九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

アメリカの国連悪用典型例・ニカラグア   文科系

2016年07月15日 15時22分32秒 | Weblog

 ずっと連載のように紹介してきたノーム・チョムスキー「覇権か生存か」のなかから、アメリカのニカラグア内戦工作の下りを紹介してみたい。戦後世界政治史において最も酷い小国への所業の一つと国連内部で語られてきたものだ。中南米ではそれほどに有名な、小国への内乱工作と政権打ち倒しという長く続いた世界史的大事件である。国際司法裁判所(仲裁裁判所ではないことにご留意願いたい)の裁定結果や賠償命令の完全無視が鮮やかすぎるほどである。こんなことをするなら国連を出ていくべきだろう、手前勝手にただ利用したいだけが動機で入っている、などと誰しもが思うのである。つまり、利己的利益からの悪用目的なのだ。拒否権を最も多く発動したのがイスラエル問題であるということでも、この事は明らかなのである。アメリカにイスラエルへの介入問題がなければ多分、アフガン戦争、イラク戦争、シリア内乱、イスラム国建国、難民問題、イギリス離脱問題等々は起こらなかったはずだ。では・・・

『1986年に、国際司法裁判所はニカラグアの言い分を認め米国政府の主張を退けた。そして「不当な武力行使」──平たく言えば国際テロ(アメリカがニカラグアに対して 文科系注)──に関してワシントンに有罪判決を下した。判決はニカラグアによる限定された告訴以外にも及んだ。以前に下した判決を、より強い調子で繰り返しながら、同裁判所はいかなる形態の介入も「政治、経済、社会及び文化制度の選択と、政策策定」の主権に干渉するものであれば、それを「禁ずる」と裁定した。(中略)
 この判決には、見るべき効果はほとんどなかった。国際司法裁判所は、ミューヨーク・タイムズ紙の編集者から「敵意ある法廷」と非難され、それゆえに国連と同様、問題外だとされた。(中略)
 その後のコントラ(米国が支援したニカラグア反政府軍 文科系注)への援助は、一様に「人道的」とされ、同裁判所の明確な裁定を侵害した。(アメリカ 文科系注)議会はただちに一億ドルの追加援助を承認し、同裁判所が「不当な武力行使」と非難した行為を助長した。米国政府は「非現実的な法律重視の手段」を阻止し続け、ついには暴力によってそれを終わらせるのに成功したのである(つまり政権を転覆させた 文科系注)。 国際司法裁判所は更にアメリカに賠償金の支払いを命じ、ニカラグアは国際的な監督のもとで、損害額を試算した。見積額は170億ドルから180億ドルの間だった。賠償請求は勿論、論外だと(米国政府に 文科系注)片付けられた。』
(ノーム・チョムスキー「覇権か生存か」集英社新書版144~145ページから)

『国際司法裁判所の命令をアメリカが拒否したことを受け、ニカラグアはーーそれでも暴力的な報復や、テロによる脅しに訴えようとはせず問題を国連安全保障理事会に託した。安保理は国際司法裁判所の判決を支持し、全ての国に国際法の遵守を呼びかけた。ところが、アメリカはこの決議案を拒否した。ニカラグアは国連総会に訴え、そこでも同様の決議が採択された。アメリカとイスラエル、エルサルバドルだけが反対した。翌年には別の決議が通り、この時反対したのはアメリカとイスラエルだけだ。こうしたことはほとんど報道すらされず、この問題は歴史から消えている』(同上書149ページから)

 有罪と判定されても何もしない。賠償命令も無視して、逆に反乱軍支援金を予算化する。国連海洋法条約には入っていない。ご自分は縛られるのが嫌だということなのだ。こんなに悪用だけ目的が明らかならば、何のための国連や国際司法裁判所なのか。むしろ国連を出ていくべきだろう。出て行けと言うよりも「いるなら従うべきだ」と、そう言いたいのである。ただ米国は絶対にでては行かない。イスラエル問題のように、嫌な決定にどこよりもどんどん拒否権を出すために。「国際的大義名分」が欲しいときが常に起こってくるとも知っているからなのでもある。つまり、イラク戦争開戦では国連のお墨付きが欲しくて果たせなかったのだが、このように国連悪用だけはしたい!

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大いに論じあいたい南洋仲裁裁判   文科系

2016年07月14日 08時36分34秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 フィリピンが提訴した国際仲裁裁判の結果が出た。国連海洋法条約に基づくこの裁判結果は、中国が悪いと決まったのだが、今後大いに論じ合いたいものである。本当に大いに。以下のようなこんなことを全て論ずることになっていくはずだから論ずるほどよいと、僕は心から期待している。

 国際仲裁裁判所と国際司法裁判所と国際海洋法裁判所との違い。国連海洋法条約のこと。この条約にアメリカが入っていないこと。だからなのだが、アメリカは正当性判断に関わる裁判所決定を過去に無視してきたどころか、ニカラグア内乱裁判のように不利になると裁判を途中で放り出して逃げ出してしまったという事実があることも。そして何よりも、これを論ずるほどに国連の存在、その重要性が浮かび上がってくるのである。

 国連がなければ、国際的正当性論議には対立した2国の争いだけが存在し、この2国が認めたどこかの国がこの争いを仲裁すると、そんなことしかできないのである。これは、道義的正当性もどこに求めてよいかさえ分からない世界ということだろう。この「正当性」の判断(力)が、時代に揉まれて激しく揺れ動くのだから。そうい世界においてその都度国際基準を打ち出し、判例も作り、これを定着させ、これによって争いを判定し、罰則さえ与え得る者。ここにこそ国連最大の役割があると愚考してきた。だからこそ今、こんな「珍事」が起こっているのである。日頃国連のことなど全く語らない右の方々が今大いに国連を語ることになっている。僕には、非常に興味深い、嬉しい光景である。

 西太平洋南海の領土問題で今、国連がどんどん脚光を浴びていく。僕には、こんな嬉しいことはない。

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12日「赤旗」選挙報道、ある感想  文科系

2016年07月13日 12時01分11秒 | 国内政治・経済・社会問題

 随分久しぶりに、日刊紙「赤旗」読んだ。通っている生協病院の待ち時間に。史上初めての野党共闘選挙投票二日後の紙面だから歴史的に重要な紙面なのだが、その報道の仕方に関わってある感想を持った。小さいことに見えるけど、僕は昔から「非常に重大な視点」だと考えてきた。そういう視点で、高評価がひとつと、同じ視点からの批判が一つ。

