「左手首の左側腱周辺で、骨折寸前の内出血です」。対する僕は「でも、腕の内出血なら、走ってもいいんですよね?」。「絶対ダメです。心臓が活発に動けば、内出血が増えて、もっと腫れますよ」。がっかりだ、またしばらく走れない。

 慢性心房細動・心臓カテーテル手術前後三年のブランクからランナー復活に向けて半信半疑でスタートを切ったのが、十二年の秋。十四年春には、ブランク以前とほぼ変わらず一時間十キロほどの走力が戻っていた。ただ、なんせ現在七三の身体では、この復活に至るまで予期せぬ故障の連続。それでこの結果を収めたのだから、凱旋将軍の気分だった。ところが、今年の五月中旬になんというか、ちょっと得体の知れない故障が始まった。
 まず、右アキレス腱痛の症状。いつもの対処をしたが、「治りかけたら運動再開」というやり方が一年前のようには上手くはかどらず、試行錯誤が続いて行った。根が深いようだというわけでいろいろ調べてみたら、こんな事が分かってきた。三十歳前に左脚付け根腰椎の椎間板を手術をしたのだが、その軽い再発のようで左脚全体が弱っていると。僕の腰に効くビタミンB12を飲み始め、左右アキレス腱のストレッチ、膝や足首の補強運動に加えて、背や腰の姿勢矯正体操までと、やる事がどんどん増えていく。脚の補強運動後にも、アイシングと言って右アキレス腱に十分ほど氷を当てねばならない。こんな苦闘中に身にしみて感じていたのがこれだ。「高齢スポーツも、その怪我のリハビリも、未知との遭遇ばかり」。

 七月中旬、ついにほんとうに治ったかとの感触を得て、二ヶ月ぶりに走り始めた。三〇分走にして、三・一キロ、三・三キロ、そして三・五キロ。そこでまた待っていた災難が、サイクル・ロードレーサーによるこの転倒である。どれほど滅入ったことか。だから、医者に指定された安静期間にも、実は脚の補強運動はしていた。走らないだけで、階段八十往復とか、愛車を転がすとか、などなどに励んでいた。途中で右手首が腫れてきたらやめるつもりで始めたが、腫れなかったから続けられた。こんな事は医者よりも自分の方がよほどよく分かるはずなのだ。階段往復に励みながらも、右手を心臓よりも高く上げるとか、そんな対策もあるのだし。こういう「無理」も、許可が出たら、即まともに走りたかったからである。そして再開。三・六キロ、三・九キロ、八月十一日が四キロで、十三日には四・二キロ。最高速度はまだまだだが、ストライドの広さなど脚の強さは以前よりも増したとの感触も持てた。

「高齢は、未知との遭遇」、この迎え方は至難至極。ある不具合をただ年だからと解したら、老いへとまっしぐらだ。まだ改善策があろうと臨んでいけば、いくらでも道は開けていく。若いころの生活スタイルや発作的病も関わってくるにしても、二十歳ほどの活動年齢差さえもカメがウサギに勝つようなもんだと習ってきた気がする。二十年来の僕の文学の先生が断続的な病床8ヶ月ほどで先週亡くなられたが、この病床直前まで活動年齢を維持されてきた方だった。確か九十歳。合掌。
コメント (2)
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