衣川のほとり

2022-04-25 10:46:04 | 学習塾・勉強の仕方

今年のゴールデンウィークの予定は前回書いたとおり京都奈良ですが、私の中で それと並んで常にもう一度行きたいなと思うところがあります。それは東北。 東北の古都と言うと仙台あたりを思い浮かべがちですが、私の中のそれは、平泉です。

 
平泉。奥州藤原氏がこしらえた 古の都。 でも私が ここに行く時に常に念頭にあるのは、中尊寺金色堂にあらず、少し離れたところにある義経堂です。義経が最後に籠った堂が衣川のほとりの小高い丘の上に建つ、その高館です。 その昔、義経はここに追い詰められて自刃したと伝えられますが、それがこの場所そのものだろうかどうかは色々な説があるようです。
 
ここに実際に立ってみると、伝えられるほど戦上手の義経が こんなところでむざむざと殺されるものなのかなという疑問がふつふつと湧いてきます。それほどに周りの景観が一望できるこの高館。 泰衡の軍が言われる通りの戦法で攻めてくるとしたら、 かなり早い時間からその様子が手に取るように義経にはわかるはずで、それを思うと、 公式の学説では否定されていますが、義経北行伝説も 全く想像の産物というわけにも私の中では行きません。
 
800年の昔の その頃の出来事に思いを寄せる旅。これが私の北の古都への憧憬の常に中心、なかんすくこの義経堂にありますが、いかんせん東北はあまりにも遠く、行くにはとても一泊2日では足りないのと、かといってなかなか三日以上の連続した休みを取れないことがネックです。
 
さあさ、これから仕事仕事。集中集中。
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古都への誘い

2022-04-24 23:30:22 | 学習塾・勉強の仕方
今週はいつも以上に頑張って仕事をして、ゴールデンウィークを使い 何日か久しぶりの 京都奈良への旅行をしようと思います。

大概の有名スポットはすでに何回も行っていますので、今回はそれ以外の ところを 訪れたいと思います。

そのために、今週ほ仕事の合間に関連の本を沢山読んでおこうと思います。

以前、奈良を訪れた時は、事前に何の準備もせずに行ったので(そういうスタイルもまたよいものですが)、例えば石舞台古墳や鬼の雪隠に行ったとき、その巨大さにただ驚くばかりで、無知な頭にはこれの由来などについて全く何の予想もつかず、その意味でスカスカの時間を費やしてしまった気がします。

かの地を精力的にみて回った最後の飛鳥寺は、疲れと時間のなさとでもったいなくも拝観自体をカットするという無謀なことさえしてしまいました。

今回はその二の舞にならぬよう。



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より広くより深く

2022-04-24 19:03:23 | 学習塾・勉強の仕方
東北地方の太平洋側に、何年かに一度の割合で夏に吹く北東の風があります。 この北東の風(やませ)がもたらす冷害~ 宮沢賢治の雨ニモマケズの中に出てくる「寒さの夏はおろおろ歩き」 ~もこのことを表しています。

というようなことは、ストーリーとして覚えないと、テスト本番でいきなり単語や語句を答えよ、という形で質問されても、いつもいつもうまく答えられるものではありません。

この場合、東北とは?北東とは?冷害とは?この地方の主たる農産物とは? などの基礎知識があってはじめてその先に進めますが、それがなければ上っ面だけの理解(とも呼べませんが)で学力固めをしなければならないので、言うまでもなくそれは不可能(←どんなテストにおいても安定して得点することに)です。

教室では勿論そうした厚みのある基礎的知識注入にこれ努めますが、それ(知識化)がうまく出来るかどうかの殆どの部分は自宅での基礎知識復習の有無にかかっています。稀に、 大した復習など必要とせずたちどころに物事の分かる頭脳を持った子もいますが、 普通はまずそういうことはありえません。

私たちは学習塾ですから、教室の中でのことは責任を持ちますですが、自宅での時間の過ごし方などは 管轄外です。

でも、今はそれを乗り越えて、どのように自宅で実習或いは自学をして頂けるようにするか、如何にこれを構築するかということがその子の学力向上に直結しますので、 そういった意味で 管轄外とかなんとかもはやそんなことは言っていられない状況 であると言えます。 いわば学習塾の守備範囲の実質的な拡大です。
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雨音