 高評価点はこれ。国民に呼び掛けるときに「市民、支持者、後援会員、党員」という順番になっていたこと。これが昔は逆だったのである。「党員・・・・市民」と。一般向け文書の時でも平気でそういう表現を使った時期もあった。この点は、支持者であった僕はずっと苦い顔をしてきたし、政党としての重要問題と解してきたことだから、以下の「考え方」を強く言いたいのである。
 同じ発想だが、今選挙結果に触れた12日の紙面中央機関文書で野党共闘と単独候補とついて、野党共闘結果を先に書いていて、党員当選者を後に書いていたのも、好感が持てた。これがこの歴史的な選挙で常識にかなった普通のやり方だろう。

 さてところで、当選者写真の方はどうだったか。一面には単独候補当選者のカラー写真はあっても、野党統一候補当選者の写真は無かった。4面だったかに両方の顔が載っていたが、一面にもあった(つまり2重に載った)単独当選者を先に載せて、後に統一候補当選者を載せていた。この事を僕は失礼だと言いたいのである。やや譲っても、史上初の共闘の観点から戦術上拙いはずだと。

 この事を詳しく説明してみよう。史上初めての全国的野党統一選挙ならば、統一候補当選者をこそ1面に持ってくるべきではなかったのか。12日の日刊紙にあった幹部会だったかの「選挙結果について」文章にも、野党統一候補結果の方を先に書いたのは、そうするのが「筋」だということだと僕は理解した。つまりこういうことだ。野党統一候補を組んだならばあくまでも、相手を尊重してそちらを先に持ち上げ、我が社のことは『弊社』と書くような常識的態度で臨むべきではなかったのか。
 こういう僕のような「感覚」がなかなかお分かりいただけないところに、他党から独善的と観られる特徴も事実として潜んできたのではないか。この点は僕にとっては、「やっぱりな!」という「悪弊の名残」、それも他党との共闘を難しくしてきた「この党独自の感覚」なのだ。僕は心から次のように期待していたのである。
「この歴史的な共闘において献身的に働き、ぐっと他党からの信頼を深めて欲しい。それが、戦争が出来る国になりつつあると不安な国民に応えられる道だろう」
 この献身的に働きというのも、自分から言うことではなく、相手が認めてくれて初めて意味を持つことと考えてきた。それが古き良き日本の美徳というものだと愚考する。

 なお、僕の選挙結果感想は、なによりもこれ。野党共闘が組めて本当によかった。これがなかったらと今考えると、ぞっとする。特に、野党第1党・民主党が3年前の17議席から32議席に増えたのは、なによりもこれのおかげ。自公政権党が選挙戦で第一にやった、天につばする「共産党との野合」批判も国民から退けられたようだし、この流れこそが都知事選以降もどんどん進んで欲しい。なお今回の僕は、2枚とも共産党に入れた。連れ合いと、お婿さんも、そう語っていた。

 

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「束の間の悪夢なのか?」  文科系

2016年07月12日 13時49分54秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 現代アメリカに生きている哲学者・言語学者・反戦活動家ノーム・チョムスキーの著作「覇権か生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」の最終章は、「第9章 つかのまの悪夢なのか?」と題されている。いま人類生存を脅かしている米国覇権は、束の間で済むのかという意味だ。この最終2頁ほとんどをここに転載したい。中に19~20世紀のイギリスに生きた哲学者バートランド・ラッセルの言葉が引用されているが、こちらはこういう人物である。第一次大戦中に反戦行為によってケンブリッジ大学を追われ、その後のベトナム戦争反対運動などでも有名なノーベル文学賞哲学者。チョムスキーと同様に、現代日本に満ち溢れているいわゆる曲学阿世とは正に対照的な人物お二人である。日本人でノーベル賞を受賞したのは、自然科学者では20名を超えるはずだが、人文・社会系受賞者は作家が2人、政治家が1人。学者は1人もいない。今の日本政府の姿勢だとこの傾向は改めて、まだまだずっと続き直していくのではないか。 

『 現代史を通じて、人権状況は著しく改善され、生活の一部の面では民主的な管理が行き届くようになった。こうした展開が、啓発された指導者の贈り物であることは滅多にない。ほとんどの場合、一般の人々が戦い、国家やそれ以外の権力中枢に課してきた展開なのである。楽観主義者は、歴史を見れば人権への感謝の念が深まっており、その適用範囲も拡大していることがわかると、恐らく現実的に主張するかもしれない。全く逆の動きがなくはないが、全体の傾向は本物に見える、と言うだろう。この問題は今日でも当てはまる。企業のグローバル化プロジェクトによる有害な影響が、南の集団抗議行動を導き、やがて裕福な工業社会の主要部門が加わり、なかなか無視できない存在になった。草の根レベルの強固な同盟が初めて生まれたのだ。これらは感動的な展開であり、さまざまな機会に恵まれる。そして成果を上げ、言葉上でなく政策を変えさせることもある。少なくとも国家暴力に対してはそれを抑制するだけの影響力がある。西洋の知識人が宣言している「人権改革」のようなものが国家として行われることはなくても。
 こうしたさまざまな展開は、その勢いを維持して同情と連帯というグローバルな結びつきを深められるなら、たとえ瞬間的なものでもきわめて重要だとわかるだろう。我々の未来の絶滅危惧種は、こうした大衆運動の発展を見て大いに意を決することだろう。
 今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」──世界社会フォーラムを駆り立てる言葉──という信念に捧げられ、イデロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する。どちらの軌道が支配するかは、誰にもわからない。こうしたパターンは歴史全体によく見られるが、今日の決定的な違いは、懸けられているのが遥かに重大なものだということである。
 かつてバートランド・ラッセルは世界平和について暗澹とした思いを表明した。
 「地球は無害な三葉虫や蝶を発生させた時代の後、大勢のネロやジンギス・カンやヒトラーを生み出すまで進化してしまった。しかし、これはつかのまの悪夢だと私は信じる。やがて地球は再び生命を支えられなくなり、平和が戻ってくるだろう」
 この予測は、ある意味で我々の現実的な考えよりも正確である。問題は、全てがなくなる前に悪夢から自分を目覚めさせられるかどうかであり、平和と正義と希望を世界にもたらすことができるかどうかだ。そして今、自分の意思で好機を掴もうとしさえすればそれができるところに、我々はいるのである。』

(「覇権か生存か」集英社新書版336~337ページ)

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安倍さんの勝利   らくせき

2016年07月11日 18時54分19秒 | Weblog

これだけ細心に選挙を勝利に導いた政治家は少ないでしょう。

幾つかの勝因のうちマスコミ対策がありますが、

とくにNHK対策は10年以上のわたるしつこさ。悔しいけれど立派。

民進党は安倍さんの失敗を待つしかなさそう。

口約束は実現しないものが多いから、待てば・・・かも。

 

 

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 随筆  僕の選挙投票   文科系

2016年07月10日 08時34分13秒 | 文芸作品

 僕はごく若いころから日本共産党に票を入れていた。だが、2つの事でこう考えるようになってからそれを止めた。棄権したことすらある。
「政治とは、公約を語るものではなく、国民のために何事かを実行するものである」
「『社会主義世界体制』崩壊に対する日本共産党の反省は、実にいい加減なものであった。この政党にとって社会主義という言葉は命のようなものだったのに」
 この二つには深い関連があるのだが、今日はそのことには触れない。

 一番目の考え方から、自民党は、僕は昔から大嫌いである。現に今、莫大な政党交付金制度が出来てからも企業献金を堂々と受け取り始めた。これでは、公約で何を語ろうと民主主義政治という意味の前進など実行される訳がないと理解している。そもそも、民主主義的な民生前進などは図られてさえいないはずである。労組献金も、「特定の目的で政党を縛ることになる団体献金」だから大反対だが、こちらの方がまだ企業献金よりは遙かにマシと解している。企業連合よりははるかに力が弱いし、反民主主義度という点においてよりマシだろうという程度の意味だ。
 今、政治の民主主義的前進とか反民主主義度とか述べたが、ここで、今ではどんな人でも普通に口にする民主主義政治という言葉の説明が必要だろう。これを今の世界で僕は具体的にどう解しているか。

 18世紀世界からの民主主義政治発展史で言えば、今世界、日本の人々の大問題はなによりもこれ。先ず、失業者、不安定雇用者、相対的貧困者を無くすこと。そのために最も必要な事はこれ。短いスパンでは「世界のマネーゲーム規制」と「機会均等思想の普及と、平等な教育機会の提供」。長いスパンでは、「公正な、税とその配分制度」、「「国連(諸機関)の強化」。そしてこの長短二スパンが、今のように大きな諸困難を抱えた世界の経済大国で企業献金を受け取っている政党には目指せる訳がないと理解してきた。つまり、耳に快いその公約は初めから全て嘘を運命付けられているということだ。

 日米両国家は先進国としては上の二つのスパンがどこから観てもとても悪い。世界の3大経済大国に入るのに、失業率は少ないかも知れぬが、不安定雇用者、相対的貧困者がOECD諸国の先進国のなかで最悪といって良い。「教育の機会均等」も最低クラスである。日本にいたっては、対GDP比率教育費が、ここしばらくOECD諸国最低ではなかったか。その代わりにこの両国は、世界のマネーゲーム、「不公正な税と、その配分制度」の先端に立っている。企業献金こそがそうさせてきたのだと解している。というよりもこの両国こそ「世界金融規制」「国連のイニシアティブ」を妨げてきた張本人と解してきた。両国とも、金融利益を除けば、輸出入が膨大な赤字になる国である。つまり、他国から余剰金を奪って来て成り立っている国であって、弱肉強食世界の最先端に存在する国と述べても良いはずだ。

 今選挙の一人区では、日本では全く珍しく全国的に野党統一候補が生まれた。僕の選挙区がそうであれば、真っ先にそういう候補に入れる。が、僕の選挙区はそういう区ではないので、どこに入れるかは未だに迷っている。

 最後にこれを読んでいるはずの若い人々に、僕の自戒も込めて言いたい。グローバリズム下の日本国政治は、日本だけ見ていたのでは正しい判断は決して下せないと思う。今のマネーゲーム・金融資本主義を世界史の流れの中で見る知識がどうしても必要だと思う。最低フランス革命と明治維新とから。これがなければ、「現実」という短いスパンに左右される愚かな判断しか生まれはしない。ただ、こうも言える。有権者の実質2割程度の絶対得票率で政権が決まるなどと言うのはどうせ衆愚政治。と言ってもその意味は、「たかが政治、されど政治」。
 5割の棄権があるというのは、政治がバカにされている証拠だし、本当に世界史などを勉強して投票する人も少ないだろう。そんな程度のたかがちっぽけなことで人を「衆愚」つまりバカだとアイツが言ったとかなんだとか、そんな非難をする方が間違っている。今の人の普通の意識でちっぽけなことで「衆愚」と語っても、相手へのほんのちっぽけな批判にしかならないという意味である。ただし政治は、人間生活を根本から左右するようなとても重要なものには違いない。それでもだが、チャーチルも言うように、民主主義にはギリシャの昔から現在まで衆愚という言葉が付き物であると、当たり前のことを語っているに過ぎない。チャーチルとは、この度、イラク戦争参戦時のブレア首相を見事に裁いて見せた民主政治の母国イギリスの元首相である。日本やヒトラーなど全体主義国に支配されそうになった世界を救った歴史上の大政治家である。

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イラク戦争で「開き直っている」日本   文科系

2016年07月09日 05時14分27秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 イラク戦争を長期間かけて反省したイギリスが、膨大な報告書を出した。当時の首相ブレアも「全ての責任は私が負う」と潔い。他方、過去日本の「無理無理イラク参戦決断」には、自民党政権から何の反省もない。憲法をねじ曲げてまで参戦したからこその、「無反省」なのだろう。いや、そのねじ曲げ姿勢が、安保法制によってさらに進められたのだから、なおさら反省など示せないのだ。正義と国民とに対するクリーン度が、この両国で全く対照的である。これらの事が大いにマスコミの話題になっている。ここのところの拙稿も、連続でイラク戦争に焦点を当てて、これがイスラム国や難民の最大の起源だと示してきた。今日は、僕のこういう姿勢を作った原点の一つとも自認する過去の一文をまたまた掲げ直してみたい。この大事な参院選の前だからこそ。