2022-04-24 15:21:57 | 学習塾・勉強の仕方
またまた雨。

午前中にちょっとした庭仕事をしたので、 一休みと思い ベッドで横になっていたら眠ってしまいました。

雨の音が聞こえたので 目が覚めました。 庭の池に 雨の波紋が広がります。

休日の午後。




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個別授業は面白い

2022-04-23 01:31:22 | 学習塾・勉強の仕方
金曜日の授業は、 例によって 中1の英語、 中2の社会(地理)、中3の英語、高1の英語✖️2、それと専門学校に通う子供の 法律の授業。これは別講師の担当でした。小学五年生の算数もあり、これは盛りだくさんの単元を勉強しました。

中1の英語。この子は特に小学校の時から もうすでに中学1、2年のレベルまでの英語を勉強していたので、 今の段階のものはサクサクできます。とても前向きな良い子につき、先が楽しみです。

中学 2年生の地理については、基礎力があまりないので 一苦労です。今日の単元は、西ヨーロッパが高緯度のわりに暖かい理由を、偏西風と北大西洋海流という言葉を使って説明するというものでしたが、まずは それらの言葉の意味から説明しなければなりません。

北大西洋海流というのがどこから流れ始める海流なのか、これが暖流なのか寒流なのか、 どうしてこれが 西ヨーロッパの気候の温暖に結びつくのか、偏西風とはそもそも何かということなどを個別に理解した上でそれぞれを 結びつけて文章にして説明させることを求める課題は、そこに学校の先生の工夫を感じました。良い課題だと思います。

この他に、時事問題をなにかひとつピックアップして論じなさいというものもあって、これはコロナとウクライナ戦争以外のトピックから選ぶという条件付きでしたので、こうした課題処理が苦手な子にはとにかく難しくて往生するばかりなので、それではと、私がフランスの大統領選挙について若干のヒントを与え これをまとめるということになりました。

高1の英語は、1人は英検2級の勉強。2級になると難易度がかなり高いので しっかり力を入れて解説しました。勉強する本人は、難しい難しいと言いながらも懸命について来ようとしました。 その姿勢たるやよし、です。 もう一人の高1の子は、学校の教科書の本文の和訳と、文法の解説でした。

中3の英語は使役動詞の使い方 を中心としたこれも文法の解説。

みんな本当によく頑張ってくれるので、とても嬉しいです。
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相鉄讃歌

2022-04-22 16:04:15 | 学習塾・勉強の仕方
横浜高島屋でしか売ってないものを買いに、三ツ境から相鉄線で行ってきました。 相鉄線、変わりましたね。 紺色の車両が何ともかっこいい。

子供の頃、 西横浜平沼橋横浜辺りを走っていると、並びに走っている東海道線横須賀線との差が 常に大きく感じられ、どこか寂しい思いがしたものです。 駅と駅との間は近いし、車両は短いし、速度が遅いし。

速度と駅間距離は仕方ないとしても、 今の相鉄の車両は、東海道や横須賀線と比べてもまったく遜色がありません。 今日は乗っていて 誇らしくさえありました(私が誇らしく思ってもしょうがないのですが)。

大学に通っていた頃、横浜から 東京までその東海道やら横須賀線やらに乗っていると、よく京浜急行の速さに驚いたものです。京浜急行の快速特急はとにかく速い。「関係ないね」とでも言わんばかりにめちゃくちゃなスピードで東海道や横須賀を 追い抜いていきます。 凄みさえ感じました。相鉄もこうだったらなぁとよく思いましたか、今日はその怨念が一気に氷解しました。

帰りに横浜駅からまた相鉄に乗ると、平沼橋辺りで並走する東海道に抜かれましたが、今日の相鉄は「もっと気持ちに余裕もてよキミ」と言っているようで、乗っていてとてもゆったりした気分になって、そして私は天王町の方面に向かう紺色の車体に身を任せました。
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小さな発見

2022-04-21 23:38:16 | 学習塾・勉強の仕方
夜、仕事が終わって車で帰る途中に、 道路工事の現場によく当たります。

昨日は立葉の交差点のところで 引っかかり、 車を 止めて待っていたところ、道路の左側にその工事をする車両が止まっていました。荷台には、その底部に火を灯した大きな機械とそれを操作する男性。 車の荷台で火を使うところを 初めて見ました 。