【 何と愚かな「国防」人事!  2014年1月16日

 新設された国家安全保障局の局長に、谷内正太郎氏が着いた。去年新春の中日新聞で、内閣官房参与(元外務次官)として以下のようなインタビューを語った人だ。その末尾のこんな言葉から彼の人格が分かるのだが、こんなイーカゲンな人が国家防衛の中枢?! まるでペテン師のような人格、お人だと思う。こんな人物を内閣の「目玉」新施策の責任者にする?! 日本、安倍内閣って本当にトロイ国、政府だなと思うしかない。

 自民党幹事長は軍事オタクの国防族。近ごろしきりに「国防精神」を上から目線のように説かれている方だが、その思考程度も手に取るように分かるというものだ。こんな人事を敢行したのであるから。

 『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』
 谷内氏は「国家の品格、品性」などと語ったが、相手を見て物を言えと言いたい。
 最近の米国というのは、嘘の理由で国連の反対を押し切って有志国だけでイラク戦争を起こした国だ。この戦争で無数の自国、他国の50万人だかを殺し、後になって大統領が『あれが嘘だとは全く知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語った国だ。因みに、我が日本政府・外務省は、嘘の理由に丸め込まれて参戦し、莫大な出費で今問題の国家累積赤字をさらに積み上げることになったのだが、なお「もっと汗も血も流せ」などと侮蔑的言葉まで浴びせられたのだった。こんなふうに二重に踏みにじられた侮辱について、外務省などからその後、何か釈明とか、相手への抗議でも、あったっけ?

 さて、こういう相手に「国家の品格、品性」をもって対せなどとは、馬の耳に念仏、蛙の面にナントカで、一銭つぎ込む価値もないどころか、ペテンに掛けられるのが落ちというもの。谷内さんに尋ねたい。集団的自衛作戦に品格をもって付き合っていく今後に、またしても嘘の理由で戦争を起こされて、日本や世界の若者などが殺されることはないという保証がどこにあるんです? そういう保証をどこで確認できたのです? 当方が品格をもって遇するべきは、品格のある相手でしょう。こんな重大な背信行為国相手に「国家の品格、品性」を国民にお説教とは。貴方のこの言葉、まるで騙りのようなものだ。

 さらに加えるに、こんなトロイ言葉を新聞という公器でもって不特定多数国民に説いて恥じないこの神経! これは、凄く意識して国民にお説教しているのである。これほどアメリカにコケにされてもなお「着いていきます」と応え、「それが品格(婦徳)だ」と子ども(国民)に説く健気妻! 放蕩亭主アメリカにすがりつき続けるどんなアホ妻なのかと、その顔が見たくなった。こんなのが、外務次官! 外務省ってこんなのばかりなのだろう。一時マスコミで騒がれたことだが、ほとんどの国の日本大使館に超高級ワインを山のように揃えて国家の金でただ酒飲んでいると、こういう人格が育つということだろう。それにしても、恥知らずである。 】

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近年のアメリカは、国連骨抜きに努めて来た   文科系

2016年07月08日 00時24分48秒 | 文芸作品

 近年のアメリカは、国連骨抜きに努めて来た
──ノーム・チョムスキー「覇権か生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」(2004年9月集英社新書)からの抜粋

 はじめに

 昨日の拙稿にイラク戦争当時のアナン国連事務総長を貶めることだけによって、拙稿の内容自身の否定をほのめかすというよく使われる手法のコメントがあった。そこに書いた故ケネディ大統領の国連重視発言の姿勢を今のアメリカが全く無視しているという証明部分には全く触れないで。今の米国をほんの少しでも擁護しようという狙いなのであろう。
 そこで今度は20世紀の世界の大哲学者にして、ベトナム戦争以来筋金入りの米国戦争ウヲッチャー、ノーム・チョムスキーの、アメリカ国連無視、単独行動主義への批判を抜粋紹介しておこう。これは、アナン事務総長よりも遙かに厳しいものなのだ。なお、ノーベル平和賞を貰ったアナン事務総長については、「アナン国連事務総長 ウィキペディア」と検索を入れて、その記事をご参照いただきたい。国連イラク戦争討論という場で近年アメリカの国連無視と最も激しく闘った国連生え抜きの総長だから、アメリカからの批判が激烈であるのは当たり前だろうと愚考する。日本を骨抜きにするべく田中角栄の政治生命を奪ったのもアメリカだとは、既に日本人皆が認める有名な話であるはずだ。

 アルカイダを育てたのは、アメリカ

『1980年代における「対テロ戦争」の二大中心地は、中米と、中東及び地中海地域だった』が、その中東を観ると、
『ワシントンにいる現職者が取り組んだ活動の一つは、よく知られるようになった。1980年代にCIAとその関係組織がイスラム過激派を募り、正規軍及びテロリスト部隊としての組織化に成功した事実だ。カーターの国家安全保障担当補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキーによれば、その目的は「ロシア人をアフガンの罠におびき寄せること」であり、初めは秘密工作によってソ連をそそのかし、アフガニスタンを侵略させることだった』
『その直後の結果として起こった戦争のためにアフガニスタンは荒廃し、ソ連軍が撤退しレーガンのイスラム聖戦士に取って代わられると、更に悲惨な状況になった。それがもたらした長期的な結果は、20年に及ぶ恐怖政治と内戦だった』

『ソ連軍の撤退後、アメリカとその同盟者(その中にアルカイダを始めとするイスラム聖戦士が含まれる)によって徴募され、武装及び訓練されたテロ組織は矛先を他国に向け・・・(1993年には)関連グループが「CIAのマニュアルで教えられた手法」に従い、世界貿易センタービルを破壊する一歩手前までいった。計画を立てたのは、シェイク・オマル・アブドル・ラーマンの支持者だったことが判明している。ラーマンはCIAからアメリカ入国の便宜を図ってもらい、国内でも保護されていた人物だ』
(以上160~162頁からの抜粋)

 イラク戦争に見る国連骨抜き策動

 イラク侵攻が始まった時、著名な歴史学者でケネディ大統領の顧問だったアーサー・シュレジンジャーはこう書いた。
「大統領は『先行防衛』を採用したが、これは帝国主義の日本が真珠湾で用いた政策と恐ろしく似通っている。かつての米国大統領の言葉通り『汚名のうちに生きる日』となったあの日の政策と。フランクリン・D・ローズヴエルトは正しかったが、今日では汚名のうちに生きるのは、我々アメリカ人の方になった」
 シュレジンジャーは更にこう述べている。「9・11の後、アメリカを包んだ世界各国からの同情の波は、アメリカの傲慢さと軍国主義に対する世界的な憎悪の波に取って代わられ」、友好国の国民ですらブッシュが「サダム・フセイン以上に平和を脅かしている」と見ていた。国際法の専門家リチヤード・フォークによれば、イラク戦争は「平和に対する犯罪であり、生き残ったドイツの指導者がニュルンベルク裁判で起訴され、求刑され、処罰されたのと同様の犯罪」であることは「否定できない」という。

 この戦略を擁護する人の中には、国際法を踏みにじっていると認識しながら、別に問題はないと考える人もいる。国際法の枠組み全体が「戯言」にすぎない、と法学者のマイケル・グレノンは書いている。「力による支配を、法による支配のもとに押えこもうとする壮大な試み」は、歴史のゴミ箱に投げ捨てるべきなのだ。規則のない状況を意のままに作り出せる国にとって、これは都合のいい立場である。この国は世界の他の国々の合計に匹敵するほど多額の費用を暴力的手段に投じ、世界のほぼ全ての国が反対しているにもかかわらず、新たな破壊手段を開発すべく危険な道を歩み出しているからだ。国際法の制度が全て「戯言」だと証明するのは簡単である。米国政府は「自国の優位を維持するためにあらゆる手を尽くすという意思を明らかにし」、イラク問題に関しては国連安全保障理事会を「無視すると発表して、………軍事力の行使を管理する〔国連〕憲章にもはや拘束されるつもりはない」と明確に宣言した。それだけだ。こうして規則は「崩れ」、「国連という組織全体も崩壊し始めた」。これはよいことだ、とグレノンは結論する。アメリカは「文明国」のリーダーであり、それゆえに「その軍事力の抑止を謀る〔いかなる試みにも〕抵抗しなければならない」からだ。

 文明国のリーダーは、規則を意のままに変えることもできる。侵攻を正当化できるとされていた大量破壊兵器の発見にイラク占領軍が失敗すると、プッシュ政権のスタンスは、直ちに軍事行動をとらなければならないほどの大量破壊兵器をイラクが保持しているのは「絶対確実」だという主張から、「兵器製造に使用可能と思われる設備の発見によって」、アメリカの言い分が「正しいとわかった」という主張に変わった。政府高官は「議論の的となっている『予防戦争』の概念を修正」すべきだと提案し、「破壊的な兵器を大量に保持する国に対して」米国政府は武力行使できるとする点を見直すべきだとした。修正案は、「敵対政権が、〔大量破壊兵器〕開発の意図と能力をもっているだけでも、米国政府は行動するとしている」。

 ほぼどんな国でも大量破壊兵器を製造する可能性と能力を持っており、その意図があるかどうかは見る側次第である。ということは、見直しされた戦略は、実際には米国政府に独断による侵攻の権利を与えているのだ。武力行使への障害を取り除いたことこそ、イラク侵攻に関する公的な議論の崩壊が引き起こした最も重大な結果である。

 帝国の壮大な戦略の目的は、「アメリカの権力と地位の威信」を脅かす全ての挑戦を阻止することだ。ここで引用した言葉は、ディック・チェイニーやドナルド・ラムズフェルドなど、2002年9月の国家安全保障戦略を創り上げた国家主義的反動主義者の発言ではない。リベラルな政治家の先達とも言うべきディーン・アチソンが1963年に述べた言葉だ 】 (以上21~23頁のなかの一続き文章全文)

 なお、文中末尾の1963年とは、昨日のエントリーでも述べたように、ケネディ大統領が暗殺された年である。昨日もご紹介したものだが、ケネディ大統領の1961年9月25日第16回国連総会における演説を紹介しておく。

『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。・・・・・・国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』

 

 

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イラク戦争と国連  文科系

2016年07月07日 16時03分36秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 イラク戦争開戦前後に国連でどういう論争があったか。そこを振り返っておきたい。次に、この時のアメリカが従来表明してきた国連への立場を大幅に変えたということも観てみたい。近年の日本マスコミからはアメリカ政府の声、立場は大量に発信されるが国連のことはなかなか論じられないと感じてきたので、強調したいことだ。
 以下の出典は、「国連とアメリカ」(最上敏樹・国際基督教大学教授 2005年刊)である。

開戦時の国連総会の立場

『「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された1945年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
 2003年9月23日、第58回国連総会開会日の冒頭演説で、アナン事務総長はそう述べた。その年の3月にイラクで戦争を始めたアメリカを、名指しではなかったものの厳しく批判した直後である』

『「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」。にもかかわらず、先制攻撃の権利といった根拠で武力を行使する国が現れた──。
 それは「いかに不完全であれ、過去58年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦するものなのです」と彼は言う。つまり、「単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうもの」なのだと言うのである。アメリカにとっては厳しい批判だが、総会議場は長い拍手に包まれた』

『この事務総長は次第にアメリカに嫌われるようになっていた。特に対イラク戦争への否定的な反応に対してである。開戦時にもあの戦争が国連憲章に合致しない(つまり「国際法違反」ということである)と明言したし、イラクの復興になかなか国連を関与させないアメリカのやり方も批判した。(中略) 機構の原理原則はあくまでも多国間主義なのだから、単独行動主義を阻止することは、むしろ事務総長の(正確には「国連のあらゆる部署の」)責務になるからである。実際、加盟国の単独行動主義にこれほど正面から向き合うことになる事務総長は、これまで例を見なかった』
   
殺されたケネディ大統領の国連観

 以下は、同上書から抜粋したケネディ大統領の国連演説である。1961年9月25日、第16回国連総会におけるものだ。なお、彼が暗殺されたのはこの演説の2年後のことである。