注意深く 周囲を見ていると、 あちこちでいろんな新しいことに出会います。




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よう行かん

2022-04-21 23:29:07 | 学習塾・勉強の仕方
休憩の時間にラジオをかけていたら昭和の歌が流れてきて、暫し聴きいっていたところ、大阪で生まれた女(←多分そんなタイトルだと思います)が始まりました。

歌詞の一部に。「大阪で生まれた女やさかい東京へはよう行かん」という部分がありました。 これに関東人の若い講師が引っかかりました。 彼は言いました。
「先生、よう行かんというのはあんまり行かない つまりたまには行く I sometimes go ですよね」。

聞いていた大阪出身者が 言いました。
「違う違う。よう行かんというのは、行かないという意味。つまりアイキャントゴー」。

何気ない 言葉の解釈にもこのような行き違いがあることを考えると、自分たちよりはるかに人生経験の短い子供達にものを教える時には十分すぎるほど十分な 言葉選びと、その解釈の仕方についての説明が必要だなと思った次第です。
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何を今さら

2022-04-21 09:41:22 | 学習塾・勉強の仕方
今朝のyahoo!ニュースで 二つ目に留まったものがあります。一つ。何故ロシア兵は鬼畜になったのか云々の記事と、もう一つは金正恩のメンタル崩壊云々の記事です。 鬼畜に関しては、「何を今更」です。歴史の本を読めば誰でも分かりますが、ロシア人は昔から鬼畜です。金正恩メンタル崩壊も 同じく何を今更です。昨日今日の話でもなんでもなく、 もともと崩壊してるんじゃないですか?

ポイントはここにあります。
今が鬼畜でも、真人間になる努力をするならば、たとえ少しではあっても、そこに人間としての 価値は生まれうる。たとえメンタルが崩壊していても、そこから這い上がろうと努力する ことさえできれば、そこにも人間としての価値が生じる余地はある。 それらを何もしないで 、来る日も来る日も同じことを繰り返すというところに この連中の無価値が凝縮されているのです。

昔、大学生の頃、一般教養の世界史の授業の中で、先生が「長いスパンの歴史を読めば 今が見える。その国民性が見える」と述べたことを思い出します。
そういう目で歴史を読んだことはあまりありませんが、現下の国際情勢を見るにつけ、あの時の 先生の話が、今生き生きと蘇ってきます。
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She sleeps.

2022-04-20 12:12:27 | 学習塾・勉強の仕方
寝床ひとりじめ








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ノートの取り方

2022-04-20 09:40:37 | 学習塾・勉強の仕方
zonoさん、いつも拙い駄文をお読みくださり有難うございます


特定の科目については、ノートの取り方がその人のその科目に対する取り組みの姿勢や理解の深さ に大きく影響そ、貢献すると思います。

例えば社会。
子供たちを見ていると、ノートの取り方に工夫を凝らしている子は、概ねこの傾向がはっきりと読み取れます。逆に、工夫を感じない子、例えば学校の先生が黒板に書いたものをただ漫然と書き写しているだけ、それがよくわかる子は、 おしなべて理解が浅いです。

このことを、私は昔、自身中学3年生の時に 少し違った形で 感じました。当時、私は社会が好きで、それなりに自分でノートの取り方を工夫していました。 テストも成績もとてもよく、これはこれで 満足していましたが、 ある時、友達が、また別の友達のノートを私に見せて 「これすごく分かりやすいよね。こういうノートが一番だね」と言いました。見ると、 書き方の工夫がいたるところに見て取れました。カラフルで、文字の強弱も感じましたし、 簡単な図なども挿入してありました。
一種の参考書のような趣さえありました。 シンプルな私のノートとは 違っていました。

私はそれを見て 驚きました。と同時に、その後の行動は 少し曲がった方向に進みました。ノートの取り方に密かな満足感を持っていた私は、その プチ自尊心を傷つけられた思いが少しして、以後その友達のノートを真似て 工夫を 暮らすようにしてみましたが、出来上がったものは、いかにもそれを模倣したものでした。

確かにそれなりの出来にはなりましたが、それが私の理解度の向上につながったとは思いません 。ここに落とし穴があります。

綺麗なノートを作るということは良いことですが、人の模倣をして何か良いことをしたつもりになるというのは、単に先生が黒板に書いたものを書き写してその気になるのと 同じないかと気付きました。 言ってみれば、私は 自分の理解の向上のためにそれをしたのではなく、単に友達に「良いノートだね」と言ってもらいたくてそれをしていただけだったのです。