『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。・・・・・・国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』

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選挙予測で自民圧勝!?  らくせき・愛知自民を落とそう

2016年07月06日 09時35分04秒 | Weblog

中日新聞の選挙予測。自民圧勝。

改憲4党で必要な3分の2を超える、とも。

民進党の人気はないようですね。

なんとか3分の1を確保してほしいです。

 

 

 

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国際法・組織が欠けた者同士  文科系

2016年07月06日 09時13分08秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 第二次世界大戦以降、日本外交に決定的に不足していたことがこの表題の事。19世紀と20世紀で、戦争に対する世界の考え方が決定的に換わったという認識がほとんど欠如しているのではないか。東京裁判を批判する人々が、その典型なのだと思う。
 第一次世界大戦後に起こった国際連盟設立、その主要目的であった戦争違法化をば、右の人々は今でも無視して語らない。いずれも人類世界史上初めての第一歩であったこのことを。日本の戦史を顧みれば以下のように、これも無理ないことなのかも知れぬ。

 日本は満州植民地化に向けての戦争、満州事変でリットン国連調査団の調査報告をわずかに反対1票(勿論日本である)で受け入れず、世界中から批判を浴びて当時の国際連盟を脱退している。そして、その時の態度のまま今も「満州事変は正しかった」、「反対1で調査団報告を拒否して、国連を脱退した行為も正しかった」、「少なくとも、今までの欧米と同じことをやって来ただけ」などと考えているのが、右翼言論人のほとんどではないか。だからこそ、国際連盟発足・その戦争違法化法制を彼らは今も全く語らないのだと見れば、現在日本の右翼的言動が全て丸く納まるわけだ。
 ところで、東京裁判はよく知られているように、日本政府関係者の予想に反して真珠湾以降だけを裁かず、満州事変から、各国代表によってその国際法制で裁き始めた。この裏切られた予想というのも、戦争違法化に向けて国際連盟が取ってきた措置に日本が全く無知か、無視を決め込んできたということを示している。

 他方、アメリカ政権のこの国連無視にも、近年めざましいものがある。アメリカ単独行動主義とか予防戦争概念とかが、この事を示している。これらも「テロとの戦い」という概念も実は既に1980年代の中米などで使われ始めて来たものである。以来アメリカは国際法と国際組織を無視する常習犯となっている。

 日米両大国はこうして、国際法、国際組織を無視する点で共通している。

 この人類初の戦争違法化の歴史的流れの形成発展について、僕はこのように考えてきた。現代民主主義の原点の一つフランス革命の「自由、平等、博愛」が具体化されてきた世界史の流れなのだと。先進国内部でこれが当たり前になってきたからこそ、この流れはやがて男女平等、人種平等、そして植民地開放、人の命の同じような大切さから戦争違法化へと繋がってきたとそんな見解を持っている。そして、いやしくも民主主義を名乗るものならば、この流れを阻止しようなどというのは飛んでもないことであるとも。この事は勿論、この流れに棹さす動向、一直線ならぬ歴史のジグザグも認めた上で、とんでもないことと語っているのだが。 
 だからこそ嘘の理由イラク戦争を起こし、シリア内乱を外から組織して、20世紀初め人類からの戦争違法化の流れを今無視し始めたアメリカを、僕は自称民主主義国としか見ないのである。そして、このような歴史への考え方からこそ、昨日エントリーのこの部分を大切なこととして書いた積もりである。
『パクスアメリカーナではなく、20世紀に始まった国連による違法戦争廃絶方向を長期間かかっても復興させるべき方向で。ドイツなどとともにこういう方向を目指せる政権を日本に造るべきである』

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新聞の片隅に載ったニュースから(231)   大西五郎

2016年07月05日 17時31分02秒 | Weblog

NHK経営委員長に石原氏 政権・与党との関係 重視か(16.6.29 朝日新聞)

 NHK経営委員会は28日、経営委員でJR九州相談役の石原進氏(71)を新たな委員長に選任し、発表した。この日開かれた委員会で互選され、決定した。来年1月に籾井勝人会長(73)が任期満了となるため、籾井氏の再任を含む次期会長の選任を主導していくことになる。

 石原氏は東大卒で、1969年に国鉄入社。分割民営化後はJR九州で社長、会長を歴任した。2010年にNHK経営委員に就任。3年前の会長指名では籾井氏を推薦した経緯がある。

 NHK会長の選考がこの夏から本格化するほか、巨額の費用を見込む東京・渋谷の放送センター立替えなどの経営課題を抱えるNHK。そうした決定に大きな影響力を持つ今回の委員長選びにあたって、経営委は政権・与党と円滑な意思疎通を重視したとみられる。

 経営委員会はNHKの最高意思決定機関で、会長の任免権を持ち、会長ら執行部が提案する年間予算や経営計画を議決する。会長の選考にあたっては、7月中にも同委員会に会長指名部会を立ち上げ、年内に籾井勝人続投させるのか、新たな会長を選ぶのかを判断する。

 28日夜の就任会見で石原氏は、籾井氏再任の可能性について「今は申し上げられない」としつつ、「きちんとした行動、ガバナンスをやってほしい。誤解されるような発言がいくつかある」と指摘。一方「収支の改善などをきちんとやり、国際放送の推進などでも実績がある」と評価し、「籾井さんについては是々非々で考えていきたい」と述べた。

 新委員長選びでは、石原氏と委員長代行の日本たばこ産業顧問・本田勝彦氏の2人の間で事前の調整が難航した。経営委員の1人は「政権・与党サイドの関係者から石原氏を推薦するよう求められた」と打ち明ける。ある政権幹部は「次の会長の人選を考慮すると、石原氏の方がより政府・与党の影響を反映しやすいと判断した」と語る。

□―-―――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

  NHK籾井会長は就任の記者会見で「政府が右と言うものを左という訳にはいかんだろう」と発言したり、熊本地震発生を受けてのNHK災害対策本部の会合で「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えるように」と指示するなど、NHKを政府の広報機関と考えているのではないかと思えるような発言が問題にされており、NHK・OBや放送関係の団体から罷免要求も出されています。石原新委員長が云うような「誤解されるような発言がいくつかあったが」で済まされるような問題ではありません。

 その上経営委員の一人が「政権・与党サイドの関係者から石原氏を推薦するよう求められた」と打ち明けた」ことやある政権幹部が「次の会長の人選を考慮すると、石原氏の方がより政府・与党の影響を反映しやすいと判断した」と語ったことはもっと問題です。

 安倍首相がTBSの番組に出演中放送の中で「アベノミクスは僕らのところには届いていない」という若い人の発言を「一方的だ」と抗議したり、高市総務相が「偏った放送をした局へは電波停止を命じることがある」と述べるなど、安倍政権の放送への介入が強まっている中で、経営委員の方たちの毅然とした態度が望まれます。             

                                        大西 五郎                                                                                                                                                                                                                                                                    

 

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「パクス・アメリカーナ」をこそ制すべき   文科系

2016年07月05日 11時20分56秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 今回の論争は非常にややこしい、手の込んだ経過を辿っている。まず、それを振り返っておきたい。
 7月1日の僕のエントリー『「産軍複合体」と手を組んだ』に、sica という人が反論コメントを書かれた。これへの反論を2日に僕がエントリーした。これに(新)名なしさんが反論コメントを書き、4日僕がこれへの反論をエントリーした。『米国の凶暴を一言も語らずに・・?』である。これに対して、この同じ名なしさんと思われる人が即日、反論コメントを書いてきた。こういう経過を経て今僕がこれを名なしさん宛てに書いているということになる。さらにややこしいことにこの(新)名なしさんの文体、作文力、発想、文意などが、sicaさんの文体と非常によく似たなかなかのものだと読めるのである。
 と、そんな経過を辿った文章に対して、こちらはこの名なしさんには何も答える義務も責任もないと最初に言っておいた。多くの名なしさんにまぎれ込み隠れた文章は無責任の確信犯と解するからだ。
 さて、それでも、こんな内容の言いっぱなしを放置するのは癪だから、僕は答える。と、まー、ここまではそんな経過なのである。

 話を分かりやすくするために、彼我の最も大きな対立点をご覧頂こう。
 僕は上記最後のエントリーで、こんな文章を書いている。この表題「米国の凶暴を一言も語らずに・・?」における、まさに触りの部分だ。
【 中国のことをこれだけ針小棒大に語ったあなた、強大すぎてしかも凶暴なアメリカの侵略性はどうして問題にしないのですか。嘘の理由開戦・イラク戦争は、米国軍隊の歴史にも、国旗にも国家にも、亡くなった5000人ほどの同国の若者たちにも真っ黒な泥をべたっと塗りつけたことになりますが? しかも、ここからイスラム国、難民も生まれたのであって、21世紀の世界を今も悩まし続けている大犯罪、大惨事です。こんなことをした国との安保法制だから怖いんです。
 こうして、中国による「大惨事」はドナルドレーガンに対抗できる原子力空母が出来てからのような未来の、しかも不確かな話ですが、「イラク戦争、シリア内戦、イスラム国、難民の群」という米国が起こした世紀の大惨事は、既に起こった話です。それを何故問題にしないのですか。】
 さて、僕の言い分そのものに対して、(新)名なしさんはどう答えたか。
【(アメリカについて触れないのは)日本にとっては脅威ではないからです。米国とは領土問題を抱えておらず、政治体制も同じ民主主義国家、そして同盟国です。その凶暴性が日本に向かう事はないでしょう。
(中略)
単に日本にとって脅威かどうかで話していますし、安全保障というものはそういうものでしょう】

 最近の日々150名ほどのここの読者諸氏は、この回答をどう読まれるだろう。と述べておいて、以下を回答としたい。

①アメリカが「脅威でない」とは、「奴隷の平和」を享受しているだけのこと。現に日本政府は嘘の理由開戦・イラク戦争に引きずり込まれたことに対して抗議一つできなかったではないか。国政においてこれへのイギリスのような反省作業一つできなかったではないか。このことは、国連に於いて日本政府が「平和」を語る資格があるのかという、恥ずかしい問題にさえなってくるはずだ。日本のこんな対米追随態度はイスラム諸国などに、例えアベがそれらの国々にお金をどれだけ出していても、面従腹背でバカにされていることだろうと、僕は確信してきた。

②この「奴隷の平和」によって日本は過去このように引き回されてきた。最初は冷戦の西側に。次いで米国が起こしたテロとの闘いに。次は、中国との闘いに? こんなふうに次々と敵を取っ替えては作っていくやり方が、アメリカの本質である。アメリカこそ現世界最大の暴力、世界平和への最悪の癌である。そもそも今、アメリカが起こしたテロに、日本がなぜ巻き込まれねばならぬのか。

③逆に自らの安全、平和のためにも、アメリカの「世界的暴力」に物を言うべきだろう。パクスアメリカーナではなく、20世紀に始まった国連による違法戦争廃絶方向を長期間かかっても復興させるべき方向で。ドイツなどとともにこういう方向を目指せる政権を日本に造るべきである。日本のような大国が①を目指してこそ、日本、世界の平和も望みうると考える。

④ちなみに、アメリカ人大哲学者ノーム・チョムスキーの世界的ベストセラー著作「覇権か生存か」にはこれと同一のアメリカ論が描かれてある。世界人民が生き残るためにこそ、アメリカの「覇権」を制御すべきだと。『9・11 アメリカに批判する資格はない』、『テロの帝国 アメリカ』という著作もあって、このことは今や、専門である言語学以上に、彼のライフワークになっている。

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 米国の凶暴を一言も語らずに・・・・?  文科系

2016年07月04日 00時18分03秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 2日の拙エントリーに新名無し君からなかなかの批判と思われるコメントが来ました。これへの反批判は必要と考えますから、名無しに応えるのは本来不本意ですが、彼の批判文言自身それぞれを上げた上で、それへの批判という形で反批判をしてみます。

 多くの名無しに隠れるという意味でご自分の言論への責任を最初から逃げて長文を書いてきた卑怯な方と言っておきます。こちらとしては今までの名無し来訪者も含めて誰に答えているのか分からないから、彼の過去の言質を言質と出来ないという絶対的不利があるのですが、それを承知で回答するわけです。僕の方は、ここで自分の全てを曝しており、僕のどんな言質も使えるのです。初めから、こんなに対等でないという意味で卑怯なディベートはないとも言っておきます。