目的と方法とを誤ると、時に本来 目指すべき方法とは 違ってしまうこともあるのだということを、 中3の私はその時思いました。
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剣士の姿

2022-04-19 09:44:07 | 学習塾・勉強の仕方
塾生の中に 高校生の 剣道の部で神奈川県のナンバーワンの子がいます 。小学校の高学年で入会して今、高1。 非常によく頑張る子で、 今風の ポップで軽いところはなく、 誠実で実直な 印象を自然な形でかもしだす良い子です。勿論勉強の方も一生懸命です。

ある宗教では、その教義に反するという理由で格闘技を一切認めない、その日の授業には子供を参加もさせないというものがありますが、 剣道は 見ていて とても凛々しいし、 日本古来の誇りある武道です。彼の 試合の動画も見たことがありますが、それはそれは立派な剣士ぶりで、とても気持ちの良いものでした。

私は小学生の時に少し空手を習っていて、その時の先生がこんなことを言いました。
「男は一生のうち1回か2回は 力を発揮しなければいけないときがあるものだ。その時に 堂々とそれを実践できる、 そういう人間になるための今は修行の時なんだよ。武道とはそういう面と力があるんだ」 。

人生においてそれを発揮しなければならないときというのは 色々なケースがありますが、例えば 異性と街を歩いていて 意味不明で乱暴で 何のためらいもなく強盗を働くようなロシア人みたいな 悪人と 出会った時に、 堂々とこれを力で跳ね返してその異性を守れるだけのワザと胆力を持つ、 そういうことも あるのかと思います(もっとも今時はその異性の方がずっと強いかもしれませんが)。

何年か前の 塾生の子で、やはり剣道をやってる子がいました。 何かのおりにその子と同じような話をしましたが、その時彼は何とこう言いました。

「 僕だったら竹刀なんか放り出して逃げますよ。だって 怖いじゃないですか」

これも一剣士、ではあります(  ̄- ̄)
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そばにいつも

2022-04-19 05:37:40 | 学習塾・勉強の仕方
今朝のお目覚め  




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半袖

2022-04-18 20:32:19 | 学習塾・勉強の仕方
外は冷たい雨です。生徒達が寒そうにして教室にやってきます。こういう時の生徒はとてもかわいく思います。

暑さを感じたりこのような寒さを感じたり、この時期は本当に体調管理に気を使います。

私は暑がりですので、4月はもうほぼ半袖で通します。年内は12月いっぱいやはり半袖で過ごすので、それをみて知っている町の人達は、「お、今日も半袖だね」なんて言います。 

何年か前の1月に伊勢佐木町に行ったとき、外人さんが寒さをものともせず、半袖に赤い頬で通りを闊歩しているのをみて、そのときの私は長袖でしたので、上には上がいるもんだとヘンに納得した覚えがあります。
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ペンを持つ前に

2022-04-18 11:06:50 | 学習塾・勉強の仕方
今、私は自分で スケジュール立てをして、 自由に時間を組み立てて仕事に臨んでいます。損保マンの時は、1日に20も30も やること、 計画立て、物事の準備といった面で やらなければいけないことが、 それこそ分刻みであって、それらの多くは上から、あるいは周囲から一方通行で「いついつまでにやれ」という形で押し寄せてくるものでした。 いわばそれが仕事のメインであって、肝心の仕事の本番は付け足しのようなものでしかなかったような気がします。

でも、思うにそれはそれで よかったのかなと。 勉強するとか何かを学ぶということも似たようなものだと思います。

勉強するということの 具体的なアクション、ペンを持ち本を開き机に向かうという作業を効率的に進めるために組み立てる スケジュール、必要なものを整え用意すること、 心構えをしっかりすることの方にむしろ重要な要素があって、それらがしっかりしていれば 勉強するという行為そのものはその時点でかなりうまくいっているのではないかと思うのです。

今、教室で子どもたちと接していると、多くの子達にはそういう意識が なく、従ってそういう準備あるいは計画立てということができているようにはあまり思えません。 いつもぶっつけ本番で事に臨む、それの繰り返しではないかという気がするのです。 これで効果を上げるというのは やはり少し無理があるのではないでしょうか。

みんながそれぞれ自分の頭で考え、計画を組み 心を構えることは、それぞれが持っている自由な時間の中で行う事がこの場合理想です。全てを他人からの指示待ちにするのではなく。
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