 

『 韓国はパク大統領が中国の軍事パレードを見に行って中国よりになったなどと言われていましたが、中国の強い反対を振り切って日米のミサイル防衛に参加することが決まっています。韓国は日米に付いていくと決めました。日米のミサイル防衛に参加し、韓国に米軍のレーダーを置くということは、中国の核戦力を低下させるということを意味するので、非常に重大な決断です』

 反論 と言っても日米にアジア通貨危機やサブプライムバブルで大いに搾取された不信感からこそ、対中貿易をどんどん励み始めたのですから、中国と事を構えればたちまち国民を食わせられない国になったのも明らかです。あの太っちょ国と闘った朝鮮戦争の歴史から言ってアメリカに寄っているのも当然ですが、封建時代と同じ3代世襲の太っちょ国は中国も見るに見かね始めたことですし、安心して中国寄りもできるようになったわけです。

『 軍事的貢献は、軍隊の規模によって決まります。韓国軍の規模は陸軍だけでも50万、陸自は15万、アメリカの要求が物凄いものがあるのなら、その要求が日本だけに向かうなんて有り得ません。当然韓国にも向かっているはずです。しかしイラク戦争でもアフガニスタン戦争でも、韓国軍は参戦していません。』
 軍事的貢献は軍隊規模で決まるって、全然昔の話。乱闘があるような遅れた国の暴力団でも、ピストル百丁よりも機関銃5丁の方が恐ろしいでしょう。同じく、原子力空母1艘あったら1国の政治を即刻麻痺できます。
 また、第三位の経済大国とその3分の1の国とでは、いざとなった時に出せるものが違います。だからこそこんなことも起こったのでしょう。湾岸戦争やイラク戦争で「日本はもっと貢献せよ」、「血も汗も流せ」、「軍靴を敵地に着けよ」と米産軍複合体から矢の催促。よって、安倍政権もベトナム戦争韓国参戦のような5000人の死者を出さないと懲りないのかも知れないと、とても悲観的です。

『(「世界的不景気の時の取り分け不景気な国は、どんどん軍事経済に傾いていくという歴史の教訓もあります」という僕の言葉に対して) それだと一番心配なのは中国ですね。中国の高度経済成長は終わりを迎えつつあります。そして軍事費はうなぎ登りで年20兆円、自国より遠い場所で軍事行動をすることが大前提の空母艦隊を複数建造。中国の領土拡張政策は南沙諸島などを見れば明らかです』
 中国のその心配は確かに現れてきたと愚考します。が、今の所、軍事費はアメリカの3分の1というものの、広い国土の軍人給料がもの凄い。「空母艦隊」と大袈裟に言われましたが当面はディーゼル機関のもの1艘? 対するに、世界11艘の原子力空母のうち10艘はアメリカにあります。これがなければアメリカは「嘘の理由開戦」のイラク戦争も出来なかった。つまり、地球の裏側まで攻めていける大量破壊兵器で言えば、米中は到底比較になりません。今横須賀基地を母港として中国を見張っているのは確か、ドナルド・レーガン。こんな船一艘はもの凄い脅威、無言の脅迫にもなりますよね。
 中国のことをこれだけ針小棒大に語ったあなた、強大すぎてしかも凶暴なアメリカの侵略性はどうして問題にしないのですか。嘘の理由開戦・イラク戦争は、米国軍隊の歴史にも、国旗にも国家にも、亡くなった5000人ほどの同国の若者たちにも真っ黒な泥をべたっと塗りつけたことになりますが? しかも、ここからイスラム国、難民も生まれたのであって、21世紀の世界を今も悩まし続けている大犯罪、大惨事です。こんなことをした国との安保法制だから怖いんです。
 こうして、中国による「大惨事」はドナルドレーガンに対抗できる原子力空母が出来てからのような未来の、しかも不確かな話ですが、「イラク戦争、シリア内戦、イスラム国、難民の群」という米国が起こした世紀の大惨事は、既に起こった話です。それを何故問題にしないのですか。イラク戦争を承認し、米国を免罪している日本マスコミ寄りの方としか思えません。

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「よたよたランナーの手記」(166) 治療薬との兼ね合いが・・・  文科系

2016年07月03日 01時18分28秒 | スポーツ

 前立腺癌の薬を毎日飲み、注射を月1で始めた。その上で、6か月後に陽子線治療20回ほどを受けることに決まっているのだが、医者の承認を取って走っている。
 ただし、疲れること! 先ず、ウオームアップがなかなか深まらず、時間がかかるのだと分かった。その間に、時速8キロで走っていても心拍数が160近くになることがあるし。やがて、心拍数が140を切るように落ち着いてきても、なかなか速度が出せない。10キロ時で走れはするが、後で猛烈な疲れが残ることが分かっているから、特にそうだ。「汗が出る」とか「身体がだるい」とかが、薬の注意書き本に書いてあるのだから、自然なことなのだろう。

 そんなわけで今は1時間8キロちょっとしか走れないが、3日に1度は走るようにしている。2日は各30分が4・1キロの4・3キロで合計8・4キロ。ランニングが僕の活力の源泉であることが分かっているから走る。治療が終わったが身体から活力が無くなっていたというのは嫌だ。つまり、癌治療と並行して、生活の質も保っていたいということ。

 その上で昨日2日のランニングで分かったことがある。低速ウオームアップが10分は必要な身体になったのである。10分近くこれをやると、心拍数が落ち着いてくる。その上でスピードを上げていけば疲れが残らないと発見した。ただし、このようにやれば時速12キロも十分出せるのだが、10キロ時以上で走るのは短時間にする。すると疲れはもっと残らない。

 男性ホルモンを少なくして女性ホルモンを入れる薬って、人体に与える影響はなかなか凄いものだと分かった。走りながら僕は、これを飼い慣らそうとしている訳である。どういうか、なかなか面白い。こういう今のスタイルが癌治療にどう影響するかは、神のみぞ知ること。それを心配して治療後に生活の質を落とすくらいなら、早く死んだ方がましだと思っている。癌って、死ぬ時はぐずぐずせずに比較的さっと死ねる病気ともいわれているし。

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